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言い訳のしようがない、完全なる敗北だ。アルヴィンはカサネが差し出した手を借りて立ち上がり、大人しく首を垂れた。


「あっはははは、どんなもんよ!」


「参りました、俺の負けです」


「べーわ私マジ強い!」


「カサネさん強い! すごい、かっこいい、美人、最強、世界一!」


「もっと褒めていいよ!」


エルヴィスが高速で手を叩きながらカサネと騒ぐのを見て、アルヴィンは笑うしかなかった。まさか気持ちの良い負け方ができるとは思っていなかった、悔しさもあるが清々しい気持ちだ。


「カサネさん、俺の魔法全部躱してましたよね。どう来るか分かってるみたいでした」


「ああうん、んーとね、音が聞き取れんのね。ちょっと説明むずいんだけど、ごおおおって音のごとか、ひゅおおおって音のひゅとか、音の一番最初の一瞬がよく聴こえるんだよね。だからアルヴィンがこの辺に氷出そうとしてるなーとか、足元ひび入ったなーとか分かったのね」


「……耳、悪いんですよね?」


「まあ良くはないんじゃん。多分他の人からすると、ちょっと特殊な聴こえ方なんだろね」


「ううん……?」


アルヴィンにはどうもカサネの聴覚は理解できない。分かるのはそれが自分の攻撃を全て捌くほど強力なものということだけだ。カサネが魔物に囲まれて無傷でいられたのもこの聴覚のためだ。


「てか土埃やばいことになってんじゃん。あー、浴場行きたい」


「とりあえず出ましょうか。ここでお喋りもあれですし」


「それな」


足元を火の玉で照らしながら、アルヴィンたちは元来た道を引き返した。途中、新月蜘蛛が額の割れた丸い頭蓋を転がしてるのを見付けて、アルヴィンは舌打ちと共に燃やしておいた。それを見たエルヴィスは、本当に蜘蛛嫌いだよね、と呆れ半分で言った。


「そう言えばカサネさん、俺に教えてやれるってなんのことだったんですか?」


「んー、ああ、あれね。知りたい? アルヴィンにぴったりの強くなる方法」


「えっ、そんなものあるんですか」


火の玉があっても薄暗いが、振り返ったカサネが本日何度目かの不敵な笑みを浮かべるのがしっかりと見えて、アルヴィンの胸は期待で少しだけ高鳴った。


「良い意味で馬鹿になって、夢を持つこと」


「へっ?」


「深く考え過ぎずに、無理矢理でも楽しむこと。心が楽しければ、頭と身体はよく動くからね」


「……カサネさんも、そうしてるんですか?」


「もち。実は私にはまあまあ壮大な夢があるわけよ!」


「はあ……」


アルヴィンは拍子抜けしたが、残念には思わなかった。手っ取り早く強くなれるはずがないと悟ってはいた。


「で、私と組む? 組まない?」


「そりゃあ、組めるなら組みたいですけど。どう足掻いても足手纏いって分かったわけじゃないですか、俺たちはいいとしてもカサネさんが……」


「だーからぁ、パーティの話は私から言い出したんだし、てかそもそもアルヴィン考え過ぎなんだって。やりたい、やりたくない、それで充分……ま、会ったばっかじゃむずいか」


「俺たちが断ったらカサネさんに不都合はありますか?」


「さあ、分かんない。ま、組んだ方が都合は良いはずなんよ。組まないなら組まないでなんとかなるもんだろうけど」


来た時と同じように柵をよじ登り立入禁止区域を出て、そこでようやく解散することになった。


ひらひらと手を振って帰路につくカサネは食事の前とまるで変わらない様子で、アルヴィンは改めてカサネにダメージのひとつも与えられていなかったことを、苦い草の汁を飲んだような気分で噛み締めた。溜息をつきたくなった。


「アルヴィンは結局どうしたいの? カサネさんと組みたい?」


「まあ、どちらかで言うならそりゃ組みたいけど……」


「はっきりしないなあ、アルヴィンは。僕だったら足手纏いだって分かっててもあなたと組みたいです、って言うけどなあ」


「そんなのただの自分勝手だろ」


「けどその後に、きっと強くなりますって誓うよ。あなたが僕に与えてくれるものに報います、決して無駄にはしません、いつかあなたの役に立って、きっと誰かに与えられるようになりますって」


理想的な回答だったので、アルヴィンは今度こそ言い返せずに押し黙った。足手纏いであることは言い訳に過ぎない、アルヴィンはそれは分かっている。アルヴィンにはそれより重大な問題があった。


