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つなぐ

 最後の文化祭準備が進み、校内はすっかりお祭りモードが完成しつつあった。教室で配られた文化祭のパンフレットには、それぞれの模擬店の位置からパフォーマンスの開始時間まで記されていた。


 夏美はさっそく、めぼしい店にオレンジのペンで丸くチェックを入れておく。これでスムーズに店を回れるだろう。沙世のことはあっても、文化祭は楽しみたい。いや、むしろ沙世のことがあるから、絶対に楽しむべきなのだ。そんなことで邪魔をされる方が我慢ならない。


 気合を入れて、じっくりとパンフレットを眺めていれば、友達がはしゃぎながら話しかけてくる。


「ねぇねぇ、夏美。文化祭一緒に周らない?」


「二日目だけでもいい? 初日は中学の同級生が来るから、それに付き合うことになってんの」


「それでいいよ。どこから回る?」


「バザー行こうよ。掘り出し物があるかも」


「昼のパフォーマンスは欠かせないよね。三組の山崎君がダンスに出るんだって!」


「あーあんたが熱上げてる奴ね」


「だって、格好いいじゃん」


 にやける友達を冷やかして、夏美は教室の隅で男子生徒としゃべっている栄介をなんとなく見た。その横顔はいつも通り目付きが悪い。しかし口端が上がっているから、機嫌は悪くなさそうだ。


 ふいにパチリと目が合う。突然のことに、どきっと心臓が跳ねた。夏美は動揺を取り繕うように愛想良く手を振る。さっと目を背けられた。その反応にちょっと傷つく。


「なによ……」


「夏美、誰に手を振ってたの?」


「尾崎だよ。明日、付き合ってもらう予定なの」


「えーっ、いつの間にそんなことになってたの!」


「さっき言った中学の同級生がやっかいでね。ボディーガードみたいな感じかな。文化祭が終わったら詳しく話すよ」


「わかった。なんかややこしいみたいだし、当日は見かけても声かけないようにするね」


「ありがと」


 好奇心を押さえてくれた友達にお礼を言って、夏美は再び目が合った栄介から、今度はツンと顔を背けた。




 その日の放課後、約束の五文橋の前でウイッグを着けて夏美は待っていた。文化祭の準備は昨日でほとんど終わっていたため、いつもより早く学校を出ることが出来たのだ。


 欄干に寄りかかると、十月の夕焼けが町の向こうへと足早に沈んでいく。鼻を利かせれば、寂しげな秋の匂いがした。


「悪い、待たせた!」


 焦りをにじませた声に顔を向けると、栄介が息を弾ませて立っていた。走ってきたのだろう。いつも立たせている前髪が乱れて、汗ではりついていた。


「走って来てくれたから許す。でも、昼間の態度は許さない。手を振ったのに、無視ってなによ?」


「それは……いきなりで驚いたんだ」


「笑顔を返せとまでは言わないけど、せめて手を振り返すとかさ」


「いや、出来るか。難易度高けぇよ」


「そんな図体デカイのにシャイですか!」


「悪いか! 偽とはいえ彼女相手にベタベタするのは苦手なんだよ!」


「もう、しょうがないな。頷き返すならどう?」


「それなら、まぁ何とか」


 夏美の妥協案に、栄介は前髪を搔き揚げながらようやく同意する。こんな調子で明日の本番は大丈夫なのだろうか。不安が過るが、設定まで考えてくれる徹底ぶりなのだから、演技くらいはしてくれると信じたい。


 でも一応、念のために確認しておく。


「明日、私達は偽の恋人になるんだよね?」


「だからいろいろ考えたんだろ」


「栄介、そう呼ぶよ?」


「っ!」


 ゆっくりと名前を呼ぶと、栄介は顔を背けかけて硬直する。必死に動揺を堪えている様子に、夏美はため息を吐く。


「あんたが呼べって言ったんじゃん。計画は完璧なのに、名前一つでそんなにうろたえないでよ。帰り道で特訓しよっか。私のことも大谷は禁止。──栄介、帰ろ」


 大きな手の平を、下から救うように取って夏美は引っ張る。恋人の振りをするのだからこのくらいはしておかないと。そう思ったのに、栄介は物凄く目が泳いでいる。大きな身体が一瞬ふらついて、引かれるままに歩き出す。その頬は熱を出しているように赤い。これじゃあどっちが彼女かわからなくなりそうだ。


