強制指令 後
「なんて……」
ずず、と鼻を啜る音が割り込んできたので、アルヴィンとエルヴィスは睨み合いを止めてそちらを向いた。団員のジュディが涙して、同じく団員であり恋人でもあるライアンの腕を掴んでいる。
「なんて素晴らしいの! 自己犠牲の精神、本当に勇敢な子たちだわ……!」
「えっ? あの、いや、別に自己犠牲とかでは」
「恥ずかしいわ! こんな子どもが名乗り出てるっていうのに、選ばれないことを祈るばかりのこの私!」
ジュディが大袈裟に腕を広げて、掴まれていたライアンの手はされるがままだ。ルクフェルは彼女の突然の挙動に目を点にしているアルヴィンに、ジュディは歌劇が好きだから、と耳打ちした。
「私たちも行くわ! ねえライアン!」
「いや俺は」
「私たちの愛の力でどうとでもなるもの!」
「俺はごめんなんだけど」
「恐れるものなど何もない!」
「ジュディ、ちょっと」
左腕を振り回されているライアンが死んだ魚のような目をしている。本当に恋人同士なのだろうかと、アルヴィンは奇妙なものを見るような目で2人を見た。
「しかしそうだな、まだやれることはあると思う。過去に壊滅したパーティの記録は残っているはずだから、そのパーティの構成や団員の階級を調べてみよう。まだ足掻く余地はあるかもしれない」
「そうよね、さすがあたしのダーリンだわ! そう言ってくれると思ってた!」
「いや行くのはごめんだけどな」
「なんてことだ……」
今度はルクフェルが額を押さえて呟いた。アルヴィンはそれを見て、とてつもなく嫌な予感がした。
「俺たちは国内で最強の魔物退治系キャラバン、聖火の鏡だ! 勇敢な皆の力があれば白金階級だろうが必ず打ち倒せる!」
「え、あのルクフェルさん?」
「ありがとう、そう言ってくれる皆がいて、俺は本当に幸せな団長だ!」
「いや言ってるのエルヴィスとジュディさんだけ」
「さあ、この勇敢な2人の若者と恋人たちに拍手を!」
大きな声に身振り手振りまでつけて、ルクフェルは感涙を流した。こんなに大袈裟な人だっただろうかと困惑しているアルヴィンを見て、隣に立っていた女性の冒険者が耳打ちした。
「そういえば、ジュディがエルベリーのお礼にってチケットを渡してたような」
ああそれで、と納得したアルヴィンは渇いた笑いを零した。だがそんなことはどうでもいい、大事なのはそこではない。
「なんでだよ!」
だぁん、と木製のテーブルにカップが叩き付けられた。
「なんでだろうね……」
アルヴィンとエルヴィスは並んでベリージュースを啜った。荒ぶっているアルヴィンの外見がもう少し大人びていれば酔っ払いに見えただろう。
命の危険がある仕事だから美味しいものを食べて士気をあげよう、そんなカサネの提案で、3人は高価だが絶品料理を出す店、「ルドラとマルタ」を訪れていた。カサネが出会って間もない頃にアルヴィンたちを連れてきた店だ。
「俺たちどっちも行くことになっただろ、どうするんだよエルヴィス!」
「今からでも君だけ辞退するようにルクフェルさんにお願いするしかないね」
「ふざけるな、お前もだ」
「アルヴィン、結構頑固だよね」
ルクフェルは最初若者を選ぶつもりはないと言っていた。黙っていればアルヴィンとエルヴィスが選ばれる可能性は低かっただろう。
「そもそもどうして名乗り出たんだよ、お前の行動ってたまに謎すぎる」
「言ったじゃん、高確率で死ぬ誰かが死ななくて済む」
「だからそれが分からないんだ、普通は親しくもない人のために命張れないんだから」
「親しくないって言われてもなあ。全ての人が大好きだからだよ、親しくなくたってね」
「そういうのはただのお人好しだ、大好きとは言わない」
「ええ?」
エルヴィスは心底不思議そうな顔でジュースを呷った。少しだけ考える素振りを見せたが、やはりアルヴィンの言葉に納得がいかないらしい。
それまで葡萄酒を飲みながら静かに2人のやりとりを眺めていたカサネは、運ばれてきた揚げ物をひとつつまんで、そこでようやく口を開いた。
「ぶっちゃけアルヴィンって白金階級の相手でも死ななそうっつーか、むしろ勝てんじゃん? ただの冒険者10人よかずっといいよね」
「まあ、魔法が使えればそうかもしれませんけど」
