嫌も
さくっと読める長さで完結しますので、のんびりお付き合い頂ければ幸いです。
夏美が通う高校では、三日後に行われる文化祭に向けて、本格的な準備が進められていた。教室では看板にペンキを塗る姿や、衣装を手に廊下を走る生徒の姿が複数見える。いつもは厳しく注意する教師も、この期間ばかりは甘くなるので有り難い。祭り独特の雰囲気に浮かれるのは、生徒も教師も同じなのだ。
「男子! この布、家庭科室に運んで」
「おー。お前等も手伝えよ」
「腹減ったー」
「ねぇ、机の装飾ってこんな感じでいいかな?」
クラス中で声が飛び交っている。どの声もどことなく楽しげだ。夏美も思わず笑みを浮かべて、ペーパーフラワーを作る手を止めた。
「花もこれだけ出来れば足りそうだね」
「これさ、女子の髪飾りに使ってもいいと思うんだけど、どうかなぁ?」
「いいじゃん。委員長に許可取ってこようか」
「私が行ってくるよ。夏美はその間に出来た花を箱に入れといて」
「わかった。そっちはよろしく」
友達が手を振りながら席を離れていく。その背中もどこか浮かれているように見えた。かくいう夏美自身もお祭り特有の楽しげな空気にすっかり感染しているようだ。心がそわそわする。まぁ、文化祭なのだから仕方ない。心の中でぺろりと舌を出して、下手くそな言い訳をしてみる。
「おい、大谷。お前英語得意だったよな?」
二人で席を立った時、尾崎栄介が苛立たしそうに頭を掻きながら近づいてきた。一重の上に瞳が小さいので目付きが悪く見えるが、不良ではない。くじで決まった席が隣同士であるため、そこそこ親しい関係になっている。彼の手には皺の寄ったプリントが一枚。一目見てピンときた。
「あんた、補習のプリントまだ終わってないの?」
「いくら考えても、何処が間違ってんのかわかんねぇ。そもそも、英語なんかなぁ、日本人には必要ねぇんだよ! オレは日本から一生出ないで生きてってやらぁ」
「このグローバルな時代に化石みたいなこと言うね。それに、二年になったら修学旅行で行くじゃん。あんた休む気?」
「う……っ、くっそ、行くとも!」
「それなら馬鹿言ってないで、さっさと座る。ほら、問題見せて」
茶髪の頭を搔き毟って阿呆なことを抜かす栄介を促して、和風の装飾を施された机に座らせる。
このクラスでは和風喫茶をやるということで、教室内は純和風の装飾がこれでもかと施されている。黒板に飾られたお品書きには書道部の達筆な字で、大福、かすていら、お団子などお茶に欠かせないお菓子が豊富に書かれている。
そんな理由で黒板は使えないので、夏美はプリントにおかしい部分を直接書き込む。
「尾崎は単語自体は七割方理解してんのに、文法がおかしいから訳が散らかるんだよ。英語って日本語とは文法が違うからね。疑問文は逆転するけど、単語だけでは逆転しないの」
「あー、そうか。じゃあ、青い鳥の場合はbluebirdか。オレずっと逆だと思ってたぜ」
「鳥は青いって? もったいないミスだよ。せっかく単語がわかってるんだから、文法さえ覚えれば尾崎ならすぐ点数取れるでしょ」
「よっしゃ、全部書き直して出してくる。今度お礼するから」
「期待してる。あれ? 着信が来たみたい。ちょっとごめん」
機嫌良く答えていると、教室の隅に置いていたバックからスマホの着信音が聞こえた。夏美は尾崎に一言断って、席を外すとバックを開いてスマホを取り出す。登録はしていないが、見覚えのある番号だ。
嫌な予感を覚えながら、夏美は恐る恐る通話をタッチする。
「はい……?」
『久しぶり、沙世よ。あたしのこと覚えているわよねぇ? 今度あんたの学校で文化祭があるそうじゃない。彼氏と行ってあげるから、Wデートするわよ。もちろん、あんたも彼氏くらいいるわよねぇ? そうそう、あたしの彼、とってもイケメンだから。うっかり好きにならないでね。じゃあ、当日に』
言いたいことだけ伝えてブチッと切れたスマホに、夏美は唖然とする。ツー、ツーと耳元で繰り返す音を聞いて我に返ると、腹立たしさが込み上げてきた。
「なぁんで、番号知ってんのよ。いつ私が誘ったわけ? 相変わらず、ハ・ラ・タ・ツ!!」
相手の自己中っぷりに、思わず右足でダン、ダン、ダンと床を踏みつけた。
相手は不運にも同じ中学だった道元沙世という女である。中学時代に短距離走で勝って以来、一方的にライバル視されるようになり、沙世が引っ越すまでしつこく、それはもうしつこく絡まれ続けていた。意地悪をされていたわけではないが、自慢話を聞かされたり、答案用紙を勝手に覗き見られたり、果ては意味もなく出掛ける先々で待ち伏せされて、上から目線で声をかけられたりと、精神的苦痛を被ったのは事実だ。
それだけの付き合いがあった相手だ。どんなにこっちが嫌がっても、沙世は文化祭にやってくるだろうことはもう確定している。
「なにをいきなり叫んでるんだ?」
夏美は尾崎に死にかけの目を向ける。
準備に賑わう教室内だったため、狂乱した叫び声はかき消されたようだが、すぐ傍にいた彼に隠すことは無理だ。
遠足を心待ちにする園児のように、文化祭が来る日を指折り数えていたというのに、なんという裏切りか。一気に憂鬱なものになってしまった。奴の来訪を考えただけで、胃がムカムカしてくる。
しかし、夏美は尾崎を見て、思いつく。彼の両手をがっと掴むと、驚く尾崎にひきつった頬を無理に上げて、にっごりと濁音の付いた笑みを向ける。
「尾崎クーン、プリントのお礼は文化祭で返してくれるかな?」