 すっかり無口になった隣を気にしながら、路地をのんびりと歩く。


「……帰りに保育園寄っていいか?」


「ん? なんで保育園?」


「さっき親から電話で弟の迎えを頼まれた」


「へぇ、随分年が離れてるんだね。どのくらい違うの?」


「十一。クッソ生意気だぜ。……夏美、がいれば少しは大人しくなるかもな」


 つっかえそうになりながらも初めて栄介に呼ばれた名前に、心が浮き立つ。吊橋効果ならぬ、お祭り効果だろうか。気分につられるように表情筋も緩む。


「嘘。可愛がってるくせに。全然嫌そうな顔してないもん」


「そうか? オレはプラスの感情はあまり表情に出ないんだが」


「目は口ほどに物を言うって諺があるよね。栄介はそれだと思うよ。顔に出なくても目に出てる」


「初めて言われた」


「初めて言っちゃった」


 栄介の言葉に合わせて明るく返すと、彼の口端が僅かに上がる。たった三日の付き合いだが、よく見れば目以外でも表情が読み取れるようになっていた。


 二人で並んで手をつないで歩くなんて、まるで本当の恋人同士のようだ。心の中でそう呟いて、首を振る。代わりに、期間限定の文字をしっかり頭に刻みこむ。


 道路を渡ると保育園が目視出来た。屋根は赤く、可愛い動物の絵がペイントされている。前門は開かれており、子供をだっこした母親が通り過ぎていく。磨りガラスの向こうではきっと親の迎えを心待ちにする園児の姿があるのだろう。


「私、ここで待ってようか?」


「いや、一緒に来てくれ。本当はあまり来たくないんだ。来る度にガキに群がられる」


 心なしか困り顔の栄介に、夏美は頷いて手を放す。さすがに弟君の前で手を繋ぐ気はない。なけなしの乙女心が恥じらっている。


 栄介の後をついて園内に入ると、玄関口で、エプロンを来た優しそうな女性が膝をついて待っていた。


「こんばんは、栄介君。泰介たいすけ君のお迎御苦労さまです。すぐに呼んでくるからね」


「うっす」


 女性は奥の部屋に入っていくと、すぐに男の子の手を引いて戻ってくる。その後ろから数人の園児が覗いていた。彼等は栄介の姿を見つけるとぱっと飛び出してきた。


「あーっ、えいすけくんだぁ! そのおんなのこだれ?」


「えいすけのかのじょだろ」


「らぶらぶなのか?」


「凄い元気だね」


 思わずそんな言葉が出るくらいに園児達はパワフルだ。二人を囲んできゃあきゃあ騒いでいる。助けを求めようにも、栄介はわらわらと纏わりつかれて、無碍にも出来ずに固まっていた。


「こら! 栄介君は泰介君のお迎えに来たんだから、囲まない、よじ登らない! みんな部屋でお迎えを待たなきゃだめでしょ?」


 先生に怒られて、園児達は歓声をあげながら部屋の奥に逃げて行く。残ったのは口をへの字にして栄介を睨むように見上げている弟君だった。


「そのねえちゃんだれ? かあちゃんは?」


「この子はオレの友達だ。母さんは残業になったから、オレが迎えに来た」


「……やだ! にいちゃんなんかきらいだもん。おれ、かあちゃんがいい!」


「我慢しろ、母さんも忙しいんだ。その代わり、今日はこの姉ちゃんが一緒だ。挨拶しろ」


 駄々を捏ねてもまともに受け取らない兄に、泰介は拗ねたように俯く。だが、根は素直な子のようだ。挨拶を促されて小さく口を動かす。


「……おれんじぐみ。おざきたいすけです」


「始めまして、大谷夏美です。よろしくね」


 しゃがんで手の平を差し出すと、小さな手にきゅっと握られた。今は小さな手の平もいずれは兄である栄介と同じように大きなものに変わるのだろう。そう思うと、不貞腐れた様子も可愛らしかった。


「帰るぞ。先生、ありがとうございました」


「どういたしまして。また明日ね、泰介君」


「ばいばい、せんせい」


 力なく手を振った泰介は、寂しさを振り切るように走り出す。栄介と夏美は追いかけはせず、そのままの速度で小さな足跡を辿るように踵を返した。


 走っても園児の速度ではそう距離は稼げない。また泰介自身も本気で離れる気はないようだった。時折後ろを振り返り、兄の場所を確認している。両親が共働きで寂しく、兄に悪態をつくのも本心で構ってほしいからか。


 二人にはわかっていた。泰介の嫌も嫌いも兄に対する好きに繋がっていることを。




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