「だからさあ、別にアルヴィンが行ってもいんじゃね? エルヴィスってなしてそこまでアルヴィン行かせたくないの?」
「だって危ないじゃん、家族にそんな場所に行って欲しくない」
「ほらぁ」
そういうのだって、そういうの。エルヴィスを指しながら、カサネは葡萄酒を呷って笑った。カサネがもう一度そういうの、と繰り返せば、エルヴィスは曖昧な表情で頷いた。理解はしたが納得はしていない、そんな様子だ。
「つまり10人や100人よりも大切に思える誰かを、大好きって言うってことだよね」
「そゆこと。みんな同じなら親子愛とか友情とか、名前のついた愛情もないわけだからね」
「そっかあ。僕ね、他人だろうがみんな好きで、どんな人でも愛せると思ってたんだけどさ。案外、そういうのとは一番遠いところにいたのかもね」
今度こそ納得した様子で、エルヴィスも揚げ物に手を付けた。蒸し魚やリゾットも次々と運ばれてきて、アルヴィンも手を合わせて目当ての料理を取り分けた。
「とりまアルヴィンが来てくれんなら万々歳だわ。さすがにやばこれ死ぬかもって思ったし」
「あ、カサネさんは指名でしたね。すみません、そんな人の前でなんかもだもだしちゃって」
「んーん、べっつにぃ、おかげで希望は見えてきたし? まだ出発まで日数ちょっとあるから、明日は鍛冶屋の手帳ね。装備整えてこっか」
「はい、もうやるしかないですもんね」
カサネはひとつ頷いて追加の注文をした。料理そのものよりも、アルヴィンとエルヴィスに食べさせることを楽しんでいるらしい。財布の中身を気にしないのはさすが金階級だ。
白金階級の現場の周りは列車は通っておらず、交通はかなり不便だ。しかも場所は広大なレストニア領西地域の海岸沿いの地域で、恐らく数日間は徒歩で移動することになる。食糧は保存食だ、しばらくは味気ない食事で腹を膨らませることになる。
アルヴィンは蒸し魚を噛み締めて味わおうとしたが、瑞々しく柔らかい身はいとも簡単にほろほろと崩れていった。
「また来ましょう。指令が終わって帰ってきたら、豪勢に」
「そーね。てかあれじゃん、それ言っちゃダメなやつじゃん? 帰ってきたらーとか言うと死ぬってお約束」
「えっ、そんなのあるんですか?」
「あー、あるある。ダメだよアルヴィン、もっとなんか、こう……生き延びれそうな言葉選ばなきゃ」
「なんだ生き延びれそうな言葉って」
会話をしながら食事を楽しんで、カサネとエルヴィスは前回と同じようにデザートを半分ずつ交換した。
店を出る頃には人通りはすっかり少なくなっていて、その寂しさを打ち消すほど明るい街灯が等間隔で道を照らしている。
アルヴィンはふと、リンガラムでキャラバンを脱退した日に見上げた星空を思い出した。空を見上げてみたが、やはりあの見事な星空を見ることは叶わなかった。こんなに明るい街なのだ、当然だ。
「アルヴィンとエルヴィスってさ、血とか繋がってないんしょ」
「はい、出会ったのも偶然ですし」
「ふうん、不思議だね。それでもちゃんと家族っていうのが」
「そうですか? それ言ったら、世の夫婦とかも元は赤の他人じゃないですか」
「あ、そっか、そうだわ」
歩いているうちに分かれ道にたどり着いて、アルヴィンはカサネに小さく頭を下げて別れの挨拶をした。そうして右に進もうとしたが、カサネに呼び止められて振り返った。
「アルヴィンってさ、もしお母さん見つかったらどうすんの。一緒に暮らすん?」
「そうですね……まず生きてるかも分からないのであんまり考えてはいませんけど、多分このままエルヴィスと暮らします。今はエルヴィスが家族ですし。もし生きてるなら、母も母で生活を成り立たせてると思うので。それがどうかしましたか?」
「んーん、気になっただけ。じゃね、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
カサネが何か言いたそうに目線を散らした。アルヴィンはそれが気になって訊ねようとしたが、すぐに踵を返して歩いていってしまったので諦めた。
引っかかりはしたが、どうせ明日も会うのだからとさして気に留めず、アルヴィンとエルヴィスも帰路についた。明日からは指令のための準備だ。今日は早めに休もうと、アルヴィンはやや眠そうなエルヴィスの腕を引っ張って自宅へと戻っていった。




