魔法の炎
「それにしても人の気配がまったくないな」
「地下通路は広いかんな。図面は持ってっけど、どこに何があんのか俺も大まかにしか把握してないから、絶対はぐれんなよ」
1時間ほど歩き続けても手掛かりは見つからない。
足の疲れを誤魔化そうと、アルヴィンは缶の中に入れていた干し葡萄をつまんだ。すると今度はウィツィが横から手を伸ばして勝手につまんでいったので、アルヴィンは即座に蓋を閉じた。
ウィツィはアルヴィンの物言いたげな視線に気付かない振りをした。アルヴィンは小さな溜息をついて、まあいいけど、と呟いた。
「こっちはどうなんだ?」
「そっちは駄目だ。老朽化とかで崩落の危険性があんだよ。たしか地上も立入禁止区域だな。ま、別に今すぐ崩落するってことはないだろうけど」
「へえ……そういう所にこそいそうな気がするけど」
「どうだろうな。けど俺らは仕事中に死なないことが何より大事だし、危険な場所にはあんま入んない方がいいわな」
「けど多少無茶しないと仕事にならないんじゃないか。それに俺たちは魔物退治が本業なんだし、荒事のために呼ばれたんだろ」
「無茶する時はすっさ、けど今はそういう段階じゃないしな」
若えなあ、と笑われて、アルヴィンはむっと眉を寄せた。ウィツィの外見が若いので余計に気にくわない。
「彼の言う通りだ、賢者の教典もそんな依頼を1日で解決できるなんて思っていないよ。誘拐された子どもの方が緊急性は高いさ。時間が経てば経つほど見つからなくなるからね」
「はあ……そんなものなんですか」
「ちょっと待て」
ウィツィが急に立ち止まったので、後ろを歩いていたアルヴィンはその背中にぶつかった。声を掛けようとしたが、ウィツィが口元で人差し指を立てるのを見て押し黙った。
「何か聴こえないか」
「ん?」
「こっちの方か? 何か音が……」
ウィツィがなるべく足音をたてないように進んで行き、アルヴィンとジャンも一言も発することなく着いて行った。
しばらくすると、三方向に分かれる通路が見えた。手前のやや広い空間にたどり着いて、ウィツィはそこで立ち止まった。
「んー、何か聴こえたと思ったんだけどな、こっからどう行きゃいいんだ」
「気のせいってことはないか?」
「いやー、そんなこたぁないはず……」
改めて全員で耳を澄ませてみても、やはり何も聴こえない。やはり気のせいだったのだろうかと、ウィツィはそれ以上粘ろうとしなかった。
しかしウィツィが左に進むことを提案したその時、男の野太い悲鳴が響き渡った。
「うがあぁぁああ、あっ、ひいぃ、あああぁっ!」
3人はぱっと声のする方向を向いた。これから進もうとしていたのと反対の右の通路からだ。アルヴィンはすぐに駆け出そうとしたが、ウィツィに腕を掴まれて止まった。
「危険かもしんないから、俺が先頭で行く! アルヴィンは後ろを頼む、ジャンさんを挟んでくぞ!」
「けどこの中じゃ戦力的に俺が先頭の方がいい、危険なら尚更だ」
「いいから! 俺は並大抵のことじゃ死なないからいいんだよ!」
ウィツィに気圧されて、アルヴィンは大人しく2人の後ろを着いて行った。
少し進むと、男の悲鳴だけでなく別の高い声が混じり始めた。ただただ喚き散らかすようなそれは、街中で聴くような子どもの泣き声だ。
「なあ、なんか変な匂いしないか」
「そうだな、焦げ臭いっつーのか、これ」
男の悲鳴が徐々に弱まり、子どもの泣き声は一層大きくなる。そしてウィツィが次の分かれ道を右に曲がってすぐ、地面をのたうち回る男とその側で泣き喚く子どもの姿が見えた。
「なんだこれ、火!?」
男の顔と、目蓋を押さえる手が燃えていた。表皮がなくなり剥き出しになった肉が縮んでいくのが見えた。
男は最早悲鳴をあげることもなくがくがくと震えるだけで、ウィツィは慌てて皮袋の中の水をかけた。蒸気が身体に当たって、ウィツィはあちち、と呟いて1歩下がった。
「駄目だ、消えてない! ジャンさんとアルヴィンも水あれば頼む!」
「分かった、これを!」
「アルヴィンも!」
「えっ、あっ、ああ」
アルヴィンは困惑していた。けして大きく燃え盛っているわけではないのに水をかけても消えない炎。そしてやや離れた位置に立っているにも関わらず伝わってくる、普通の炎とは異なる圧倒的な高温。
まさかとは思ったが、アルヴィンにはそうとしか思えなかった。ジャンが水をかけるがやはり炎は消えない。アルヴィンの瞳が金色に光った。
「ジャンさん、ちょっとどいてください!」
