手合わせ
カサネに導かれるまましばらく歩いて行き、アルヴィンたちがたどり着いたのは立入禁止区域だった。カサネが身長の3倍はある柵を登って躊躇いなく足を踏み入れたので、アルヴィンは慌てて制止した。
「カサネさん、まずいですって!」
「大丈夫だってー」
「危ないですよ、地面落ちたらどうするんですか!」
「崩落崩落言われてるけど案外平気よ? 地面落ちそうだったら分かるし」
「だってさ。行ってみようよ、アルヴィン」
エルヴィスにまでそう言われて、アルヴィンは戸惑いながらも結局カサネの後に続いた。
昨日カサネが仕事をしたのはこの区域の地下だ。地下に棲む虫の魔物たちは、基本的に明るい場所を嫌い地上には出てこないので地上の住人には危険はない。しかし地下に人が現れれば当然襲う。地下からの補修が進まないまま老朽化した結果が立入禁止なのだ。しかしカサネは現時点での崩落の危険性はほとんどないと判断している。
「うわっ、何か踏んだ……えっ、骨?」
「あー、たまに落ちてんだよね、多分犬とかが虫系に食われたやつ。この辺って人いないし、もしかしたら夜は地下から出てきてんのかも」
「それって地上も危ないんじゃ」
「まあこの辺以外は平気っしょ、外灯あれば寄ってこないだろうし。ほら、着いたよ」
かつて工業区域だった時に使われていた機械などがいくつか放置されている。用途はまるで分からないが、アルヴィンは少しだけ興味がそそられた。その間を潜り抜けるようにして進んでいくと開けた場所に到着した。
「そんじゃアルヴィン、手合わせしてちょーだいな」
「えっ?」
「手合わせ。ここなら人も来ないし、例の武器出してもいんじゃない? そのために来たんだから」
「いや、あの、ですから、本当に危険なんです。いくらカサネさんが強くても下手したら死ぬくらいには」
「へえ。今持ってないとか言えばいいのに、わざわざ説明してくれんのね。やっぱ今あるんだ、その武器」
「え……あっ」
先程から自身の発言に首を絞められ続け、アルヴィンは息を詰まらせた。慌てふためいているアルヴィンを見れば、ほとんどの人は慣れないその場凌ぎの言葉を吐いていることが分かるだろう。カサネにも簡単に見抜けた。
「訊くけどさあ。その武器を手放す気はないんでしょ? ずーっとそうやって誰にも見せないの? エルヴィス以外誰とも組まないで、誰にも話さないで」
カサネは小さく笑った。その表情は先程一瞬見えたような妙に大人びたもので、アルヴィンは胸骨を殴られたような心地になった。
「寂しいね、可哀想」
その一言で何故か、アルヴィンは顔に血が集まるのを感じた。何故魔法を見せるのを拒んだだけでそんなことを言われなければならないのか、怒りに似たものがふつふつと湧き上がった。
「……カサネさんに言われたくありません」
「へえ?」
「カサネさんこそ寂しいんじゃないですか。ずっと1人でやってきて、組んでもいいかなって奴には組めないって言われて」
「……ふうん」
アルヴィンなりに言い返したつもりだったが、カサネは堪えた様子もなく不敵に笑っている。アルヴィンはそれが気に食わなかったが、口論になるよりはと強制的に話を終わらせることにした。
「とにかく! 舐めてたら本当に危ないんです、俺はそれで手合わせする気はありません!」
「舐めてんのはアルヴィンっしょ」
「はあ?」
「金階級の最年少記録相手に、自分が絶対勝てるって思ってるあたり。思い上がりってーの? 恥ずっ」
「カサネさんは怪我でもしないと分からない人なんですか?」
「はいはいはい、ちょっと待って!」
段々と険悪になっていくのを見かねて、エルヴィスが2人の間に割り込んだ。エルヴィスは宥めるようにアルヴィンの肩を叩いた。
「いいんじゃないかな、手合わせ」
「はあ? ふざけるなよ、怪我したらどうするんだ!」
「ちょっとくらいの怪我なら大丈夫じゃない? ほら、これもあるしさ」
エルヴィスが鞄から取り出したのは、少し前にアルヴィンがハイランズで購入した霊水の瓶だ。だからと言って、と尚反対するアルヴィンに、エルヴィスはそっと耳打ちした。
「カサネさんは本当に強いよ。多分君が本気で殺そうと思っても殺せない。だからアルヴィン、安心しなよ」
「は? いや何を根拠に」
「カサネさん! アルヴィンと手合わせ、お願い!」
「よしきた!」
「おい、ちょっと待っ……」
エルヴィスに強く腰を押されて、アルヴィンはよろめきながら前に出た。カサネも口笛をひとつ吹いて、背中を反らして簡単な準備運動をした。
カサネはやる気に満ち溢れているし、エルヴィスは少し離れた場所から応援をしている。アルヴィンは大きく深い溜息をついた。
「……俺の武器を見せます」
