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リリーは腕をさすりさすり、一面の銀世界を見つめていた。
寒いのは苦手だけれど、こんなに幻想的な雪景色を見られるならば一向に構わないと思えるから不思議だ。
とはいえ、絵画のような静寂の美しさとは対照的な部分もある。
リリーは、まるで銀細工のように一面氷が張った池を見た。
賑やかな声が響く中、氷上には沢山の人たちがフィギュアスケートを楽しんでいる。
身分のある貴族たちが、まるで子どものようにはしゃいでいる。
どこかチグハグな印象を受けるが、フィギュアスケートの人気を垣間見たような気がして、リリーは微笑んだ。
楽しい雰囲気は嫌いではない。
もちろん、リリー自身はスケートをするつもりはなかったけれど。
ーー盛大に転んで、怪我をしてしまうのが目に見えているものね。
その点、ジニーはスケートが得意らしい。
であれば、その勇姿をぜひ見ておきたいものだ。
リリーはジニーを探して視線を彷徨わせた。
「レディー・リリー」
呼ばれ振り向くと、ダレンがすぐ隣に立っていた。
防寒具を身にまとったモコモコ状態のリリーとは対照的に、ダレンはスッキリとした出立ちだった。
同じように厚い外套を着ているにも関わらず、なぜこうも違うのだろうかと思っていると「寒くありませんか?」と問われた。
リリーは急いで頷いた。
鼻先が赤くなっていなければいいのだけれどと思いながら。
「ありがとうございます。平気ですわ。寒くなければ楽しめないものもありますから」
美しい雪景色もそうだが、スケートだって寒い時期にしかできないのだ。
自分は滑れないが、スケートを楽しむ人々の姿を見るのは好きだった。
「今日は沢山の方々がいらっしゃっていますね。特にお若い方が多いような気がします」
「ええ。ジニーは今日を楽しみにしていて、知り合いに片っ端らから声をかけて誘っていましたから。ほら、あそこを見てください」
「まあ」
リリーは目を瞬かせた。
ダレンが指し示した方向に、シルビアとアリソン姉妹がいたからだ。
二人共、ジニー同様スケートが好きなのだろう。
満面の笑みだ。
滑らかなスケーティングで人並みを縫うように進んでいる姿は、かなり様になっていた。
「お二人共、とても楽しそうですね。若い人の方が流行に敏感だと言いますが、本当にスケートが好きなのがわかります」
「良いスケート仲間ができたと、ジニーも思っていると思いますよ」
「そういえば、ジニーは今どの辺りで滑っているのでしょうか?先ほどから探しているのですが見当たらなくて」
「あの大木が見えますか?その木から左側の方にいますよ」
リリーは「あ」と小さく呟いた。
器用にクルクルと氷上で回転しているジニーを発見したのだ。
上手なスケーティングだったので、とても目を引いた。
遠目で表情までは見て取れないが、楽しんでいるのだろうと悟って、リリーの頬は自然と緩んだ。
「本当に上手ですわ。わたしは滑れないので羨ましいです。あら、こちらを向いたわ」
リリーが手を振ると、ジニーはそれに応えるようにヒラリとジャンプをしてみせた。
氷上だというのに何の躊躇いもない、自信たっぷりな仕草だった。
「あんなに無邪気な姿は初めて見ました。よほど楽しいんですね」
「いつまでも子どもらしさが抜けないんですよ。もうすぐ結婚するというのに呆れてしまいます」
ダレンはやれやれと首を降ったが、その柔らかい笑みからはジニーに対する慈しみしか感じられない。
娘を愛する父親の顔だ。
「そういえば、結婚で思い出しましたが、レイチェルからはもう話を聞きましたか?」
「レイチェル?何のことでしょう?」
リリーが小首を傾げた時。
「彼女、結婚するんですよ!」
突然、割って入ってきた声に、リリーは肩を揺らした。
振り向けば、いつの間にこちらに来たのか、ジニーが満面の笑みでリリーを見つめている。
