贅沢な食事
定期的にレナルドの元へ通い、それ以外の日は魔物退治をして稼ぐ、アルヴィンとエルヴィスはそうやって日々を過ごした。
話せば話すほど、アルヴィンはレナルドを馬鹿としか思えなかった。恵まれた環境で与えられるものをただただ享受して生きてきたレナルドには創意工夫というものがない。それでも最近は少しずつ自分で課題を見つけ出し、調べ物をして解決策を考えられるようになっていた。
「ううむ、考えることが多いな、次期領主というのは」
「お前の父親はある程度人に任せてると思うぞ」
「それはたしかにそうだろうが、丸投げしていいものではないだろう。基本的な部分は把握していなくては」
「随分真面目になったもんだな」
「お義兄様に気に入られるためにはこれくらい努力しなくては!」
「誰がお義兄様だよ。というか、それを気に入られたい本人の前で言うか?」
エルヴィスの前で見栄を張っただけかと思いきや、レナルドは本当に良い領主を目指して勉強をし始めた。最近は暇な時間があれば街に出ている。アルヴィンとエルヴィスはまだ遭遇していないが、実はリンガラムに足を運ぶことも増えている。
「初めてリンガラムに行った時は衝撃だった。エルヴィスさんがあんなに劣悪な環境に身を置いていると思うとあの晩は涙が止まらなかったよ」
「俺たちはリンガラムの中では裕福な部類だけどな。まあ1年くらい前までは、お前が見たような光景と大差ない暮らしだったよ。髪を伸ばして売ってたこともあるしな」
「ところでエルヴィスさんは? そろそろお茶にしようかと思っていたんだが」
「ああ、庭を散歩してくるって言ってた。呼んでくる」
結局、レナルドが最初に殺人を依頼しようとした理由は分からないままだ。訊いていいものかも分からない。殺人を行おうとする人物には見えないのに、どうしてもレナルドを信用できていない。
アルヴィンは庭に向かう途中セルゲイとすれ違った。小さく会釈して通り過ぎようとしたが、しかし呼び止められて立ち止まった。
「レナルド様は随分と変わった。あなたたちの影響でしょうか」
「変わったって言っても根は馬鹿のままですよ。初めて会った時よりは今の方が幾分マシですが……あっちょっと待ってください、嘘です嘘、すごい勤勉です彼は」
「いえ、あなたの言う通りですよ。あなたたちが来ている時は、レナルド様は楽しそうだ。レナルド様は友人が少ない……というかいないんです。理由はお分かりいただけると思いますが」
「はは……」
なかなか辛辣な召使いに、アルヴィンは苦笑するしかなかった。
近況報告を兼ねた茶会ではレナルドは毎度エルヴィスのために沢山の菓子を用意する。菓子を食べるエルヴィスを見るレナルドは、相変わらず締まりのない笑顔を浮かべている。まさしくベタ惚れだ。
レナルドが自ら進んで勉強して現地に直接足を運ぶようになった今、アルヴィンとエルヴィスが屋敷に来る意味はほとんどない。茶会のためだけに呼ばれていると言っても過言ではない。
「エルヴィスさん、いかがですか! そちらのタルトはうちの料理人のこだわりの逸品なんですよ!」
「うん、これ美味しいね」
「ちなみにそちらの紅茶はいかがでしょうか! 実は私が淹れ――」
「なんか薄いのに渋みだけ出てる感じがする」
「誰だこんな不味い紅茶を出したのは! すぐに淹れ直したまえ!」
使用人たちはレナルドの命令に従いはするが、淡々としていて表情も乏しい。それがなんとなく不気味で、アルヴィンはバーウェア家の屋敷が少しだけ苦手だ。それでも悪意は感じないので出された紅茶は飲んでいるし、実際身体に異常はない。
「ところでこの間話した施策を父上に提案してみたんだがね。見向きもされなかったよ」
「そりゃあ半人前だからだろ。そういうことを提案するより、まずは勉強しろよ」
「その通りだ、その通りなんだがね……ううむ」
「んー、とりあえずさ。お父さんの仕事に影響が出ない範囲で、レナルドが個人で何かやってみたら? 規模は大きくなくても最初から最後までやり遂げて成果になれば、きっとお父さんも話を聞いてくれるよ。住人からの信頼も得られるかもしれないし、きっとそれも実績になるよ」
「さすがエルヴィスさんだ! 美しいだけでなく行動力もあり聡明でいらっしゃる! よし、それでは早速会議といこうじゃないか!」
予算はレナルドの財布の中の6000ウィーガル、人員は3人、住人に直接的な援助はできない。これでできることなど限られている。果たしてどこまでやれるか、アルヴィンは他人事のように紅茶を啜った。しかしレナルドは悩む間も無く鼻を鳴らし得意気に資料の束を掲げた。
「私から是非、提案したいことがある! これはリンガラムに住む子どもの死因についての、ここ10年間の統計だ。私はこの、飢餓による死亡率を下げたいと考えている!」
