表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/94

野菜くずのスープ

アルヴィンは窓から差し込んだ柔らかい朝日で、いつもより早い時間に目を覚ました。隣のエルヴィスはいつも通り爆睡している。二度寝の誘惑はあったが寝坊してしまいそうだったので、ぐりぐりとこめかみを押して緩慢に起き上がった。


いつも通り朝食のスープを用意しようとして、アルヴィンの視界の端に瓶が入り込んだ。先日購入した葡萄酒だ。本来16歳以下は酒類を購入できないが、質が低く料理用として売り出しているものは一部子どもでも購入できる。


半分気まぐれで、折角早く起きたのだからとアルヴィンは瓶の栓を開けて記憶を呼び起こした。野菜の皮だけを先に剥き、葉やヘタと一緒に鍋に放り込む。水と少しの葡萄酒を注ぎ、魔法でじわじわと温める。魔法の火はかなりの高温なので、ごく小さな炎でも調理には十分だ。鍋を火にかける間に身支度を整えて野菜を切り、そうこうしている間にいつもの起床時間だ。


香ばしく色付いた汁を見て、アルヴィンは顎に手を当てた。果たしてこれでよかっただろうかと記憶を巡り、母親がこの出汁を作っていたのが必ず夜で、一晩置いて冷ましていたことを思い出した。


「……冷えろ!」


さすがに冷めるまで待つ時間はない、アルヴィンは鍋の外側を凍らせて一気に冷却した。野菜のくずを取り出せば出汁が出来上がった。再び鍋を熱して切っておいた野菜を入れ、火が通った頃に塩で味を整えれば完成だ。


「んーん、おはよ」


「おはよう。飯できてるから早く顔洗って来いよ」


「んー」


エルヴィスも壁に頭や足をぶつけるうちに目が覚めて、いつも通りアルヴィンがパンを焼くまでには身支度を終えた。アルヴィンはエルヴィスが昨日の件に触れないことに内心安堵しながら、パンを乗せた皿をテーブルに置いた。


「なんかいつもと違うね、このスープ」


「ああ、ちょっと作り方を変えたんだ」


「いつものより美味しい。優しい味って言うのかな」


優しいかどうかはいまいち分からないが、アルヴィンにとっては懐かしい味だ。記憶の中の味と違う点があるとすれば、人が作ってくれたものか、自分が作ったものかだ。たったそれだけの違いで、懐かしい味のはずなのに恋しさは満たされない。アルヴィンは人の作った食事に飢えていた。エルヴィスが料理をするのは主に夕食の時だ、朝起きたら誰かが作ってくれたスープがある、アルヴィンは密かにそんな光景に憧れている。


「母親がこうやって作ってたのを思い出して、それで作ってみたんだ」


「へえ。会ったことはないけどきっと優しい人なんだろうね」


「適当だな」


「そんなことないよ、だってアルヴィンって優しいじゃん」


早くもスープを飲み干したエルヴィスが、お代わりをよそうために席を立った。いつものスープよりエルヴィスのペースが明らかに速いので、アルヴィンは早起きも悪くないなと口角を上げた。


「知ってる? 人間ってほとんど3歳の時の性格のまま大人になるんだってさ」


「それは初耳だな」


「だからね、それまでアルヴィンってきっと優しい人に育てられたんだろうなって、僕はそんな気がするんだよね」


「……朝っぱらから恥ずかしいやつだな」


なんでもかんでも素直に口にできる相棒を内心少しだけ羨んで、アルヴィンはそれを顔に出さないよう努めた。エルヴィスの言葉が本当なら、今から彼のようにはなれないだろうと思わざるを得なかった。


「なあ、エルヴィスって夢とかあるのか」


「あるよ。世界中の美味しいものを食べること」


「お前って食い意地張ってるよな」


「うん、食べるの大好きだからね」


「ああ、知ってる」


カサネは強くなるためには夢を持つべきだと言っていた。母親はアルヴィンが夢を持たないことを悲しんでいた。それでもやはりアルヴィンには、夢らしい夢は思い付かない。


2杯目のスープを飲み干したエルヴィスを見て、アルヴィンはもし夢があったなら、と考えた。もし夢があったなら、カサネのように一人で強くなれるだろうか。それともエルヴィスのように潔白な人間になれるだろうか。そんなはずがないと分かってはいるが、今は夢を見るくらいには生活に余裕がある。ならば少しくらい幻想を抱き、思いを馳せてもいいだろうか。


