表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖者の金杯 〜魔術師の慚愧、魔王の安息〜  作者: 雪月黒椿
序章とイラストコーナー
2/94

プロローグ

挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


「かみさま」


月明かりだけが頼りの、澄みきった夜には不釣り合いな光景だった。その子どもは無造作に生えた木々の隙間に転がっていた。


魔王が倒され世界に平穏が訪れる、そんなありきたりなお伽話に心躍り、友人と手を繋ぎながら家を出たのが数時間前。()()が歩いて行ける場所にあると知って伝承を一目見るためにやってきた。それだけのはずだった。そしてその友人は右腕が肩からもげていて既に息絶えている。


泥水と血糊が染み込んだ、美しく輝いていたであろう金髪と青い瞳。土気色の表皮は冷え切っていて、柔らかく丸っこい子どもの頬は強張っていた。


人は息絶える瞬間、何を想うだろうか。


理不尽に命が奪われることに怒り狂うのか、この世の苦しみから逃げ出せることに安堵するのか、人生の後悔をひとつずつ並べるのか、死ぬ瞬間までは分からない。最期の瞬間にようやく分かるのだ。


子どもには怒りも安堵も後悔もなかった。ただ生きたい、死にたくない。生への執着が子どもの身体を動かした。


肉を漁ろうとカラスが降り立とうとした時、その子どもは小さく動いた。しかし這い蹲ってまでごく僅かに移動した途端、鼻と口から泡だった血が零れていった。両脚と片腕は千切れており、腹は破れている。ほとんど死にかけの子どもは、なおしぶとく生にしがみついていた。


あと数分歩けば辿り着く距離、()()に辿り着きさえすれば、小さな手のひらのたったひとすくいでも口に含めば。そう何度言い聞かせようとも身体はそれ以上動かない。


「かみさま」


血とともに絞り出した声は濁っていて、喉からは醜い水音がした。


生を渇望するほどに、身体は少しずつ動かなくなっていく。痛みも皮膚感覚も失って、このまま目蓋を下ろして受け入れる死は、惨たらしい様に反して存外静かで穏やかに違いなかった。それでも死への恐怖が捨てられず、その子どもはようやく子どもらしく声をあげた。


「たすけて、かみさま、たすけて、たすけて」


神でなくてもいい、誰か救ってくれ、救ってくれるのなら悪魔でも構わない。そんな思いで子どもは助けを乞い願った。


子どもの目からはもはや涙は出なかったが、それはまるで泣きじゃくるようだった。それが徐々に弱まり夜の森の静寂に溶け込もうとした時、唐突に子どもの視界は明るくなった。子どもが息絶えるのを待ち構えていた獣たちが一切に散っていった。


目の前に光が集束し何かを形作っている。目がないはずの光に見られている。


子どもは何が起こっているのかも分からなかったし、霞んだ視界の中では光が何を形作るのかも見えなかった。感覚のないはずの皮膚が温もりに包まれ、不思議と恐怖は消えていた。


子どもが次に目を開いたのは柔らかな光が射す早朝だった。額を撫でる風は柔らかく痛みも苦しみも何もない。


「天国ってこういうところか……」


そう呟いてから、子どもは勢い良く起き上がった。驚愕の表情で周りを見渡すがそこはやはり無造作に生えた木々の狭い隙間だった。


固まった血が顔と髪にこびり付いたままだが、子どもはそれを気に留めはしなかった。


「生きてる……」


心臓は興奮で激しく脈打ち、冷え切っていた指先にも熱を巡らせる。彼は存分に生を噛み締めて、そうしてふと意識を失う前のことを思い出した。


なくなったはずの腕と脚はくっ付いていて自分の意思で自由に動かせる。しかも腹の傷も綺麗に塞がっている。


はたしてあの光は一体なんだったのだろうか。神が与えた奇跡だろうか。


子どもが周りを見渡しても、あるのはやはり1人の人間の生死など気にも留めない木々ばかりだった。


子どもはもう一度その場所へ向かうことにした。奇跡が起こるとすれば、這ってでも行こうとしたその場所がもたらした恩恵としか思えなかった。


そしてそこにたどり着いた時、子どもは膝をついた。


「神様、僕は助かりたかった。死にたくなかった……」


子どもは奇跡の抜け殻の前で誓った。必ず、与えられた命に報いてみせると。


1人の子どもが死から逃れたその日、人類は奇跡を失った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