死にたがり
暗く沈んだ表情の冒険者たちが広い室内を埋め尽くしている。まるで死刑宣告を待つかのようだ。そしてこれから行われる発表は、彼らにとってはそれに等しいものだ。
大地の盾唯一の金階級、ファウスト・セッティは壇上から冒険者たちを眺めて目線を上げた。
「皆分かっているとは思うが、3日前に王室より強制指令が出た。そして今日、僕を除く69名を指名させてもらう」
誰かが唾を飲み込む音がした。今にも倒れそうな顔色で冷や汗をかいている者や、両手を合わせて祈りを捧げている者もいる。
場の雰囲気は聖火の鏡よりもずっと悲壮感に満ち溢れている。それは当然のことで、団員の階級が最低でも並より上の聖火の鏡と違い、大地の盾は半分以上が並かそれ以下だ。大地の盾の依頼達成率が高いのは、圧倒的な数と連携をはじめ、たとえ失敗しても他のパーティで補える仕組みがあるからだ。団員個人の実力は決して高くない。育った冒険者が他のキャラバンに移籍してしまうことも珍しいことではなく、団員数が最大でありながら金階級がファウストだけなのもそのためだ。
「30名は非戦闘要員だ。知っての通りレストニア領アリグレットへは交通が断たれている、約10日分の水と食糧の運搬を担当してもらうことになる」
どうか選ばれませんように、選ばれるのであればせめて運搬係でありますように。その場の冒険者たちは皆同じことを考えた。とは言え銀階級以上の冒険者たちはある程度覚悟を決めている。
案の定、選ばれたのは体力はあるが階級の低い若者たちだった。運搬係の指名を終えれば、いよいよ戦闘員の指名だ。場の緊張感は先程までの比ではない。祈りを捧げる冒険者の声が一層大きくなった。
「アリオ・センナ、セイディ・クロフツ、ジョニー・リウヴィル」
名前を呼ばれた冒険者が大きく肩を跳ねさせた。恐怖に膝を折りそうになっている彼女を一瞥して、ウィツィは困ったように喉の奥で唸った。つい最近恋人ができたのだと嬉しそうに話していたのを憶えている。
ウィツィは彼女の恐怖をどこか遠くのもののように感じていた。彼は他の者と比べ危険に対して鈍感なのだ。それは魔物退治を始めてからも変わらない。
「ジョナス・ブラチフォード」
ウィツィの隣に立つ男が息を呑んで喉を震わせた。名を呼ばれた本人、ジョナスはウィツィが所属するパーティの罠使いだ。
そういや、子どもが産まれたばっかなんだっけなあ。子どもか……そりゃあちょっと、あのーあれ、うん、あれだよな。心の中で粗末な語彙を並べ、ウィツィはジョナスの蒼白な横顔を一瞥して他の冒険者の名が呼ばれ続けるのをぼんやりと聞いていた。
「以上39名が戦闘要員だ。武器や防具の準備に関しては、3000ウィーガルまで経費で――」
「すいません、ちょっと待ってくれませんか」
淡々と進めようとしたところに大声が割り込んできて、ファウストは声の主のウィツィに冷たい視線を投げた。ウィツィは少しばかり緊張が滲んだ不自然な笑顔を崩さないように努めた。
「名前と階級は」
「ウィツィ・エスペラ・イグレシアス、鋼階級っす」
「ウィツィ……ああ、捕縛と拘束担当か。なんだ」
「あの、戦闘要員に指名されたジョナスなんすけど、こいつ1週間前に娘さんが産まれたばっかなんです」
「それが?」
ファウストは大きな組織の団長だ、情でなんとかなる人間ではない。分かってはいたもののあんまりにも冷淡な物言いに、ウィツィは一瞬だけたじろいだ。
「事情なら誰にでもある。僕は最も死亡者が少なくなるように考えて選んだつもりだ」
「けど、それじゃあいくらなんでもなんか冷たいっつーか」
「反対したいなら代替案を出せ。感情論での文句に貸す耳はない」
「じゃあ代替案あれば聞いてくれんすか」
「みっともなく騒ぐな。この場はここで解散とする!」
「あのちょっと、ファウストさん!」
ファウストは食い下がるウィツィに舌打ちして懐中時計を取り出した。あからさまに面倒臭そうな顔をしたつもりだったが、ウィツィが臆することもなく見つめてくるので、ファウストはしつこく噛み付かれるよりはいいだろうと溜息をついて折れた。団長であるファウストは多忙だ、問題は早めに片付けたい。
「10分だけだ、そこの会議室で聞いてやる」
「マジすか、あざっす!」
「ジーモとベルナルド、それとエリックは10分後に来てくれ」
早足で会議室に向かうファウストを追い掛けようとしたウィツィは、しかし名前を呼ばれて振り返った。
ジョナスをはじめとして、周りの冒険者たちが不安げな顔で戸惑っている。理由も分からず笑えてきて、ウィツィはジョナスの目を見て微笑んだ。
「お前が行かなくて済むように頼んでみっから」
