婚約制度が破棄されてまた復活した話
皆さん、今日はこの国の階級制度についてです。
この国を治める、純色。
治世を支える、色つき。
国を守る、色混じり。
そして支配されるもの、色なし。
先の大戦以降、色なしから任官登用されるなど垣根が大分薄くなったといわれておりますが、依然として残るのがこの階級制度です。
そのなかでも特色が強いのが純色の方々です。
この国は多神教ですから皆さん忘れがちと思いますが、宗教国家で、純色の方々の主な役割は神事を担うこととなり、純色の当主は神子、次代は皇子となります。
そのため、かつては親族婚を繰り返したこともあり、濃すぎた血が弊害をおこすこともありました。そのため近代はできるだけ純色に近い色つきより配偶者を選抜するようになったのです。しかし生活そのものが神事と見なされ、一般的とは言い難く、早くから純色の様式を覚えるため、選抜されたものを10才から奥の宮に通わせることとなりました。その選抜されたものの身分を明らかにするために200年前に制定されたのが婚約制度です。
「嫁いだ家にあうように」というのが下々に受けたのか、色つき、色まじり、色なしまで結婚前の婚約を取り入れるようになりましたが、もともと婚約制度は純色のためのものです。他は制度としては成り立っておらず、ただの慣習です。
さて、200年ほど前、純色に嫁いだ方がおりました。この方は色つきでしたが、純色から降嫁された方の孫でしたので、厳密にいえば親族でした。そのため、年頃になってから世論から反対され、婚約期間が長引きます。しかし、時の皇子が強く望んだこともあり、無事結ばれ仲睦まじく暮らすこととなりました。
そんな波瀾万丈な婚約期間を過ごしたせいか、奥方様は「婚約制度なんてナンセンス。子供達には心で結び付いた方と結ばれてほしい」
と言い出し、廃止しておしまいになりました。
ところがこの方のたくさんいるお子様のうちのひとり、よりによって皇子が選んできたのが、学生時代に出会った、色なし寄りの色混じりだったのです。
奥方は「よりによって色なしなんて!」と激怒し、純色はもちろんのこと、色つきも反対しました。
しかし、二人は相思相愛で、皇子が「二人で駆け落ちか心中か」と思い詰めていたことを知り、泣く泣く認めました。
婚姻後、お二人は二人三脚で公務に望み、その姿に心打たれ、味方になる方々が増えていったと史実には書いてあります。
もちろん、色混じり出身の皇子の奥方は馴染みのない神事などまったくできませんから、純色や純色に近い色つきの方々が代行するため、周囲の負担は大きかったでしょう。しかし、そんな一面を知るよしもない色混じりや色なしからは、「自分たちの心を汲んでくださる方だ」と絶大な人気を誇っていたようです。
さて、この制度を廃止したことで一番の被害者といえばこの方。
100年前に時の皇子の奥方に望まれたかた。この方ははじめて色なしの女性で任官された方です。
お家は代々貿易に携わっており、最初は語学が堪能なことを買われて通訳として雇われ、その後、頭の回転が早く気もきくことから、請われて任官登用し、その後、時の皇子の外交補佐となった。
もう皆さんおわかりですね。
色なしとはいえ、上流の教育を受け、品もよく、才女でありながら気が利くので結果的には男性をたててくれる。
そんな方に惚れないはずがありません。
しかし、時の皇子は何度か口説かれたようですが、自分の職に誇りをもっており、また、階級をわきまえていたので靡くことはなかった。
そのためか、時の皇子は強行手段にでます。
「自分は外交補佐以外とは結婚しない」
と、折に触れ宣言して回ったのです。
周囲は大変困惑しました。100年前の再来かと外交補佐を呼び出し聞いてみても「私も困惑しております」というばかり。
しかし、すでに宣言しすぎて色なしまでひろくこの話が伝わってしまい、まさか皇子の一人相撲だなどとは言い出せない雰囲気。
ここはもう、腹をくくって外交補佐一人を贄にしてこの事態を終結させるしかない、と考えたのでしょう。
「時の皇子 奥方に 任ず」
という辞令を内々に出し、外交補佐も、辞令であるならば、とこの話を受け、これで大団円といくはずだったのですが、そうはいきませんでした。
仕事であるならば、と なれない神事や河務などにいろいろと無理をしていたところに、「やはり純色や色つきに比べれば優雅さがない」「皇子をたぶらかして任官したのではないか」などという色混じりや色なしの世論や、それを信じた純色や色つきからの侮蔑や無視などに耐えられなくなり、精神に変調をきたしました。
時の皇子は折に触れ「私は奥方の味方だ」と公言していたようですが、奥方の不安を払拭するにはいたらなかったようです。
また、神子の奥方となったあとも、姫を一人しか産まなかったことを責められ、辛い日々の中、姫の成人を見届けたあと、逃げるように病没したと史実には書いてあります。
薄々、「婚約制度はやはり必要ではないか」と上層部が気付きつつも流していたある時。事件が起きました。これは50年前のことなので皆さんも家族より聞き及んで、詳しく知っている方があるかもしれません。「護姫事件」。
護姫とは皆さんご存知のとおり、大宮にて神の依り代となり、この国の地盤を支える方のことを示します。昔は封され、大宮から移動することも、結婚することもできませんでしたが、近代からは国内から出ないのであれば、神事以外は移動は可能になり、また、本来は未婚が望ましいですが、結婚も本人が望むのであれば可能です。
この護姫の代替わりが、ちょうど50年前にありました。元々は、純色直系の姫が「そろそろな気がするから、結婚しないでまってみる」と婚期を10年ほど延ばしに延ばして待っていましたがなかなか神託が下らず、相手が待ちきれなくなり、半ば結婚を強行した後、まるで直系の姫の結婚を待っていたように神託が下ったのです。
未婚で、成人したばかりの純色の姫。
当時、純色の姫は様々おりましたが、神託の特徴を持っていたのはたった1人。ある傍系の姫でした。
選ぶ余地がないほどだったので、早速、護姫決定の発表をしようとしたその矢先。
周囲になんの相談もなく、傍系の姫が「結婚する。既に二人だけで結婚の約束をした」と大々的に発表したのです。まさに青天の霹靂でした。純色は例え相手を自分で選んだとしても、神子が神にお伺いを立てて、発表を含めた諸々の時期を占うのです。神にお伺いをたてる前に結婚を発表するなど前代未聞でした。
会見後、神にお伺いをたてましたが、「偽りの婚儀ならず」としか下らず、傍系の姫を呼び出したところ、「そのとおりです」と認めました。聞けば、どうしても護姫に任ぜられるのがいやで、学友と共に一芝居打ったのでした。
傍系の姫はもともと多国に遊学するなど、興味が国の外に広がっており、封ぜられるわけではないとしても、移動が国内だけというのは堪えられなかったのでしょう。その気持ちを汲んで、結局、直系の姫が護姫として発表され、大宮へと入内しました。
神託を結果的に無視するかたちになってしまったせいか、それから五年間は国土が天変地異にさらされましたが、五年で済んだのは、直系の姫の祈祷のおかげだといわれています。
これが護姫事件の一部始終です。民間には、結婚会見を鵜呑みにした学友の両親が一向に持参金がないのに焦れて乗り込んだ、とか、色混じり出身の奥方の子からの流れで、色なしに人気のある傍系の姫が一切公務を行わなくなったことなどのほうが有名なようですが。
国防にまで及んだ護姫事件を重く見、議論の末、25年前から婚約制度は復活しました。今後は犠牲になる女性や天変地異がないようねがってやみません。