アルヴィンは水筒の中の水をかけるのと同時に、魔法で男の顔の上に水を作り出した。大量の蒸気が目隠しに好都合だ、アルヴィンはそのまま魔法で水をかけた。
普通の水ではなかなか消えなかったが魔法で簡単に消すことができた。しかしどうしても信じ難く、アルヴィンは未だに泣き続ける子どもに目をやった。
「あっちぃし視界も悪ぃ」
「少年、落ち着きなさい。我々は君に危害は――」
ジャンが子どもに手を差し出すのを見て、アルヴィンははっとした。子どもの瞳がジャンを捉えて、その瞳を見たアルヴィンは驚愕した。
子どもの瞳は金色だった。不自然に輝いていて、それはアルヴィンが魔法を使う時と同じ光だった。
子どもとジャンの間に火花が散って、アルヴィンは慌てて即座に消火した。ジャンは突然自分の目の前で生まれた蒸気に驚いて尻餅をついた。
「今のは一体……」
「ジャンさん、ヤベェってこれ! 一応まだ生きてっけどどうするよ!」
ウィツィの声に我に返ったジャンが、男の顔を見て息を呑んだ。押さえていた手と顔の皮膚が融けてくっ付いた状態で炭化し、赤い肉と白い脂肪が所々剥き出しになっている。男は喉の奥から小さな呻き声を零すばかりで、何があったか聞き出すなど到底できそうにない。
泣き続けている子どもの背格好や特徴は事前に確認したものと一致している。取り乱しているので名前の確認は出来そうにないが、子どもが泣き喚いているのだ。例え今回探している子どもでなかったとしても何かしらの事件の被害者で間違いないだろう、ジャンはそう判断した。
「こっちだ! こっちからあいつの声がした!」
「ガキは生きてんだろうな!」
おそらく誘拐に携わったであろう複数の男たちの声と足音が近付いてきて、ウィツィは舌打ちして子どもを抱き上げた。
「逃げんぞ!」
「分かった! ジャンさんと先行ってくれ!」
「よし、あんま無理すんなよ!」
間もなく男たちがやってくるのが見えて、アルヴィンは用意していた小瓶の蓋を外した。男たちが駆けてくるのを見計らい魔法で地面に氷を張れば彼らは見事に滑って転がった。
後ろを振り返るとウィツィたちの姿はもう見えない。アルヴィンは立ち上がるのに苦戦する彼らに直接液体を振りかけた。
「おい小僧、なんのつもりだ! なんだこれは!」
「さあ、なんだと思う? 俺がマッチに火をつけてお前らに放り投げればすぐ分かる」
アルヴィンがマッチを取り出して口の端を吊り上げれば、液体の正体を油かなにかだと勘違いした何人かの顔から血の気が引いた。重度の火傷を負った男が通路の端に転がっているのも彼らの勘違いを手助けした。
「おいこいつやばい奴だ!」
「早く立て! 逃げろ!」
アルヴィンは男たちが必死に逃げ出すのを間抜けた顔で見送った。
液体の正体は野菜の汁やインクを混ぜたもので、魔法の使用を誤魔化すために用意したものだ。予想以上にうまく勘違いして貰えて、アルヴィンは瞬きして頬を掻いた。
たしかに顔を焼くという行為は非人道的だ。彼らにはアルヴィンが、まるで自分たちにかけられたどす黒い深緑の液体のような、人間離れした色の血が流れる悪魔にでも見えていたのだろう。
しかし逃げる男たちの少し先で誰かが脇の道から現れた。アルヴィンはそれに気付き慌てて声を張り上げた。
「そこの人逃げろ!」
「ん?」
よりにもよって現れたのは女性で、人質にされたら最悪だ。魔法を隠している場合ではない、アルヴィンは再び瞳を金色に輝かせた。
「あー! なるなる、かしこまり!」
女性は陽気な声をあげ、肩にかけていた槍の柄で向かってくる男の顎を殴った。続いて鞘のついたままの穂で別の男の鳩尾を突き、そのまま男の上に乗り上げた勢いで回転させた石突きを、もう1人の脳天に叩き付ける。流れるように男たちを気絶させていく女性を見て、アルヴィンは開いた口が塞がらなかった。
「んー、こんなもん?」
「あ……あの、怪我とか大丈夫ですか……」
「おっつー、頑張ってんね! んじゃ、私はこれで」
「え、ちょっと?」
男たちは皆急所に見事な一撃をくらっている。軽やかな足取りで去っていく女性を呆けた顔で見送って、アルヴィンはぽつりと呟いた。
「話通じてないけどすげえ……ん?」
薄暗く視界が悪いのではっきりとは見えなかったが、アルヴィンはその女性に見覚えがあるような気がした。
ゆるやかに波打つ長い黒髪と細い槍、間延びした声、噛み合わない会話。そして今朝持っていかれた「崩落の危険性がある地下通路に出没する牙蟲の討伐」の依頼書。
「もしかして……」
