84
フワフワとした微睡の、既視感を感じるこの不思議な空間を、リリーは覚えていた。
また、あの不思議な夢。
キョロキョロと周囲を見渡し、白い景色の中で唯一の色を探した。
「こんにちは」
目当ての存在を見つけ声をかけると、男の子は振り返った。
が、どこか不安気な様子。
リリーは首を傾げた。
「どうしたの?大丈夫?」
具合が悪いのかと心配したが、男の子は首を横に振った。
「平気だよ」と言って。
リリーは、おや?と思った。
いつもの夢だと、一方的なやり取りで、声質もぼんやりとした不安定なものなのだが、今回はやけにハッキリと耳に届く。
リリーは思い切って尋ねた。
「わたしの名前はリリーよ。あなたは?」
「……当ててみてよ。僕の名前、知っているはずだから」
「え?わたし、あなたと会ったことがあったかしら?」
まじまじと男の子を眺める。
確かに、何となく見覚えがあるような気がしたが、全く思い出せない。
「ごめんなさい……わからないわ」
男の子はまた首を振った。
わかっているよとでも言うように。
「……僕はリチャードだよ」
教えてもらっても、やはり男の子のことは思い出せなかった。
そのことが無性に、リリーの胸を締め付ける。
「カッコいい名前ね」
「うん。お父さんが付けてくれたんだ」
「まあ、それは素敵ね。実はわたしの名前も、お父様が付けてくれたのよ」
「一緒だね」
リチャードが嬉しそうに微笑んだので、リリーもつられて笑った。
「リチャードはいくつ?」
「七歳。ううん、もうすぐ八歳かな」
リチャードはどこか虚空を見つめながら言った。
つられ、リリーも周囲を見やる。
ふと思ったのは、まだ幼い彼が、なぜ何もないこんな空間にいるのだろうかということだ。
「リチャード。あなたは一人で何をしているの?お父さんとお母さんは?」
「お父さんは、あっちにいるよ。お母さんは……」
そこで、リチャードはギュッと口を閉じた。
一瞬俯き、かと思えば、反動を付けるようにしてリリーを見上げる。
「それよりも、伝えたいことがあるんだ。僕はそのためにここにいるんだよ」
「わたしに?まあ、何かしら?」
「気を付けて」
「え、えーと、それはどうして?」
「危険が迫っているんだ」
やけに必死に言うものだから、リリーは少し面食らってしまった。
リチャードが本気で言っていることが伝わってくるだけに、どう返して良いかわからない。
「お願い、お願いだから、気を付けて」
縋るように乞われる。
それに対して、リリーはただ頷いた。
ゆっくりと瞼を開けて、何度か瞬いた後。
リリーはようやく自分が読書中に寝てしまったことに気が付いた。
久しぶりに詩集を読もうと思ったのは良いが、居眠りしてしまうなんて、何だか恥ずかしい。
リリーは詩集をそっと置き、ゆっくりと立ち上がった。
この数日、リリーはあまり眠れていない。
ウトウトしてしまったのは、そのためだ。
最近、サイラスの様子がおかしい。
いや、以前から何か悩んでいる風ではあったのだが、マリーの所から帰ってきてからというもの、全く視線が合わなくなった。
同じ部屋にいても、ぼんやりとどこかを見つめているし、一日中、書斎に閉じこもっていることさえある。
本人に尋ねると、少し風邪気味なんだと言う。
リリーにうつしたくないから、しばらく自室に一人篭るという日もあった。
マリーの件があるので、本当に風邪なのかもしれないが、リリーには何か別の理由があるような気がしてならなかった。
「奥様」
「……ああ、ごめんなさい。そろそろ準備しなくてはいけないわね」
腰を上げ、身支度をする。
今日はフィギュアスケートの催しがあった。
暖かくして行かなければならない。
本当ならそんな気分ではないのだが、サイラスが自分の分まで楽しんで来て欲しいと言うので、リリーとしても頷くしかなかった。
ダレンの誘いでもあるし、ジニーも楽しみにしているようなので、とりあえず顔だけでも出そうと、リリーは思っている。
暖かいが、少し重い外套を羽織って、リリーは私室を後にした。
途中、サイラスの部屋の前で足を止める。
「サイラス」
ノックをするも、返事はなかった。
寝ているのかもしれない。
起こすのも偲びないので、リリーは小声で言った。
「早く元気になってね。行って来ます」
もちろん、サイラスの応えはなかった。