立入禁止区域は街灯がないためどうしても視界が悪い。今は月が出ているが、雲で隠れてしまえば真っ直ぐ歩けるかも分からない。アルヴィンはまず周辺にいくつかの火の玉を生み出した。
「俺の武器はこういうものなんです。俺は魔法と呼んでます」
「魔法ねえ……なるなる、こりゃ見せらんないわな」
「はい。基本は火、水、風、土の4つ、そこからの派生で氷と石も操れます。俺の想像を再現するようなものなので、威力もありますし広範囲に使えます。だから危険なんです」
「ふうん……おけ! それじゃ、この辺壊滅させるくらいの魔法はなしってことで。私も鞘つけたままでいくから」
「本当にやるんですか」
「もち」
アルヴィンには不安しかなかった。剣ならともかく、魔法を使って行ったのは一方的な駆除だ。アルヴィンもカサネも殺すことに秀で過ぎている。悲惨な結末を想像したアルヴィンは慌てて頭を振った。
「私は強い。私は勝つ。私は決して臆さない。そんでアルヴィン、あんたに良いこと教えてあげる」
「え?」
「さてと、いくよ!」
カサネが駆け出して、アルヴィンも慌てて剣を抜いた。
後ろから見て速いのは分かっていたが、自分に向かって来られると一層速く見える。アルヴィンは辛うじて初撃を受け止めたが、叩き落とした穂を起点に回転したもう片方の刃が頭上に襲い掛かる。
かあぁん、と甲高い音と共にカサネの刃を受け止めたのは氷の盾だ。カサネはふうん、と呟いて1歩下がった。
「なるほどね、そういうのもありなわけ」
アルヴィンは鼓動が速くなるのを感じて舌打ちしたくなった。なんとか凌ぎはしたものの、魔法を使わなければ防げなかった。そしてカサネも様子見の攻撃だ、剣でやり合えば到底敵う相手ではないと、早くも悟ってしまえた。ならば魔法で攻めるしかないと、アルヴィンはカサネの足元の土を操った。
め
「おっ」
きっ、ばきばきばきっ。
「とぉ?」
土の柱が突き出ると同時にカサネが飛び退いた。多少驚きつつも難なく避けたカサネを見て、アルヴィンは連続で魔法を使った。しかし土の柱は躱され、氷の矢は打ち割られ、アルヴィンは額に汗を浮かべた。本気を出していないとは言え、まるで予測しているかのように全てに対処されるとは思っていなかったのだ。
「ちょ、マジか、連発はキツイわ」
「全部避けながら言いますか!」
ぱちっ。
右後ろから聴こえた音で、カサネは瞬時に判断した。アルヴィンが使う魔法は四大元素に基づいたもの、そしてこれは恐らく火花の音、つまり火が向かってくると。
「あちちっ」
ごぉおお、と炎がカサネに向かう。しかしそれさえ高速で回転する槍に散らされて、アルヴィンは愕然とした。魔法の炎は数分で魔物たちの肉を燃やし尽くし灰にできる。だと言うのに木製の槍は燃えず、カサネも熱した油が跳ねた程度の反応だ。それに死角からの攻撃だと言うのに、並ではない反応速度で防いで見せた。
「あーもう、2人とも程々にね!」
地面は既に平らではなくなっていて、エルヴィスは慌てて距離を取った。アルヴィンは既に崩落の可能性を忘れており、ひたすらカサネの足場を崩しにかかる。
「っと、うわわっ」
カサネがバランスを崩しよろめいた。アルヴィンは好機とばかりに炎の雨を降らせたが、そこではっと我に返った。
――まずい、燃やしてしまう。
今更冷静さを欠いていたことに気が付いて、アルヴィンの顔から血の気が引いた。
「カサネさ――」
だぁん、と地面が大きく鳴った。カサネが強靭な右脚でもって打ち鳴らしたのだ。
脚の筋肉が隆起し、地面に倒れ込みそうになっていたカサネの身体を持ち上げ跳ね上げる。カサネは降り注ぐ炎の合間を跳び、続いての2歩目で大きく踏み出し、勢い良くアルヴィンに向かって蹴り出した。
カサネは危険の中に晒されて尚勝つ気でいるのだ、そう気付いたアルヴィンは振り下ろされる刃を魔法で防ごうとした。ひゅおお、とカサネの耳に冷気の集まる音が届いた。
「上」
ぱきききっ。
「じゃないよ」
アルヴィンが身体の前に作り出した氷の盾は、カサネの攻撃を受け止めていなかった。獣のように低い体勢で自身の足元にいるカサネを認めた次の瞬間、アルヴィンはひっくり返った。一瞬でカサネに足を掬われていた。
「はいっ、とった!」
アルヴィンの眼前に槍を突き付けて、カサネは得意気に笑った。
アルヴィンはとても信じられなかった。自身の攻撃が全て捌かれたことも、槍に焦げひとつ付いていないことも、カサネがほとんど倒れかけの体勢から片脚で持ち直して攻撃に転じたことも。
ふと、アルヴィンは他の団員との今朝の会話を思い出した。それは突き付けられた敗北からの現実逃避に違いない。アルヴィンは両手で顔を覆いたくなった。とにかく猛烈に恥ずかしくてたまらない。叫び出したくて仕方がない。
――足と腰が素晴らしいってこういうことかよ!