胸に湧き上がる得体の知れない高揚。アルヴィンはこれに覚えがあった。まだ8歳だった頃、国営キャラバンに登録した日に覚えた感情。そんな場合ではないのに、下手くそな剣を振りたくなった昔の感情を思い出した。
その後、念のため男たちの両手足を拘束し、アルヴィンはうろ覚えながらもなんとか道順を逆戻りして集合場所に向かった。その頃には子どもは落ち着きを取り戻し、エルヴィスに与えられた菓子を齧っていた。
子どもの名前を確認したところ、やはり捜索を依頼されていた人物で間違いなかった。戦神の祝福の依頼はこれで達成だ。
「ところで俺たちが遭遇した奴らが賢者の教典の調査対象って可能性はないか?」
「そういや逃げんの優先だったかんな、確認してねえわ。アルヴィン、あいつらはどうした?」
「気絶した状態で縛ったまま放置してきた。周りにランプ置いてきたから新月蜘蛛は来ないと思うけど」
「よっしゃ、んじゃそいつら回収してくっか。他にお仲間いなけりゃそのままだろ」
男たちを転がしたままの場所に戻って気絶していた男たちを叩き起こし、手だけ縛った状態で縄で繋ぎ連行する。
その場に居合わせた3人とエルヴィス以外の冒険者たちは顔が焼けた男を見て悲鳴をあげて騒いだ。大地の盾の1人の武器が槍だったので、両端に布を縛り付けその中に入れて担ぐようにして運ぶことになった。こうやって使うもんじゃないのに、と槍の持ち主が文句を言った。
そうしてようやく地上に戻った頃には地下に入ってから7時間が経過していて、皆安心した様子で深呼吸して身体を伸ばした。
「ねえウィツィ、あの人どうして顔があんなに焼けちゃったの?」
「あ? ああ、俺らが駆け付けた時にはもう顔に火がついてたんだ。たしかに、火種っぽいもんもなかったのに何でだろうな……」
「ウィツィってこういうの見たことある?」
「あるわけねえっつの、マジでビビったわ。人体自然発火現象だっけか? 都市伝説かと思ってたけど本当なのかもな」
ウィツィとエルヴィスの会話を聞いて、アルヴィンはジャンと手を繋いでいる子どもを一瞥した。
この子どもは2人が話しているそれを自分がやったのだと気付いているのだろうか、気付いていたとしてそれを誰に話せるのだろうか。アルヴィンはそれが気になったが、まさか訊くわけにもいかない。心の内は靄がかったまま、ジャンにサインを貰って依頼は完了した。
時間は既に夜の8時、キャラバンはもう閉まっている。完了報告は明日することにして、アルヴィンとエルヴィスは疲労で重い脚を動かしつつ帰路についた。
「なあエルヴィス、お前ってさ。なんで俺が魔法使った時、すぐ信じられたんだ?」
「ええ、なに? どうしたの急に」
「いやさ、だって普通はただの人間が炎やら水やら出せるなんて信じられないだろ」
「そう言われても、僕が自分の目で見たことだったから。そうだなあ……僕はアルヴィンの言葉じゃなくて自分の目を信じてるんだ。僕は射手やってるだけあって目には自信があるからね」
「なんだそれ」
アルヴィンは少しだけ落胆して溜息をついた。もっと感動的な言葉を期待していたが、エルヴィスにそんなことを期待してはいけないのだと再認識する結果になった。
「で、どうしてそんなことを?」
「あの子ども、魔法使いだった」
「へえ」
「反応うっす」
エルヴィスはあんまりにも反応が薄い、と言うよりも興味なさげだ。エルヴィスは魔法使いではないし仕方がないと思いはしても、やはりアルヴィンは複雑な気持ちになった。
「だって実際すぐ隣に魔法使いがいるしね。もう1人か2人か、3人くらいはいても驚かないよ。それよりお腹空いたなあ。ねえアルヴィン、僕今夜は豚肉の気分だなあ」
「ああそう、そうかよ」
あんまり呑気な相棒に呆れ半分で返しつつ、アルヴィンはきっとこれは幸せなことなのだと考えていた。
自分の秘密を誰かと共有できる、拒絶されない。少なくとも孤独ではない、それだけで妙に安心できてしまう。
「そこのお二人さん、寄ってかないかい? 今夜の目玉は香味野菜たっぷりの蒸し魚だよ!」
「えー、けど豚肉の気分だし」
「だったら看板料理の自家製ベーコンステーキはどうかな?」
「あっ、美味しそう! ねえアルヴィン!」
「ああもう、分かった分かった……」
だからと言って甘やかしてしまうのを直せればいいのだが、どうも厳格にはなり切れない。多少我慢させても、最後には折れてしまう。
呑気な相棒よりもそんな自分に呆れるべきだ、そう分かってはいても、結局アルヴィンはエルヴィスに引っ張られるようにして店の中に入っていった。