「ジニー、いきなり大きな声を出したら、レディー・リリーが驚くだろう」
「ごめんなさい。でも、とってもおめでたいことだから、早く知らせたくて。レディー・リリーも、ごめんなさい」
「わたしは構わないわ。それよりも、レイチェルが結婚するって本当なの?」
「はい!恋人と半年後に挙式をあげるそうです」
恋人と聞いて、リリーはハッとした。
結婚して間もない頃、屋敷の中庭で、レイチェルが庭師の彼と雑談していたのを思い出したのだ。
「もしかして、庭師の?」
「はい、伯爵の屋敷で働いていた時に出会ったのだと聞きました。かれこれ五年以上のお付き合いみたいですよ。同じ奉公先だから、今まで結婚は見合わせていたみたいですけれど」
職場が変わって、お互いに結婚を決めたということだろうか。
レイチェルの解雇は、リリーとしても苦渋の決断ではあった。
が、ダレンの屋敷でステップアップをはかっているレイチェルが、さらに結婚という次の幸せに向かっている。
そのことに、無性に安堵した。
「わたし、レイチェルにはいつもお世話になっているから屋敷を使ってくれて構わないと言ったんですけど、挙式は教会であげたいからと断られてしまいました。彼女には逆に気を遣わせてしまったみたいで」
「そんなことないと思うわ。あなたの心遣いは、絶対に嬉しかったはずよ」
ダレンの屋敷を使っていいとまで言われるほどだ。
お互いに信頼関係が構築されている証拠である。
レイチェルには、ジニーの気持ちがきちんと伝わっているだろう。
「本当におめでたいわ。こういうことって続くのね」
ジニーに続き、今度はレイチェルの婚姻が決まった。
ダレンの兄が亡くなって、悲しみの中での祝事である。
不謹慎だと思う人もいるかもしれないが、結婚を祝えるのは純粋に嬉しかった。
「ハンクも同じことを言っていましたよ」
「え?ハンク?」
「あ、そういえば、まだ伝えていませんでしたね。最近、ハンクを雇ったんです。丁度、執事を探していましたので。ね、お父様?」
「ああ。立派な紹介状を持っていましたし、ジニーが雇えとうるさくて」
「わ、わたしはタウンハウスにお邪魔した時の、彼の仕事振りに感心していたから、それで進言しただけだわ」
そういえば、ダレン達はタウンハウスで当時、管理人だったハンクと出会っている。
その時のことをきちんと覚えていての採用なのだろう。
「まあ、そうだったんですね。知らなかったですわ。ハンクは元気にしていますか?」
「はい。とてもよく働いてくれています。小さいことにもよく気が付いて」
「それに、彼ってとっても力持ちですよね。倉庫の荷物整理の時に、大活躍だったんですから」
「あれは助かりました」
ハンクの相変わらずな様子に、リリーは微笑んだ。
ハンクは年齢的には中年の域を超えているのだが、元から体格が良く、力自慢だった。
タウンハウスで管理人をしてくれていた時も、一人で屋敷を切り盛りしていた彼である。
何かと頼りになる人なのだ。
「ああいう方が来てくれて、本当に嬉しいです」
「お前は、レディー・リリーの話を聞き出したいだけだろう」
ダレンのその呟きはリリーには聞こえなかったが、ジニーにはバッチリ聞き取れていたようで、慌てたように踵を返した。
「わ、わたし、もう行きます。こんな機会、滅多にないから。今の内に沢山滑っておかなくっちゃ。レディー・リリー、わたしはこれで失礼しますね」
「ええ。楽しんで来てね」
「怪我に気を付けるんだぞ」
「はーい」と良い返事をして、ジニーは跳ねるように行ってしまった。
それを、ダレンと二人見送る。
「あいつは婚約を控えていることを、きちんとわかっているのかな」
「わかっているからこそ、"今の内に"なんだと思いますよ」
「ええ、そうですね。流石に、コリンズ家に嫁げば子どもっぽい言動も控えるようになるでしょう。彼は地に足をついた立派な医者ですから、その妻として良識ある態度を取るようになるはずです」
