嫌いも
友達が帰って来たため、教室で話の続きをすることはせず、二人はこっそり下校時間を合わせることにした。途中まで帰り道が一緒なのは知っていたので、そこまでの道のりで話をすることにしたのだ。
影が伸び始めた道をのんびりと進みながら、夏美は出来るだけ話を端折って沙世のことを説明した。そして、彼氏の振りをしてほしいのだと尾崎に頼む。
「尾崎が相手ならぴったりなの。男らしい顔立ちだし、背丈も平均はある。筋肉質で体も大きいから、どんな相手だろうと迫力負けはしないでしょ? それにその目。細めると殺気が込められて見えるのがいい!」
「最後褒めてねぇだろ。なんでオレが彼氏の振りなんか。居ないなら、正直に言って断ればいいだろ? お前が見見栄を張りたいだけじゃねぇの?」
「あんたはあの納豆女のしつこさを知らないから、そんなことが言えるんだよ。あいつが引っ越して、ようやく離れられたと思ったのに、教えてもいない電話番号を手に入れて、誘ってもいない文化祭に押しかけて来るような相手だよ? 普通のわけないじゃん。これが男ならとっくにストーカー扱いして、家族に相談してる」
真顔でまくし立ててやると、尾崎も少しは危機感を抱いたのか、佇まいを改める。
「……そんなにか?」
「本音を言うならね、私だって女の子だもん。ここまで見下されたら、見栄だって多少は出るよ。だけど、そんなものより遥かに優先したいことがある。私が求める彼氏の役割は、一緒に戦ってくれることだよ。この機会に、沙世が二度と声をかけてこないように徹底的にシメたいの」
「そんな使い方かよ」
「女の見栄よりいいでしょ? 尾崎なら、その眼力できっと相手の男をビビらせられるよ。今回だけ、プリントのお礼だと思って協力してくれない?」
「はぁ……わかったよ。確かに助けてもらったからな。今回だけ協力してやる」
「やった! 尾崎って意外と優しいよね」
「だから、それで褒めてるつもりか?」
「うん!」
呆れた様子で目を眇める尾崎に、夏美は力強く頷いた。
かくして、納豆女を撃退するために二人は(尾崎は半強制だったが)手を結んだのである。
尾崎が協力してくれることになったとは言え、ただ文化祭の準備するだけでは、沙世対策には足りないだろう。
ということで、翌日の放課後に今度は別々に帰り、途中の喫茶店で合流することになった。文化祭当日は無理としても、クラスメイトや知り合いに知られれば早々に面倒臭いことになりそうなので、夏美は喫茶店のトイレでウィッグを身につけて別人を装う念の入れようだ。
アイスティーを注文して待っていると、尾崎が店に入ってきた。店内を見回している彼に、軽く手を挙げて合図すると、ぎょっとされた。
「驚いた。髪型違うだけで別人みたいだな」
「お姉ちゃんのを借りたの。変かな? ストレートロングには憧れがあるんだけど」
ウィッグは黒髪のストレートで背中まで長さがあった。夏美はショートなのだが、実は伸ばすことにも願望があったりする。いつも伸ばしている最中で、髪を洗う手間が面倒臭くなり、一度も肩を越えたことがないが。
ウィッグの髪をいじりながら尾崎の顔色を窺ってみると、彼は目を泳がせた。頬が僅かに色づいている。
「や、別に変では……」
「ははん、さてはロングフェチ?」
「ばっ、そんなんじゃねぇ!」
「冗談だよ。尾崎も何か注文する?」
「あ、あぁ……ほんとに違うからな?」
そんなに照れなくてもいいのに。夏美は尾崎の否定を受け流して、彼にメニュー表を差し出す。しかし本人は茶髪に脱色してるのに、日本人形のようなロングストレートが好きとは、古風な好みのようだ。
尾崎が頼んだコーラが届くと、夏美はさっそく目的を切り出した。
「恋人の振りをするために何かしておくべきかなって思ったんだけど、何をするべきだと思う? 笑顔で見つめ合う練習?」
「いや、まずは設定だろ。二人がいつどこで交際を開始したのか、告白はどっちからか、どこにデートに行ったか、この辺は必須だ。クラスでも女子がよく恋バナしてるだろ。そいつも絶対突っ込んで聞いてくると思うぜ」
「おぉ……鋭いとこ突くね! 気付かなかったよ」
「付き合い始めて二ヶ月目、くらいがいいだろうな。ぎこちなさが見えても、まだ出来たてカップルだからで通せる」
「ほほぅ。なるほど、なるほど。じゃあ告白はどっちからにする?」
「オレからでいい。その辺は適当に考えとくから、もし聞かれても大谷は黙って合わせてくれ。あぁ、そう言えば、恋人なら当然名前呼びだよな。お前もその日は尾崎じゃなくて、なるべく栄介って呼べよ」
「じゃあ私も夏美って呼ばれるんだ?」
「嫌か?」
「全然大丈夫。男子に呼ばれたことなんてないから、ちょっと新鮮かも」
作戦を着々と立てていく尾崎、もとい栄介は思っていたよりずっと頼りになる。外見からは大雑把に見えるのに、その実とても慎重なようだ。
つい、じっくり観察していると尾崎が眉をひそめた。そんなつもりはないのだろうが、その顔はどう見てもガンをつけているようにしか見えない。
「なんだよ?」
「ううん。尾崎は細かいことをこつこつするのが好きなタイプなのかなって」
「パズルが趣味だ」
「あ、納得。私はけっこう大雑把なんだよね、だからこつこつするのは苦手かな。パズルなんて最後まで出来た試しがないもの。誰かと一緒にやる分にはいいんだけど、一人でやると途中で投げたくなっちゃう」
カラカラ笑いながら言うと、栄介のきつい眦が緩む。目付が柔らかくなるだけで印象も和らぐ。今ならイケメンと分類されそうだ。
「それなら、今度オレと一緒にやるか? 大谷用にピースが少ない奴を選んでやるぜ」
「文化祭が終わっても付き合ってくれるんだ?」
「ここまでどっぷり関わりゃ、もう友達じゃねぇの? 遊びに誘うくらい普通だろ」
「あははっ、男子の友達なんて初めてだよ。仲良くしてね」
「仲良くなるなら、偽装カップルの練習をしとこうぜ。明日の放課後、一緒に帰ろう」
「いいよ。じゃあ放課後ね」
「あぁ、五文橋の前で待ってる」
小さな約束に、夏美の胸は時計の秒針のように跳ね出した。