入団試験
着いた先では火狼が臓物を散らして絶命していた。
薙ぎ倒された木が乱雑に積み重なり、虫が火狼にたどり着こうと幹の上を這い回っている。更に奥のやや開けた場所には男が1人倒れている。エルヴィスが駆け寄って確認したところ既に生き絶えていた。
「この人と火狼が刺し違えたってことか?」
「けどこの人、目立つ外傷はないよ。それに得物もないみたいだし。ちょっと臭いがし始めてる。アルヴィン、洗ってあげようよ」
「え」
「ほら、泥ついちゃってる。水出してさ」
「いやいやお前、ちょっと待て」
魔物の近くにありながら外傷のない死体は妙に不気味で、アルヴィンはぎょっとして躊躇いなく触れようとするエルヴィスを引き止めた。エルヴィスは何故止められたのか分からないらしく不服そうに振り返った。
「こういうのって勝手に動かしていいのか」
「けどこのまま放置は可哀想だよ。今ならまだ綺麗だし、 早いうちに家族の所に連れていってあげないと」
「いやけどお前、素手で触るのはちょっとどうなんだ。病気が移ることもあるらしいし」
「え、それは困るなあ。けど触らないと連れていけないし」
「まあ、うん、そうだな……」
アルヴィンは困ったように腕を組んで、結論を急かすエルヴィスを押しやった。少し悩んだアルヴィンだったが、間もなく深呼吸して腰に手を当て大きく息を吐いた。
「下から、広く、四角……」
男性の下の地面が盛り上がり、彼の身体を持ち上げる。板状になった土の底を凍らせて、氷でできた車輪をつければ台車の完成だ。空けた穴にロープを通し外れないかを確認して、アルヴィンは満足気に頷いた。
「よし、これでどうだ」
「おおー」
「下る時は俺が下から支えるから、お前は上からロープ引っ張って車輪が転がらないようにしろよ。あ、あと魔物が近くにいたら言えよ」
「うん!」
そうして山道を出てからアルヴィンは辺りを窺い、誰もいないことを確認して台車を壊した。
ラセリアは周辺の住民は避難させていると言っていたが、万が一見られると面倒だ。引きずって行くわけにもいかないので、男性の遺体はひとまず布を被せて置いておき、2人はまず依頼の完了報告をすることにした。
「けどさ、これって達成したことになるのかな。1匹はもう死んでたわけだし」
「まあ、もう1匹は仕留めたわけだし……今までこういうことはなかったから、どうすべきか」
「やっぱり正直に言う?」
「そうするか、別にこれで入団試験は失格にならないだろうし。それにあの光景は正直異様だった。真相だとかは分からなくても報告しておいた方がいいだろうしな」
「そうだね、そうしよう。じゃあ僕はここで待ってるよ。動物とか来ちゃったらあれだし」
楽な方を選びやがって、アルヴィンはそう言ってエルヴィスを小突いたが、依頼主には自分が対応する方が間違いないだろうと早足で報告へ向かった。
結論から言うと、依頼書には達成のサインが貰えることになった。討伐したのは1匹のみだが、男性の遺体を運んだのをもう1匹分ということにしてもらえた。
男性の家族はラシアラン家が探すことになり、アルヴィンとエルヴィスは火狼の死体を更地に運び出して仕事を終えた。
「あの、リリアナに関係するものなどはありませんでしたか。女性物の装飾品だとか」
「そういったものは見つけられなかったです、すみません」
「そうですか……分かりました」
ラセリアは落胆と安堵を織り交ぜた複雑そうな表情で頷いた。仮にもし見つかった遺体がリリアナのものだったら、恐らく男性の家族がそうするであろう、悲痛な表情で絶望していただろう。
山火事は起きなかったし、これ以上の被害者も出ない、避難していた住人たちは戻ることができる。しかし死者はもう戻っては来ないし、その家族はそれこそ山火事に呑まれるよりも悲惨な悲しみに閉じ込められるかもしれない。感謝の言葉と共に頭を下げられてもアルヴィンとエルヴィスは虚しいばかりだが、非情にも魔物退治の現場では特に珍しくもないありふれた結末だった。