「え?」
「はい?」
リリーは驚きのあまり、目を瞬かせた。
対して、ダレンは不思議そうにリリーを見下ろしている。
「あ、あの、ジニーの婚約者って……」
「コリンズ家の二男で、ジャックという青年です。ジニーから聞いていませんでしたか?」
「え、ええ」
今度は、逆にダレンの方が驚いている。
が、リリーの驚きはそれ以上だった。
ジャックが寄宿学校時代のサイラスの後輩で、今は医師として働いていると紹介されたのは、そう昔のことではない。
ライリーではなく、まさかその彼がジニーの婚約者だとは考えていなかったが。
ーー会った時、彼には想い人がいるような感じだったけれど。
それがジニーだったということだろうか。
リリーは、ジャックのことを頭に思い浮かべた。
物腰の柔らかい、穏やかそうな青年。
悩んでいたのは、彼女との身分の差だった。
卑屈になっているというより、自分と一緒になって彼女に苦労をかけたくないという優しさも感じられた。
その彼であれば、きっとジニーのことを大切にしてくれる。
リリーには自然とそう思えた。
「まさか、あなたに伝えていないとは思いませんでした。一番お世話になっておきながら、本当にすみません」
「いえ、タイミングが悪かったというか、わたしも今まで機会があったのに、尋ねなかったので。だから、気にしないでください」
本当に申し訳なさそうに謝るダレンを、リリーが慰めるという変な図式になってしまったが、おめでたいことに変わりはないのだ。
リリーにとっては、ジニーの幸せが一番なのである。
ーーそれに、これでジニーの婚約話を聞いてもモリーが傷付くことはないわ。
大好きな二人が悲しい気持ちにならなくて本当に良かった。
そう思うと同時に、ふと疑問が湧き起こる。
結局モリーが振られたのは、なぜなのだろうかということだ。
てっきり、ジニーがその理由だと思っていたが、違うのだろうか。
何だか、そのことが無性に引っかかった。
「どうかしましたか?」
「い、いえ」
リリーは、ハタと我に帰った。
理由については考えても仕方がないことだし、今は単純にジニーの幸せを喜びたかった。
だから、リリーは満面の笑みで返した。
「彼なら、ジニーを必ず幸せにしてくれるだろうなと思いまして。今さらですが、本当におめでとうございます」
後から聞いた話によると、ジニーとジャックは社交界デビューの舞踏会でダンスをした時から、お互いに想いあっていたらしい。
リリーは、ライリー子爵と踊っているジニーの姿しか見ていなかったが、あの後、ジャックにもダンスに誘われて踊ったという。
その時に、お互い惹かれ合ったようだが、身分違いということもあり、ジャックがジニーを避けるようになった。
ジニーが一時とても悩んでいたのは、どうやらそれが原因だったようだ。
その後、どういう過程を経て二人が婚約するまでに至ったのかはわからない。
が、いつか聞いてみたいなと、リリーは思った。
「二人ならきっと素敵な家庭を築ける。不思議とそう思えますわ」
「わたしもです」
ダレンはふと笑った。
彼にとっては、一人娘が嫁ぐことになるので寂しく感じている部分もあるのかもしれない。
が、リリーにとってそうであるように、ダレンにとってもジニーの幸せが一番の幸福である。
婚約を喜ばないはずがなかった。
ーーそういえば、わたしがジェイソンと結婚した時も、お父様たちは手放しで祝福してくれたのだったわ。
瞳を潤ませながらも満面の笑みで祝辞を向けられたことを、リリーは今でも鮮明に覚えている。
親とは基本そういうものなのだろう。
子の喜びを共有する存在なのだ。
だからこそ考えてしまう。
サイラスと結婚した時も、彼らは喜んでくれたのだろうかと。
今となってはわからない。
が、もしかすると……。
リリーは隣に立つダレンを見上げた。
彼の穏やかな表情に、自身の両親のそれを重ねながら。




