豆を植えよう!
数日後、屋敷を訪れたアルヴィンとエルヴィスを前にレナルドは得意気な顔でテーブルに資料を並べていた。
「実は私は庭にそら豆を植えた!」
「そうか」
「エルヴィスさんが獲れたての新鮮なそら豆を望むならば私は自分で育てて収穫してみせる! そう決めたのさ!」
「マジかお前」
「そこでだ!」
レナルドは多くの中から2枚の資料を選び、アルヴィンの眼前に突き出した。そしてアルヴィンが戸惑っているのにも構わず高らかに声を張り上げた。
「農耕改革だ! リンガラムの畑に豆を植えよう!」
「は?」
レナルドはこの数日間でどうにかこうにか頑張ったらしい。そうして出した結論がこれだ。
マツカ豆を植えた後の土に別の植物を植えると、よく育つ場合と育たない場合がある。そのためマツカ豆の肥沃効果について研究が進んでいる最中とのことだ。レナルドはその研究内容を実証しようと、わざわざ研究家のもとを訪れたらしい。
「マツカ豆は痩せた土地の方がよく実ることが多いらしい。そして私は種用の豆の他に、育てた後の土地に撒く種、効果があるか研究中の肥料、それらを頂戴してきたのさ!」
「行動力……」
「かかった費用は私の交通費と種や肥料の運搬料のみ! そして土が肥えて作物がよく育つ土地になる可能性もある、少なくとも豆はほぼ確実に獲れるだろうし先方は研究結果を得られる、良いこと尽くめさ!」
「気の遠くなる話だな。土地はどうするんだ。一応住居地なわけだし了承を得る必要があるんだぞ。いくら使っていない土地でも見ず知らずの奴がいきなりやって来て、はいどうぞってなると思うか?」
「……あっ」
レナルドは意気消沈して部屋の隅に縮こまった。アルヴィンは呆れたようにそれを見ていたが、エルヴィスは笑顔でレナルドの肩を叩いた。
「やってみなきゃ分からないよ、行ってみよう!」
「エルヴィスさん……!」
レナルドは感激して勢いよく立ち上がった。
かくして3人はリンガラムに向かい、畑を持て余していそうな家の戸を叩いた。苦戦するかと思われたが了承は案外簡単に貰えた。単に使っていない土地だからというだけではない。
「あらぁ、アルヴィンじゃない! この間はありがとうね、安くしてくれて助かったわ」
「その節はどうも。実は今日はお願いがありまして、畑の空いている場所を使わせていただけないかと」
「ええ、いいわよ。どうせ私たち夫婦と息子だけじゃ手が回らない場所だもの」
値下げしてこなした仕事の成果は予想外の形で返ってきた。つい嬉しくなって何軒か戸を叩き多くの住人に許可を貰うことができた。しかし今度は別の問題が発生した。
「この面積を3人でというのは無謀ではないかね?」
「……あっ」
「やってみなきゃ分からないよ、やってみよう!」
「脳筋な励ましありがとうな……」
今度はアルヴィンが木の下に体育座りで縮こまった。どう励ませばいいものか悩んだレナルドが、アルヴィンの後ろに何かが近付いてくるのに気付いて声を掛けた。それは薄汚れて痩せた子どもだった。
「あれ、お前この間の……」
「あー、パンとかあげた子だね」
「もしかしてまた何か貰いにきたのか?」
少年は返事をせず、頷きもしなかった。少し恥ずかしそうに目を逸らしたのを見てアルヴィンはその腕を捕まえた。
「いいことを考えた」
「え、どうしたの?」
「お前に労働を教えてやる。いいか、ただで飯を貰うのは前回で終わりだ。今日からお前は働いて飯を食うんだ!」
合点がいった、とエルヴィスは手を叩き合わせた。
それから4人で日が暮れるまで畑を耕した。虫を見る度に悲鳴をあげて畑を転がったレナルドは美しい装飾の衣服を土まみれにした。
畑仕事の終わりに、畑の持ち主が食べ切れない分の野菜を対価として少年に渡す。カゴの中の野菜を見た少年はそこでようやく口を開いた。
「妹も連れてきたい」
「ああ! 妹だけじゃなくて、仕事がない子どもがいたらどんどん連れてこい。まだまだ畑仕事は沢山あるからな。それで人が集まれば、もっと畑の面倒が見れるようになる、そしたらきっと立派な野菜が作れる。そして、お前たちはそれを食べられるようになる!」
少年は頷いて、照れ臭そうにはにかみ小走りで去っていった。野菜を渡した夫婦はそれを見て感心したようだった。
以前は畑から野菜が盗まれる事件が多発していたが、今は盗難の件数は少なくなっている。きっかけは獣用の罠に引っ掛かった子どもが命を落とした事件だ。しかし畑の余った部分に種を撒いて放置されたままの野菜は盗まれても大して痛手ではないし、そもそも畑を持っている住民のほとんどは野菜を余らせているものだ。
「可哀想とは思ってたんだけど、どうせ余らせるからって何でもすぐあげるわけにはいかないじゃない。いいわね、これ」
「ご協力ありがとうございます。実はリンガラムの身寄りのない子どもの餓死を減らそうってことになったんです。許可を貰えて良かったです」
「あら、そんなことしようとしてたの? 一体どうして」
「実はそこの土まみれの奴、次期領主なんですよ。こいつがやりたいって言い出したんです」
「えっ、本当に? あらあらまあまあ! 素敵ねえ、そういう人が領主になってくれるならきっとリンガラムは良い場所になるわ」
婦人の言葉にレナルドは照れ臭そうに目を伏せた。普段は自画自賛しているのに、いざ人に褒められると饒舌でなくなってしまう。アルヴィンはつい親近感が湧いた。
この日はこれで解散することになり、アルヴィンとエルヴィスは途中までレナルドを送ることにした。まだ暗くはないがどうしてもハイランズより治安は悪い、依頼主の最低限の安全確保だ。
「今日は疲れたよ、腰が痛い。だが貴重な体験だった、感謝しているよ。君たちのおかげで了承も貰えて子どもたちも畑の手伝いができる。本当に充実した1日だった」
「なんか素直に感謝されると気持ち悪いな」
「酷い! 今ので私の繊細な心は酷く傷付いたぞ!」
「はいはい、それは悪かったな。ところで明日も屋敷に行けばいいんだよな」
「ああ、明日は頼みたい仕事があるのでね」
レナルドを境まで送り届け、アルヴィンとエルヴィスは踵を返した。早く汗と土で汚れている身体を洗いたかった。しかし大きな声で呼び止められ2人揃って振り返った。
「普段の私はこんなことは言わないからな、貴重だぞ、よく聞きたまえ! 君たちに出会ってからの日々は、人生で最も充実しているよ! 本当に、君たちに出会えて良かった!」
夕焼けに照らされて、レナルドの顔は赤くなっていた。きっと夕陽が出ていなくても赤いのだろうが、それを言ってしまうのは野暮というものだ。アルヴィンは笑い声を零して手を振った。
土を耕して虫に驚く姿を見ていたが、レナルドは悲鳴をあげつつも楽しんでいるようだった。何よりも別れ際の言葉は嘘偽りないものだ。
レナルドは人殺しを企てる人間ではない。今日を経てアルヴィンの中でそれは確信になりつつあった。




