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サイラスとピーターは、朝からずっと仕事に勤しんでいた。
ワーカホリック気味なサイラスが、少し疲れたなと伸びをするくらいだ。
結構な時間が経っていた。
「あの、旦那様」
戸惑い気味の使用人から声をかけられたのは、そんなもう夕方近い時分だった。
ちなみに、この場合の旦那様というのはピーターのことである。
ここは、リリーの実家のタウンハウス。
声をかけてきた使用人も、以前管理人をしていたハンクではなく、ピーターが領地の実家から連れてきた使用人だった。
「どうかしたの?」
「いえ、その怪しい人物が……」
「どんな奴だ」
サイラスは割って入った。
リリーへの決意を新たにしたばかりで、怪しい人物と聞けば、気持ちが逸らない訳がない。
そんなサイラスの勢いに押されるような形で、使用人は答えた。
「髪も服装も全身黒尽くめで、背丈は……」
「もしかして、エルと名乗っていなかったか?」
嫌な予感がして尋ねると、使用人はホッとしたように頷いた。
「はい、そうです。良かった、知り合いだったんですね。伯爵に渡せばわかるからと言われて、預かり物を無理やり持たされた時にはどうしようかと思いました」
「すまない。あいつは……いや、それよりも、その預かり物を渡してもらえるだろうか」
「かしこまりました」
……。
…………。
………………。
「えーと、それは何ですか?」
ピーターの純粋な目が痛い。
今、サイラスの目の前には謎の物体Xもとい、プティングが置かれていた。
そう。美味しそうなプティングが、である。
なぜプティングなのかという問いは意味をなさない。
エルという人間の根底には、そんなもの有りはしないのだから。
そこまで考えて、サイラスは大きく首を振った。
今現在、本題は別にあることを思い出したのだ。
ーーそうだ。エルが連絡を寄越してきたのは、つまり、何かしらの情報が手に入ったということだ。
サイラスは腹を括った。
長い息を吐き出し、プティングに指を突き刺す。
何とも言えない感触が広がるが、構わず中を探った。
食べ物を粗末にしてはいけないということばが頭をよぎった丁度その時。
紙片のようなものを発掘したサイラスは、躊躇なくそれをつまみ上げた。
「それは何ですか?」
ピーターの純粋な目が痛い。(二回目)
エルの悪ふざけにはいつも頭が痛くなるが、義理の弟の前で舌打ちする訳にもいかず、サイラスはさも当然といった風に答えた。
「手紙だよ」
「…………」
ピーターは目を細めた。
絶対に納得はしていない。
が、基本育ちがいいので、それを主張することはなかった。
黙って、ハンカチを手渡してくれる優しい義理の弟に感謝しつつ、自称弟から送られてきた手紙もとい紙片らしきものの汚れを拭き取る作業を無心で行う。
あらかた拭き取り終わった頃、紙片を広げたサイラスは急いで内容に目を通した。
"久しぶりだね、兄さん。
僕は遥かな旅路を終えて、ようやく戻って来ました。
直接会えないのは残念だけれど、手紙を預けていきます。
可愛い弟からの手紙に、兄さんはさぞ涙を流して喜んでいることでしょうね。"
思わずイラっとしたのは仕方がないことだと、サイラスは思った。
紙を破り捨てたい衝動に駆られ、それを寸でのところで抑え込んだ自分を褒めてあげたい。
が、今はそれどころではなかった。
深呼吸を一つ、サイラスは手紙の続きに目を走らせた。
"僕は大変優秀なので海を隔てた大陸に居ながらにして、兄さんから頼まれていた情報を集めました。
褒めてくれていいんだよ?
持つべきものは、優しく優秀な弟だよね。"
どの口が!と言いたいのをグッと堪える。
が、よほど不愉快さが顔に出ていたらしい。
ピーターが心配そうに声をかけて来た。
「疲れているのですか?良ければ、後は自分だけで仕事をしますが」
サイラスは、心の中で何度も頷いた。
優しく優秀というのはこういうことを言うのだと。
「あの、本当に大丈夫ですか?」
「あ、ああ。申し訳ない。大丈夫だ。だが、少しだけ待ってもらえるとありがたい。大切な知らせなんだ」
「わかりました」
真に優しく優秀な弟であるピーターは、素直に頷き、傍らの紅茶に口をつけた。
待つ間、休憩するつもりなのだろう。
サイラスが気兼ねなく手紙を読めるよう配慮してくれている。
そうだ、何度だって言おう。
優しく優秀というのはこういう(以下略)。
"という訳で、僕は母さんの墓参りがてら、ツテを頼って、ユリの購入ルートを調査しました。
この時期、ユリを売買している人は少なかったので、案外すぐに判明したよ。
その人物が誰なのか聞きたい?聞きたいよね?
じゃあ、聞いて驚けと先に言っておこう。
なぜかって?
兄さんの知っている人だったからさ。
世間って狭いよねー。
というか、寮生時代、顔を合わせている程度には僕も知っている人だったけれど。
まぁ、僕はあいつ偽善的で嫌いだったから何とも思わないかな。
でも、兄さんはショックなんじゃない?
何だかんだで、今も付き合いがあるだろうし。
いや、そうでもないか。
兄さんにしてみれば、知人レベルの付き合いだし、そもそもあいつと寮生活が被ってたのは一年にも満たなかったしね。
まあ、どっちにしろ、あいつをこらしめるなら僕にも声をかけてよ。
偽善者は大嫌いなんだ。
ん?話が長いって?
まあ、そうめくじらを立てないでよ。
散々焦らして、僕の気は済んだから。
という訳で、ズバリ言うよ?
こらしめるのは、寮生時代の君の後輩。
今は爵位を継いで子爵になってるライリーくんさ!"
「ライリー子爵が、あなたの恋人だったの?!」
モリーの元恋人を教えて欲しいと頼んで彼女から返ってきた答えに、リリーは驚きを隠せなかった。
歳下だと聞いてはいたが、まさかという気持ちが勝る。
「やっぱり知り合いだった?」
「知り合いというか、舞踏会の時に会ったことがあるけれど……モリー、あなたは?」
「わたしはね、とある夜会で声をかけられたの。彼が爵位を継いで間もない頃だった。お互いに引っ込み思案だったから気が合って。それから仲良くなったの」
「引っ込み思案?」
何だか、リリーの印象とは違う。
ライリー子爵は社交的で好青年というのが、リリーをはじめとする社交界での見方だった。
ジニーとダンスを踊っている姿は余裕があったし、仮面舞踏会で女性を助けた時も頼りになる感じだった。
そんな人が引っ込み思案というのは違和感を覚える。
「昔の自分を変えようと頑張っていたみたい。わたしはあまり無理をして欲しくなかったんだけれど、それで自信がつくならと応援していた。むしろ、わたしも見習って彼に相応しい女性になろうって思ってた。でも、彼は心変わりしてしまって……」
俯くモリーを、リリーは複雑な思いで見つめた。
モリーが振られた理由に心当たりがあったからだ。
ーー婚約しました。
そう言った時の、ジニーの嬉しそうな表情が頭をよぎる。
ライリー子爵はつまり、モリーではなくジニーを選んだということなのだろうか。
ジニーの婚約者がライリー子爵と決まった訳ではないけれど、もしそうであるならば、モリーとジニーはお互いにそのことを知らない。
モリーはどうやらライリー子爵の想い人がリリーだと勘違いしているようだが、ジニーの婚約が発表されれば、少なくともモリーの方は気付くはずだ。
自分が振られた理由を。
一つの幸せが、一つの悲しみを生む。
そのことに思い至ったリリーは、とかく気が重くなるのだった。