重い音とともに会議室の扉が閉まり、途端に冒険者たちがざわめいた。ファウストに意見する冒険者は基本的に役職者だ。ただの鋼階級であるウィツィの行動は良くも悪くもその場の者たちを動揺させた。
会議室に入ってまず、ファウストは拳を机に叩き付けた。振り返ったその顔が地獄の底からやってきた審判者のようで、ウィツィは肩を跳ねさせて息を呑んだ。彼にとっては強制指令よりも目の前の団長の方がずっと怖い。
「バカな真似をしてくれたな。皆行きたくないが口に出さないように堪えているんだ。だというのにお前は感情論で騒ぎ立てた。しかもなんだ、子どもが産まれたばかりだから可哀想? 自身の善良さのために言い出したとしか思えないな」
「それは、その、本当に申し訳ないって思ってます。だけどその、感情論だけで反対したわけじゃないんす。いや、感情論もあるけど……」
「しかもだ、お前が行かなくていいようにだと? 指名された全員が思っただろうな、それが許されるなら自分もそうしてくれと! いいか、先に言ってやる。他68名のためにも、決してこちらからはジョナス・ブラチフォードを外さない」
「……代替案、反対するなら出してみろって」
「皆の前で独裁的なことを言いたくない。話を聞く姿勢を見せる必要があるんだ。それが例えお前のようなバカの言葉だろうと」
何か言い返そうと口を開きかけたウィツィだったが、これ以上反論の言葉は出てきそうになかった。自身の言動の浅はかさを責め立てられ、ウィツィは改めて自身の脳みそがいかに残念かを再認識した。
「君は子どもみたいな顔ではあるが、もう少し年相応の振る舞いを身に付けた方が良い。27だったか。その年齢でその立ち振る舞いは正直痛々しくて見れたものじゃない」
子どもみたいな顔。ファウストにそう言われた瞬間、ウィツィははっとした。そうだ、自分にはこれがある、これさえあれば、と。
どう伝えようか少しばかり悩んだウィツィだったが、既に5分が経過している。足りない頭で考えても仕方がない、ウィツィは思い切って頭を下げた。
「俺も加えてください!」
「却下。君が行ったところで犬死にだ。まさか白金階級の魔物を倒せるなどとは言わないだろうな」
「はい、俺じゃ絶対倒せません。けど、ファウストさん言ってましたよね。死亡者が少なくなるように組んだって。それって、最初から倒す気なんかないんじゃないすか」
「当然だ、負け戦だと分かっているんだから」
自身の考えが当たっていたので、ウィツィはほっと安堵の溜息を吐いた。他の者なら当然分かっているようなことだが、ウィツィはそれすら確信が持てていなかった。良くも悪くも彼は歳不相応に若く短絡的だ。
「俺は強くはないすけど、死なないことに関しては、このキャラバンの中で一番です! だからその、向いてると思います、こういうの!」
「そうか。折角の自信を損ねてしまうようで悪いが、人は自分だけは死なない自信があるものだ」
「自信じゃなくて確信っす。俺は死なない、絶対に」
「はあ?」
眼差しに軽蔑を込めながらも、ファウストはウィツィを適当にあしらうことはしない。真面目な性格のため、団員の言葉に耳を貸すことは止めないのだ。
「70名って、ぴったりじゃなくて最低70名ってことですよね。だったら1名追加したっていいんじゃないすか。俺のこと、死にたがりだと思ってくれていいです。仮に鋼階級が1人死んだところで大きな損失じゃないですし。だからお願いします」
「……まあ、本当にそれでいいならいいだろう。ジョナスは外さないがな」
「はい! あざっす!」
下げていた頭を上げたウィツィはぱっと笑った。ファウストは気色悪そうな顔でそれを見て、会議室の扉を開けた。
広間には事の顛末を知りたがる冒険者たちが解散することなくとどまっている。ファウストは面倒臭そうに頭を掻いて声を張り上げた。
「死にたがりを1名追加だ。他にも希望者がいれば連れて行くから申し出るように」
静まり返った室内で手を挙げる者はおらず、ファウストはウィツィの異質さを再確認した。そうしてから打ち合わせのために先程名前を挙げた3名の役職者を会議室に招き入れた。
ぱたん、と閉じた扉を確認して、ウィツィはにっと笑ってジョナスの元へ駆け寄った。ジョナスは相変わらず青い顔のままだ。
「わり、さすがにお前を行かせないのは無理だった」
「そりゃあお前、当然だろ。それよりなんでお前も行くんだ」
「決まってんだろ、お前を死なせないためだ。絶対生かしてやっから」
「お前って本当に……なんか、もう、どうしようもない奴だよ。ファウストさんには口答えするしさあ」
ジョナスは呆れたような、泣き出しそうな、複雑そうな表情で目を伏せた。しかしウィツィには悲観の欠片すらない。ほんの少しだけ救われたような気持ちで、ジョナスは渇き切った喉から笑い声を零した。