「けど、やっぱり俺みたいなやつと組んでいいはずがない。あんな格好良くて凄い人……」


「酷いなあ、アルヴィン。それじゃあ君とずっと一緒にいる僕はなんなのさ」


「本当はお前とだって一緒にいていいはずがないんだ。レナルドだってそうだ、あんな素直なやつと友達になっていいはずが……」


「どうして?」


アルヴィンははっとしてエルヴィスの目を見た。口を滑らせてしまったことに気付いたがもう遅い、エルヴィスに覗き込まれたじろいだ。


エルヴィスとは9年間も共に暮らしてきたのだ、気楽で遠慮のいらない関係だ。それでもアルヴィンはエルヴィスがたまに見せる、人の心を暴くような瞳だけは苦手だ。ずっと見つめられると過去まで見破られそうな気分になる。アルヴィンは急いで足を進めた。


「なんでもない、忘れてくれ」


「どうして?」


「どうしてもだ、頼むから」


「今のそれがアルヴィンが自分を卑下する理由なんでしょ。僕の知らないところで何かがあって、それで」


「うるさいな!」


アルヴィンに怒鳴られて、エルヴィスは困ったように口を閉じた。


アルヴィンがいつもどこか遠慮がちで臆病な理由がそこにある、そう気付きはしたが暴くことはできそうにない。エルヴィスはどうしたものかとひとつ唸って、早足で前を歩くアルヴィンの横についた。


「……悪い、怒鳴って」


「別に怒ってないよ。それより僕は他のことに怒りたいね」


「お前が怒ることなんかあるのか」


「あるよ。何があったのかは知らないけど、そうやって物事を決めようとしてること。組まないなら組まないでいいけど、そうやって決めるなら僕は怒るよ」


アルヴィンは唇を引き結んで目を伏せた。何も言い返せそうになかった。


「何かのせいで決めるのは駄目だよ。君自身の意思で決めるんだ」


アルヴィンはエルヴィスの言葉に何も返さずに歩き続けた。エルヴィスはそれが気に食わず、アルヴィンの手を引っ張って念を押した。そんなやり取りを3回ほど繰り返した後、アルヴィンはようやく小さく頷いた。


その日の夜、アルヴィンは夢を見た。母親に手を引かれて歩きながら砂利を踏み鳴らしている夢だ。


母親は1人でアルヴィンを育てていた。お世辞にも裕福とは言えない生活だったが、それでもアルヴィンがひもじい思いをすることがないようにと懸命だった。


「もう大分涼しくなったわねえ、青の月ももう終わりだもの」


「うん。それより、手なんか繋がなくたって転ばないよ!」


「いいじゃない、繋いでいたって」


忘れていたはずの記憶を夢に見ることはたまにある。この時、アルヴィンは近所の子どもに遊びに誘われていたが、それを断って母親と買い物に出掛けていた。


「エルマーさんのお店は、月の最終日は安売りだからねえ。それにアルヴィンがいるとおまけまでしてもらえるもの」


「そうなの?」


「アルヴィンが良い子だからかしらねえ」


子ども好きの店主のおまけを目当てに、母親はよくアルヴィンを買い物に連れて行った。いつものことだったので、アルヴィンはそれを特別不満に思ったことはない。


「ねーねー! あのね、あたしね、大きくなったらパン焼く人になる!」


「そうかそうか、お前の焼いたパンはきっと美味いだろうな」


「お父さんにもあげるね」


すれ違った親子を見て、母親はふうん、と鼻を鳴らした。アルヴィンは母親に何かになりたいと言わなかったし、考えもしなかった。母親は他所の子どもより若干所帯じみたアルヴィンのつむじを見下ろして何気なく尋ねた。


「アルヴィンの夢はなあに? なりたいものとかあるの?」


「夢? ないよ、そんなの。それより早く行こうよ、売り切れちゃうよ」


自分がそう言った時の母親の顔を、アルヴィンはよく憶えていない。なんとなく切なそうな顔をしていたような気はしている。それよりも印象に残っているのはその後の言葉だ。母親はぽつりと零したつもりだったのだろうが、アルヴィンの耳はしっかりと聞き取っていた。


「夢のひとつでも見られるくらい、余裕のある生活をさせてやれれば良かったんだろうけどね」


まだ小さい子どものアルヴィンは、自分が何を言いたいのか分かっていなかった。しかし今なら明確に言葉にできる。


そんなことを伝えたかったんじゃない、生活に余裕はなくても、夢なんかなくても、俺は十分楽しかったと。


「あの、これ落としましたよ」


「え? あら、これは私のものでは――」


母親が後ろから若い男に声をかけられ振り向いた。

アルヴィンはそこからの出来事をほとんど憶えていない。憶えているのは強烈な腐臭と、身体を吹き飛ばそうとする突風だ。


他の全てを忘れたり、記憶の奥底に押し込むことはできても、これだけはアルヴィンの心にこびり付いて落ちはしない。

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