七夕は巡る
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
ふああ、夏休みまであと一ヶ月もないかな。
まだ一学期だけど、一年で見たらもう半分以上が過ぎてんだよね。早いなあ。
そろそろ七夕だよねえ。君はどんな願い事をするつもり? 僕はまあ、良いご縁がありますように、かな。別に異性に関したことばかりじゃないさ。
仮にも受験生だしね。良い人、良い結果、良い学校、その他もろもろが自分にとって良いめぐりあわせでありますようにっていう感じ。
――いっちょまえに、疲れた大人じみたことを?
そりゃこのくらいの歳になったらねえ、学校の中でも面白くないことが多くなるんですわ。ガキならガキなりの気苦労があって、耐え難いのですのよ、オホホ……。
て、ありゃあ、もう七夕飾りを出しているお店があるなあ。気が早いこって。店の都合もろもろがあるとはいえ、本来は先走るといけないはず。これが僕の父さんの実家じゃ、とんでもないって、しまいなおされちゃうねえ。
今の時代、父さんの実家のような七夕は珍しいかも知れない。ちょっと話を聞いてみないかい?
父さん曰く、七夕飾りというのは本来、一日限りで外に出すものらしい。六日の夕方に飾り始め、七日のうちに片づけてしまうらしいんだ。
短冊に願いをこめて、星々に託すわけなのだけど、願いは生き物。思いを込めた瞬間をピークに、どんどん色あせていく。それゆえ飾り付けられて一日の間が、もっとも力を持っており、以降はみそっかすになってしまうのだとか。
天もまた、その願いに応じて様々な力をもたらす。もともと七夕は裁縫を始めとした、芸術の上達を祈願するもの。それが叶う様は、まさに「天啓」の言葉通りといえる。
でも時間の流れとともに、願い事の制限がなくなって、みんなが思い思いの願いを託すようになった。そうなると、天がもたらしてくれるものも変わっていったみたいだよ。
父さんの地元だと七夕の時、ご年配の方々はたいてい「災厄消除」を願う。護摩のような内容だけれども、実際父さんの地元では時折、不可解な事件が起こる。家の一部が壊されたり、犬やニワトリ、場合によっては人間が消えてしまったり……。その残骸や血痕などを残さずにすっぱりさ。
今でこそ十数年に一回あるかないか、という頻度で落ち着いているけれど、戦前までは一年で三人いなくなってしまった年も存在したとか。毎年ではなかったけれども、十分な事件だったわけだ。
事件がなかった年だと、七夕飾りは寺でお焚き上げしてしまう。感謝の念を天までご報告申し上げる、という意味合いが強いみたい。けれども事件のあった年は、笹を節ごとに切り離し、各家庭の短冊とともに家の軒先に埋めてしまう。これにより、まだ取り除かなくてはいけない厄災が、地上に残っていることを知らせることができるのだとか。
これは事件が起こらない年が来るまで、毎年続ける。その間、奇妙な体験をした人の話も残っているんだ。父さんもその体験をしたことがあって、僕に話してくれた内容はこうだ。
七夕からおよそ七ヶ月が過ぎた、二月のこと。大学受験を終えて、念願の自由時間を迎えた父さんは、友達と遊ぶ時間が急激に増えたらしい。近場では映画、遠くではスキーという具合にひと月の大半は外出していたって話だよ。
その日。友達と最寄り駅で別れた時には、もう午後十時を回っていて辺りはすっかり真っ暗だった。天気が悪くて月や星の影もなく、車の通りも全然ない。
父さんは駐輪所に置いてある自分の自転車にまたがると、勢いよく漕ぎ始めた。家までは十五分ほどある。自然と気持ちも焦って来た。漕いで漕いで、全行程の半ばほどに差し掛かった時。
「おーい」とずっと後ろの方から声がした。何事かと思い、自転車を止めて振り返るお父さん。
ここは線路から外れたあぜ道。その数十メートル後ろには、電柱に取り付けられた蛍光灯が一つ。その明かりの中にも、周囲の田んぼの中にも人らしき影は見当たらない。
気味悪くなって前に向き直る父さん。けど、またいくらも行かないうちに「おーい」という声が。先ほどよりも近く、大きい。
絶対にまずい。今度は止まらず、逆に加速した父さんだけど、すぐに進むことができなくなってしまう。両肩を、上からぐっと掴まれ、後ろに倒されたからだ。
自転車から放り出され、背中を打ちつける父さん。乗り手を失った自転車は数メートル先まで、意外なほど確かな姿勢の良さで走り、横転する。前後のタイヤは誰に頼まれたわけでもないのに、カラカラと回り続けた。一方、仰向けに倒された父さんは、上空三メートルほどに羽ばたきながら留まっている影を見る。
ワシ。本の中でしか見たことがないけれど、その羽を広げた姿は父さんの身長の二倍近い長さを持っていた。確かに羽ばたきながら上下動をしているのに、父さんの耳には入ってくるのは別の音。
「おーい、おーい」という声が、その鳥から聞こえてくる。さっきからこいつが鳴いていたんだ、と父さんは察した。人そっくりの声を出す鳥……その足先には、自分の肩をひっかけたであろう、一対の爪が光っている。
鳥が音もなく羽ばたきながら、わずかに上昇を始めた。急降下してくるつもりだろう。父さんが起き上がって身をかわそうとした時、その鳥に横合いから突っこんできた影があった。
父さんが見た限り、突っこんできた影は、あの鳥と同じ生き物に思えた。やはりこちらも「おーい、おーい」と鳴きながら、二羽は組んずほぐれずしながら、猛烈な勢いで彼方へ飛び去ってしまう。
父さんはしばらくあっけに取られていたけど、はっと気づいて倒した自転車の状態を確認。問題ないことが分かると、家へとまっしぐらに漕いでいった。
家の裏庭。七夕の日の笹飾りが埋まっていた部分には、大きい穴が開いていた。ちょうど父さんの身長分くらいの横幅。周囲には派手に巻き散らした、土の塊が転がっていたんだって。
翌日。父さんが祖父母に昨晩の話をしたところ、七夕の願い事が守ってくれたとのこと。けれどもその顔はどこか浮かない表情だった。
話によると、あの「おーい」と鳴く鳥以外にも、奇妙な生き物によって命拾いをしたというケースは昔からあることらしい。でも助かった人の話を聞く限り、襲ってきたのは前回、人を助けてくれたはずの生き物と、合致した特徴を持つものばかりなのだとか。
あいつらは生まれたてはともかく、時間が経つと本来の目的を思い出したかのごとく、被害を出し始める。そしてまた七夕にお願いをし、新しいものが生まれていく……。
自分とその身内を案ずる思いの限り、この流れは途絶えないだろう、と祖父母は語っていたのだとか。