アルヴィンの頬に熱が集まって、カサネに挨拶をした時のような高揚感が蘇る。自分の意思で決めるのだとエルヴィスと約束した以上、自身を卑屈にさせる過去の出来事は言い訳にしかならない。


エルヴィスが全て平らげる前にと、アルヴィンも2杯目のスープをよそった。懐かしい味に背中を押された、そんな気がした。


「おはようございます!」


「んなまっ」


「エルヴィスめっちゃ寝てんじゃん! やっべウケる、おは」


キャラバンの門扉が開いてから中のソファで待ち続けて約1時間後、アルヴィンはのんびりとした様子でやってきたカサネに挨拶した。あと30分待って現れなければ今日は諦めるつもりだったが、アルヴィンは間が空くと迷ってしまう性格であることを自覚している。安堵と緊張がないまぜになった複雑な感情で小さく頭を下げた。アルヴィンが勢いよく立ち上がったことで、隣で微睡んでいたエルヴィスは奇声と共に目を覚ました。


「んで? もしかして昨日のこと?」


「はい、パーティのことで。俺たちと組んでください」


「うんうん、てことは結成決定?」


「あの、それでひとつお願いがあるんです」


アルヴィンは唾を飲み込んで、やけに渇いた喉を湿らせた。口内は舌が貼り付くほど渇いているのに、米神はうっすらと汗ばんでいる。


「カサネさんは昨日、組んだ方が都合が良いはずだって言いましたよね。だけどもし性格や考え方で俺たちとやっていけないと思ったり、都合が悪くなるようだったらパーティを解散してください」


「お願いって……そういうの?」


「はい。俺たちはカサネさんと組んで多くのものを得ると思います。その全てに報います。何ひとつ無駄にしません、きっと強くなります。なのでカサネさんが愛想を尽かすまで、どうかよろしくお願いします」


カサネはアルヴィンの言葉に呆けて瞬きした。


「真面目過ぎん? ビビるわ……」


何はともあれパーティを組むことになり、エルヴィスは2人の手を取り握手させた。


カサネはエルヴィスの飄々とした横顔を一瞥した。表情が豊かなはずなのに、アルヴィンと比べて何を考えているのかが読み取りにくい。それでも好かれているのは分かるので、カサネは深く考えるのはやめた。


「そう言えばカサネさんの夢ってなんですか? 実はちょっと気になってるんです」


「え、聞いちゃう? なんかちょっと恥ずいんですけど」


「壮大な夢って言ってましたよね」


「んー、そうだなあ……アルヴィンの夢を教えてくれんならまあ答えてやらんこともない的なー」


「いや、俺は夢なんて……なりたいものなんてないですし」


「えー、別になりたいものだけが夢じゃないよ? やりたいこととか、欲しいものとか。これやっとかないと死に切れないなーってのとか」


カサネの言葉でアルヴィンの脳裏に浮かんだのは母親の姿だ。6歳の頃、エルヴィスと出会う少し前に突然姿を消してしまった。慌てて探しても見つからず、貧相な借家の窓が強風に叩かれる音を聴きながら帰りを待っていたが、結局母親が戻ることはなく、家賃を払えないアルヴィンは住処を叩き出された。


「……母に、もう一度会うことですかね」


「捨てられちゃったの?」


カサネの発言は何も知らない者から見れば無神経で配慮に欠けるが、実際のところ魔物退治の冒険者には孤児が多い。命の危険があり人気の高い職業ではなく、常に需要があり腕さえあれば高額な収入が得られる。家も学もない孤児が生活のためにとる選択肢のひとつだ。リンガラムの国営キャラバンでも聖火の鏡でも大差はない。


「俺の母はそんな人じゃないんです。会って何かを要求する気はありません、ただどうしていなくなったのかとか、元気でやっているのか、知りたいんです。だからちょっと探してみようと思って」


