友人
しかし槍はレナルドに向かった瞬間に砕け散った。
レナルドは目を見開いて驚愕していたが、アルヴィンも驚いて動揺した。たしかにレナルドの身体のすぐ横に刺さるよう想像したのに、その通りにいかなかった。
「今のが魔法か……凄いな、奇跡のようだ。それにしても……はははっ、あっはっはっは!」
「何がおかしい」
「あっはっはっは、最高の気分だよアルヴィン! 君なら止めてくれると思ってた!」
レナルドはひとしきり笑って紅茶を呷り、不味いな、と呟いて砂糖を溶かした。あんまりにも状況にそぐわない行動だ。
レナルドは扉の向こうに誰もいないことを確認して、小声で話し始めた。
「初めて会った日、私が君に殺人を依頼した理由は、セルゲイにそう提案されたからだ」
「は? お前、人のせいにするっていうのか」
「まあ聞いてくれたまえよ。私は本当に良い領主になりたかった、それが最初だった。私はね、今まで誰にも興味を持ってもらうことがなかった。家族にすらだ。それに私も、あまり誰かに興味を持っていなかった」
あまりにも話の道筋が見えないので、アルヴィンは何を言っていいか分からなかった。しかしレナルドには先程のような真剣味はない。普段の雑談と同じように滑らかに語り出した。
つまりセルゲイも、最初から私に興味などなかったのさ。私の人生が台無しになろうが、人の道を踏み外そうがどうでも良かったということだ。そんな男を召使いとして置いていたなんて、滑稽な話だよ。君は分からないかもしれないが、否定してくれる人物がいないと、明らかな間違いでも疑えなくなってくるのさ。君が愚かな私を否定してくれてようやく、私は自分を疑い始めた。そこからは早かった。
セルゲイは私に、アストリール領の領主の殺人依頼を提案した。その理由は現領主が悪政を行なっているからだと。君に依頼を断られて、私は自分で調べ始めたよ。たしかにアストリール領は経済的には前領主時代よりも厳しい。しかしそれは台風と竜巻被害の復興のためだ。あれは被害の規模が大きくて、復興のために公共福祉の予算を削っていたわけだ。5年前に復興はほとんど完了したと聞いているが、それでもまだ復興に割いた予算を補填できていないらしい。
……恥ずかしいな、アストリール領の竜巻は有名な災害のひとつだと言うのに。恐ろしいだろう、私はこんな簡単なことすら分からず唆された。そして何故、セルゲイはこんな依頼を私に提案したのか。
「恐らくセルゲイは、最初から君に人を殺させるのが目的だったんだ」
「はあ? どうして……」
「そこまでは分からない。だがね、依頼先として君を提案したのも、君が魔法を使えることを調べてきたのも、君たちの住居を突き止めたのも、全てセルゲイだ。私は人に多少興味を持つようになって気付いた。セルゲイは最初から君にしか興味がない」
レナルドは先程から妙に上機嫌だ。気持ち悪いほど笑顔で、その眼差しには親愛がある。
不思議なことに、アルヴィンはそこでようやく確信できた。やはりレナルドは人を殺せる人間ではなかった。
「変だと思ってたんだ。最初に会った時の依頼書を見て、殺人依頼を書面で残すような馬鹿が、本当にこんなことを計画するのかって」
「心外だな。ああしかし、たしかに私は馬鹿だ。セルゲイの言うことを微塵も疑わなかった」
エルヴィスの言っていた素直な人の意味が、アルヴィンはようやく分かった。良いことも悪いことも何でも聞き入れてしまう、懐疑心のなさに付け込まれたのだ。
「アルヴィン、君は私と仲良くするように言われたんじゃない。逃げ出さないように私に縛り付けられていろと、そう言われたんだ。いいかいアルヴィン、バーウェア領から出るんだ。なるべく早く、できれば今日にでも。詳細はまだ分からないが、セルゲイは君の害になる」
「……考え過ぎってことはないか?」
「そう思うのが私だけならその通りだろう。しかしエルヴィスさんもセルゲイには不信感があるらしい。エルヴィスさんの言うことなら信じていいだろう」
レナルドは小切手をアルヴィンに押し付けた。アルヴィンが戸惑いながらも受け取ると、レナルドは満足気に微笑んだ。
「こんなに貰えない」
「いや、それは正当な報酬さ。受け取って貰わねば困る。それに……謝らせて欲しいんだが、殺人を依頼するために、カーター氏に君を脱退させるよう詰め寄った。セルゲイに確認したんだが、半ば脅迫めいたことまでしたようで本当に申し訳ないと思っている。金で解決していいとは思わないが、せめて君に受け取って欲しい」
アルヴィンの脳裏に花束を持つブラムの姿がよぎった。
アルヴィンはブラムを恨んではいない。かと言ってレナルドを恨むこともない。元はと言えば自分が魔法を使えたからなのだと思うと、胸の奥が針で刺されたように痛んだ。
「エルヴィスさんにはもう伝えてあるから、先に荷物をまとめているだろうさ」
「お前、エルヴィスがいなくなってもいいのか。あんなに惚れ込んでるのに」
「振られた」
「えっ?」
衝撃の事実に、アルヴィンは倒れそうになった。つい近くに置いてあった紅茶を一気に呷った。薄くて渋いがどうでも良かった。
「実は君が出掛けている間にプロポーズしたんだが」
「段階すっ飛ばし過ぎだろ」
「なんで? って真顔で言われた。あれは脈なしだ……」
「あ、そう……」
「だが友人になってもらえた!」
「へえ……」