「大きく出たな。この人数で、しかも予算は6000だぞ。それに飢餓は貧困と直結しているし、貧困はリンガラム全体の根深い問題だ。具体的に何か考えて言ったわけじゃないだろ」
「それはその、そうなんだが……」
「金銭の援助はできないからねえ。予算を使わずにできることは……まずは考察じゃない?」
エルヴィスの提案で3人は子どもの頃の食事を振り返ることにした。レナルドは裕福過ぎるのでハイランズの標準的な家庭の例を引き出しての比較だ。
パン、リンゴ、ダイコン、カブ。アルヴィンとエルヴィスが挙げる食材の羅列を聞いて、レナルドはげんなりと眉尻を下げた。
エルヴィスさんがそんなにも食べるものに困っていたなんて、と泣きながら両手で顔を覆うレナルドを見て、2人は半ば呆れ混じりで顔を見合わせた。
「もうこんな時間か。そうだ、よければ夕飯を食べていくといい」
「いや、他所の家のテーブルに混ざるのは気まずいから別にいい」
「心配無用さ。我が家は皆それぞれ忙しくてだね、一緒にテーブルを囲むことは少ないんだ。私の部屋に運ばせるから気を遣うこともない」
「いや、そうは言っても……」
「さあエルヴィスさん、何でも用意させますよ! いくらでも我儘をおっしゃってください! ちなみに、この屋敷に住めばいつでもいくらでも、欲しいものが手に入りますよ!」
「結局それかよお前!」
レナルドの用意する菓子はどれも食材を贅沢に使ったものばかりだ。きっと夕飯も豪勢だろうが、エルヴィスはまだ乗り気だがアルヴィンはどうにも気が進まない。茶会くらいならともかく食事は落ち着かないし、要望を言おうにもパンとスープとたまに鶏肉のステーキが基本の2人は何を言えばいいのかも分からない。
とは言えここまで誘ってもらうと断りづらい。アルヴィンはセルゲイとの会話を思い返すと余計に断りにくく、結局ご馳走になることにした。
バーウェア家の夕飯は、やはりアルヴィンとエルヴィスが普段食べているものより彩りも豊かで豊富な食材が使われている。生野菜のサラダ、香辛料をまぶした豚肉の燻製、ほうれん草ときのこのソテー、そら豆のスープ、数種類のチーズ。レナルドいわく控えめな食事らしいが2人には十分贅沢だ。
「レタスなんて最後に食べたのいつだっけ。3年前くらい?」
「あまり召し上がらないんですか?」
「うん。リンガラムでは野菜を育ててる人は多いけど、こういう葉っぱの野菜はあんまり育たないみたいで。根菜が多いよね」
「根菜は土が痩せてても育つからな。収穫までにかかる期間も長くないものが多いし。まあ最近はその根菜も昔より育たなくなってるけど」
レタスだけではない、トマトやほうれん草もリンガラムでは育たない。ハイランズでは基本的に食材は買うものであって作るものではない、レナルドは野菜の世話をする光景が想像できず曖昧に相槌を打った。
「なるほど。だから先程2人が挙げていたような食材がよく食べられているのだね。にしても、根菜も獲れないとなるとますます飢餓が進んでしまうな。土地を肥やせればいいが……」
「牛でも飼えるほど余裕があればいいんだけどね。基本的に鶏か、良くて豚か山羊が限界かな。あ、このそら豆のスープ美味しい」
「それは良かった! 豆はお好きですか?」
「うん、豆だったらそら豆と小鳥豆が好きなんだ。けどそら豆って収穫したらすぐに味が落ちちゃうらしくて、新鮮なのは食べたことないんだよね。きっと凄く美味しいんだろうなあ」
「ほう……」
食事が終わると、レナルドは菓子だけでなく食材まで包んでアルヴィンとエルヴィスに持たせた。2人して両手に大きな包みを抱えて、暗くなった街を歩いていく。
リンガラムの道を歩くアルヴィンは、殺意にも似た視線を感じて立ち止まった。小さな子どもが1人、速い呼吸を殺し切れずに木の幹に隠れている。暗くて見えにくいがその目には野生的な迫力がある。
「アルヴィン、どうかした?」
「いや、そこに子どもが」
アルヴィンはこの目を知っている。腹が減って仕方がない時、少しでも食べ物を持っていそうな人間に襲い掛かろうと獲物を吟味する目だ。
「おい」
声を掛けられると思っていなかったのか、少年は驚いて肩を跳ねさせた。アルヴィンがレモンのパイを差し出してやると、少年はパイとアルヴィンを交互に見やった。
少しして恐る恐るパイに手を伸ばした少年は、すぐさまそれを口に放り込んだ。そのまま逃げるように去ろうとする少年の首根っこを掴んで、アルヴィンはいくつかのパンや菓子を持たせた。
「珍しいね、アルヴィンが僕より先にそういうことするの」
「まあ……気まぐれってやつだな」
「ふうん?」
少年の姿が見えなくなってから、アルヴィンは失敗したな、と額を押さえた。人に何かを与えるなら、ブラムのようにその後の人生に役立つものを与えたかった。しかしやってしまった後にそんなことを言っても仕方がない、アルヴィンは溜息をついて住処へと向かい、エルヴィスもその後ろを着いていった。