「ふうん、いいんじゃない? アルヴィンのお母さんは幸せだねー」


「え?」


「そうやって言ってくれる息子がいんだからさ」


薄々悟ってはいたが、アルヴィンはカサネも孤児なのだと確信した。そしてカサネが親に対して良い感情を抱いていないことも察することができた。


「ま、別になんでもいいわけよ。ほらあ、私らって基本親なし金なし学なしの、使い捨ての人間ばっかじゃん。だったらせめて、このためなら頑張れるってものがなきゃじゃん。自分で自分を支えなきゃだからね」


カサネはぱっと笑って結論付けた。アルヴィンはこれ以上親について話すこともないだろうと、カサネの言葉に頷いた。


「それで、カサネさんの壮大な夢ってなんですか?」


「ふっふっふっ……素敵な家族を作ること!」


「……え?」


「やっば恥ずっ! 乙女かよ!」


「わあ、いいなあカサネさん、素敵な夢だね!」


「えっへっへっへっへへ、でしょ? あ、でもやっぱちょっと恥ずい」


そう言えば彼女は自分たちより2歳年上だった、2歳年上なだけの少女なのだと、アルヴィンは気が付いた。


まだ臆病と卑屈さは心に纏わりついている。カサネはきっと、自分がエルヴィスと助け合いながら辛うじて生きている間も、夢という形の無いもので自身を支え続けていたのだ。だからこそアルヴィンにとってカサネは眩しく、尊敬に足る人間だ。それでもカサネの夢が年相応であることがなんだか微笑ましくて、アルヴィンは口角を上げた。


「アルヴィン、お母さんに会えるといいね」


「ああ……うわ、なんか恥ずかしくなってきた」


先程カサネが夢を口に出して照れたように、アルヴィンも顔を赤らめた。エルヴィスに横でくすくすと笑われて、アルヴィンはつい陰気な視線を向けた。


「気に食わない」


「なにが?」


「俺もカサネさんも恥ずかしくなってるのに、お前だけ平然としてるのが」


「だって僕恥ずかしいこととかないし」


「いーや、絶対なんかあるはずだ。この際夢じゃなくてもどうでもいいから暴いてやる」


「えぇ? あーもう、仕方ないなあ」


本当にないんだけどなぁ、と困ったように呟いたエルヴィスは、ひと呼吸置いて手を叩き合わせた。なにかを閃いた時によく見せる仕草だ。


「それじゃ、こんなのはどう?」


「なんだ、言ってみろ」


「いつかアルヴィンが夢を叶えた時、僕の秘密を教えてあげる」


アルヴィンは力の抜けた表情で目を丸くした。潔白だと思っていた相棒に隠し事があるとは思っていなかった。


「なんで今じゃないんだ」


「そうだなあ……君が夢を叶える頃には、今よりもっと多くのものに触れてると思うんだ。そしたら僕の秘密なんて、些細なことのように聞いてもらえるでしょ?」


アルヴィンは曖昧に頷いた。今エルヴィスの秘密を聞いたところで受け止められないと思われていること、相棒に余裕のなさを見破られていることがなんとなく恥ずかしかった。


「ほらー、さっさと今日の仕事決めるよー!」


掲示板の前で振り返ったカサネに呼ばれて、アルヴィンとエルヴィスは早足で駆け寄った。

カサネは既にいくつかの依頼書に目をつけていて、その中のひとつをアルヴィンたちに差し出した。


「パーティの調整も兼ねて白銀階級のこれでいいんじゃないかなーって」


「そうですね」


「僕も賛成で!」


「ぃよっし、満場一致! そんじゃパーティでの初仕事、行ってみますか!」


アルヴィンは張り切るカサネを急ぎ足で追い掛けた。カウンターの向こうでは事務員の1人が、カサネがパーティを組んだことに驚いている。


アルヴィンは頬を軽く叩いた。昨日のカサネの真似事だ。ただ、内容はアルヴィン自身の言葉だ。


「俺は強い、俺は勇気がある、俺はもっと強くなる」


アルヴィンは根拠もなく夢が叶うような気がした。

エルヴィスの故郷と一緒に母親を探し、訪れた先で名物料理を食べる。きっと楽しいに違いない。


カサネとエルヴィスが自身を急かす声が聴こえて、アルヴィンは緩む頬をもう一度叩いて2人の元へ向かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