アルヴィンは冷や汗をかきながら無理矢理口の端を釣り上げようとした。しかし唇は震えて引き攣るばかりだ。
「それに家族というものはできるだけ一緒にいるべきだ。先程父上が私に興味がないという話をしたが、私も父上に興味がなかった。私は勝手に、堂々と立つ権力者である父の姿を想像していた。しかしこの間見た父は、実際はそういう家に生まれたというだけのただの男だったよ。一緒に過ごす時間がないと、そんなことすら分からないのさ」
おかしいだろう、笑ってくれ。そう言ったレナルドの表情には、諦めのようなものすらあった。きっと最初からどこかで気付いていたのだろう、アルヴィンはそう思わずにはいられなかった。
「ところで、君はどうなんだ」
「へ?」
「依頼を完了して報酬を支払い終えた今、私たちはもう依頼主と雇われの関係ではない。では私たちは一体なんだ」
レナルドは何かを期待する子どものような、少しだけ臆病さを含んだ表情で尋ねてきた。アルヴィンはその理由がすぐに分かって、今度は笑い出しそうになった。
「さあなあ、友達とかじゃないのか」
「ああ……いいな、友達か。うん、やはり今日は人生最高の日だ」
「大袈裟なやつだな」
「自分に笑顔で手を振ってくれる、自分の身を案じてくれる、肩を叩いて励ましてくれる、そんな友人が2人もできたんだ。今日の私は世界一の幸せ者だ。それこそ天に召されそうなほどにね。もし婚約者ができたらきっと死んでいた」
レナルドはぐいぐいとアルヴィンの背中を押した。部屋の扉に手をかけながらアルヴィンは振り返り、おずおずと口を開いた。
「あの、さ。誤解を解いておきたいんけども、俺とエルヴィスは兄妹じゃない、別に血も繋がってないし。そもそもエルヴィスは――」
「なんだ君たち、血は繋がってなかったのか。まあ、たしかに似ていないな。しかし君たちは家族で間違いないだろう」
「家族?」
「互いに甘えを許し合える、素晴らしい家族だ。少なくともバーウェア家よりはずっと家族らしいさ」
「家族……そうか、そう見えるのか」
「さあ、もう行くんだ。あんまりエルヴィスさんを待たせるんじゃない」
もうこいつはこのまま勘違いしていた方が幸せだろうと、アルヴィンは半ば呆れながら笑って頷いた。
屋敷の外に出てから振り返ると、レナルドが窓から顔を出して手を振っている。アルヴィンはそれに手を振り返して、リンガラムへと走った。
アルヴィンはたった1枚の小切手がやけに重く感じた。先立つ物をこんなにも貰ってしまって、感謝せねばならない。レナルドはきっと、また元気な姿で再会することを何より望んでくれているだろう。ならばここから逃げよう、友人の望みの前では自身の臆病など些細なものだ。
アルヴィンは大きく息を吸い込んで、急いで住処へと向かった。今バーウェア領を出なければ、きっと躊躇いで足を止めてしまう。そんな気がしてひたすら走った。
「おかえり、アルヴィン。ちゃんとお別れした?」
「ああ、すぐ出るぞ。荷物はどこまでまとめた?」
「大家さんの所に行ってたから、まだ貴重品しかまとめてないや。家具はそのままでもいいってさ」
「分かった、まだ明るい内にリンガラムから出よう」
ベッド、食器棚、浴槽代わりの樽、小さなテーブル。すっかり自分の一部だった部屋が片付けられていくのは、何とも言えない切なさがある。それにもう、帰ってくるかもしれない人を待ち続けることはできなくなる。アルヴィンは思わず片付ける手を止めてしまいそうになった。
「アルヴィン、今度は待ったなしだよ。今度こそ外に出よう。これから一緒に沢山のものを見よう」
アルヴィンは頷いて、必要なものを手早く鞄に詰めていった。魔法を使っていなかった頃に使っていたナイフと、素材採集用のナイフ。それらをベルトに引っ掛けて、アルヴィンは部屋の外に出た。
意図せぬ形で冒険を始めることになった2人には、不思議と不安はなかった。踏み出した1歩は思いの外軽く、アルヴィンはこれからの生活が特別なものになるような、そんな期待を抱いていた。
レナルドは自室でセルゲイと対峙していた。
セルゲイの眼差しがまるで親の仇でも見るようなものだったので、レナルドは自身の判断が間違っていなかったことを知った。
「あなたが逃したんですね」
「逃した? 何のことかな。そもそも私には友人をここに縛り付ける権利などないんだが」
「しらばっくれるのは止めてください。ああ、折角質の良い魔法使いだったのに」
セルゲイの瞳が金色に輝いた。レナルドはその光に見覚えがあった。氷の槍を自身に向けた時のアルヴィンの瞳だ。
「セルゲイ、まさか君……魔法使いなのか?」
セルゲイの指先で火花が散る。レナルドに向かって突き出された腕が電気をまとって、シャツの袖口を焦がしていく。その袖から覗く腕にはタトゥーがある。
レナルドは二重丸の中に十字が描かれたそれに見覚えがあるような気がしたが、どこで見たものまでかは思い出せなかった。
「私の魔法は雷です。ですが使い物にはならなかった。アルヴィン・ファーガスのように強力でもなければ、器用でもない」
「それで、どうだって言うんだい」
「一撃で人を殺せるようなものではないんです。つまりあなたは、苦しみながら何回目かも分からない雷で死ぬということです」
バーウェアの屋敷で小さな雷が爆ぜた。アルヴィンとエルヴィスが旅立ってから数日後のことだった。