早朝に宿を出たため昼過ぎには全て片付き、2人はコルマトンに向かう列車に揺られていた。列車に乗る前に買ったパンを齧ってアルヴィンは臓物を散らした火狼の死体を思い返した。死体も死臭も慣れたものではあるが、あんなものを見ても腹が減るのがいつまで経っても不思議だ。
「リリアナさんって生きてると思う?」
「いや、死んでるだろうな」
「だよねえ。依頼は達成できたのに虚しい気持ちになるよね」
「そりゃあ俺たちがどうやったって、依頼主が一番望むものは叶わないわけだからな。けどそれはもう俺たちが気にしたって仕方ないだろ」
そっかあ、と気の抜けた返事をして、エルヴィスは干しイチジクを頬張った。
こういうことはリンガラムにいた頃からあった。気にしたところでどうにもならないのだからと、2人はそれから今日の仕事のことを話題には出さなかった。
キャラバンに戻ってから依頼書の写しを提出し、アルヴィンは事の顛末を説明した。やはりこういった例は多くないらしく、クララは人差し指でこめかみを叩いて依頼書を眺めた。
「なるほどそうでしたか。正直な方ですねえ、御二方。うーん、この場合は……」
聖火の鏡のカウンターの向こうでクララは腕を組んで唸った。近くにいた事務員はそれを見て簡単に言い放った。
「別にいいんじゃないんですか、合格で。1匹は倒したわけでしょう?」
「そうですか? じゃあそうします」
「えっ、ちょっと待ってください、それでいいんですか?」
アルヴィンは思わず割って入った。合格はしたいがさすがに適当過ぎるのではないかと、戸惑いながらクララの顔を窺った。クララはどう説明しようかとやや困ったように眉を下げて笑った。
「実を言いますと、入団試験を受けた時点で半分合格してるようなものなんです。うちも来る人来る人全員に受けてもらってるわけじゃないんですよ。ろくでなしにも受けさせてたら聖火の鏡の信用がなくなります」
「ええと、それじゃあ俺たちは?」
「私たちは目だけは肥えてるのである程度見たら分かるんですが、エルヴィスさんはとても良い腕をしているみたいですから。きっと大丈夫だろうなと思って送り出したんです」
「そうでしたか……ん? あの、俺は?」
「アルヴィンさんは、ええと、うーん……よく分からないと言うか。あ、別に弱そうとかそういう意味ではなくてですね! ええーと、そのぉ」
クララが慌てふためいていると、大きな笑い声が割り込んできた。仕事から戻ったばかりのルクフェルが、クララに助け舟を出すために歩み寄った。
「たしかに君はよく分からんな。武器は剣なのに前衛が務まるほど身体が出来上がってない。それにその剣、使い慣れたものじゃないだろう。君は一体どうやって戦ってるんだい?」
ぎくり、と肩を小さく跳ねさせたアルヴィンは、それでも顔にだけは動揺を出すまいと口角を上げて答えた。
「あー……実はその、飛び道具? そう、飛び道具を使ってるんです、普段は。剣はその、最近覚え始めようかなって」
「飛び道具ってどんなものだい。よければ見せてくれないか」
「駄目だよおじさん」
「おじさん」
「おいこらエルヴィス、ルクフェルさんだろ! すみません、後で叱っておきます」
おじさん、とルクフェルは数回切なそうな顔で繰り返した。クララは目を丸くして、ルクフェルとエルヴィスを見やった。
「アルヴィンの武器は僕たちだけの秘密だから、誰にも教えられないんだ。ごめんね、おじ……ルクフェルさん」
「もういいよおじさんで……」
「えぇーと、とりあえず合格おめでとうございます! こちらが団章になります!」
銀で作られたボタンには炎の印が入っている。紐が通せるようになっていて、服に縫い付けるも装飾品として使うも自由だ。
この日、アルヴィンとエルヴィスは聖火の鏡の団員となった。どうにも後味が悪い仕事で達成感や喜びはあまり得られなかったが、これからの仕事の場が得られたことでアルヴィンはほっと息をついた。
「ねえアルヴィン、あれ食べに行こうよ。ハビナッツとダロベリーのスコーン」
相棒があんまり呑気なので、アルヴィンは渇いた笑いを零すしかなかった。




