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ーー気を付けて。
ああ、また夢だわと、リリーは思った。
時折見る、リリーへの忠告。
目を覚ますといつも忘れてしまう夢。
まるで、リリーに危険が迫っていて、それを知らせるような、とても気になる夢。
何より、この声の主は誰なのだろうと、リリーは考える。
どこかで会ったことがあるような懐かしささえ感じさせる、まだ十にも満たない少年の声。
その正体が知りたくて、リリー手を差し伸べた。
「あなたは誰?」
縋るように尋ねると、声の主はただ言った。
ーー僕の名前は……。
微睡から目覚めたリリーは、ふと自分が手を伸ばしていることに気が付いた。
ぼんやりと手の甲を眺め、首を傾げる。
自分はきっと何か大切な夢を見た気がすると思った。
が、内容が全く思い出せない。
ーー前にも、こんなことがあった気がするわ。
リリーは首を傾げ傾げ、考えた。
なぜ大切な夢だったと思うのか、それさえもよくわからない、この不思議な夢の意味を。
既視感に襲われながらも、思い出さなければいけないと思う理由を。
リリーは腕を組んでしばらく思考を巡らせていたのだが……。
コンコンというノックの音が響く。
リリーはハタとして腕組みを解いた。
反射的に窓の外を確認し、柄にもなく寝坊してしまったことに気付く。
大きく寝過ごした訳ではないが、普通ならサイラスとの朝食の為に、身支度を始めている時間だった。
リリーは弾かれたようにベッドから抜け出した。
と同時に、もう一度ノックの音が響く。
「入ってちょうだい。もう起きているから」
メイド頭のアンが顔を出した。
慌てている主人を一目見て、状況を理解したらしい。
手短に朝の挨拶を済ませ、急ぐリリーの着替えを手伝ってくれた。
「バタバタして申し訳ないわ。もう朝食の準備は整っているのかしら」
「はい」
であれば、リリーの身支度を済ませれば、あとは朝食の席につくだけである。
優秀な使用人たちのおかげだ。
本当にありがたい。
「助かるわ。どうもありがとう」
「とんでもございません」
アンがそう言ったと同時に、支度を終えたリリーは足早に部屋を出た。
すると、どうだろう。
偶然にも、廊下でサイラスと出会した。
思わず、アンと視線を合わせて頷き合う。
サイラスは不思議そうに、そんなリリーとアンを交互に見つめていたが、あえて訊いてはこなかった。
そのことに安堵しつつ、階下まで降りて行ったリリーは、サイラスと二人、朝食の席についた。
こんなに規則正しく過ごしている貴族というのも、案外珍しいのかもしれない。
社交界シーズン終盤とはいえ、連日、何かしらの集まりは夜半まで繰り広げられている。
それに参加する為、多くの貴族たちは、昼過ぎまで寝て夕方に活動を開始するという、昼夜逆転の生活を送るのが常だった。
元々リリーはあまりそういった催しには参加しないので無縁の話なのだが、サイラスはまだ若く、付き合いだってあるはずだ。
そんな彼まで、こんな隠遁生活みたいなことをしていていいのだろうか。
「ねえ、サイラス。あなたは、あまり社交界の集まりには興味がないの?」
「どうして?」
「だって、あなた、沢山お誘いは受けているはずなのに、ほとんど断っちゃうから。退屈じゃないの?」
「いや、別に。元々そんなに好きじゃないんだ。ああいった集まりには付き合いで行くだけだよ。それに今はなるべく家に居たいんだ」
それは、サイラスがリリーの身の安全を第一に思ってくれているからだろう。
サイラスはリリーが狙われていると考えている。
実際リリーの身の周りで不穏な出来事が続いているのも事実だ。
サイラスはリリーを守る為、なるべく傍に居ようと努力している。
それがわかるからこそ、リリーは申し訳ない気持ちになった。
「嬉しいけれど、あなただってお友だちと楽しく過ごしたい時だってあるんじゃない?それに昔はよく社交場に顔を出していたって聞いたわ」
「エルバートだな」
サイラスは傍に控える執事を睨んだ。
が、エルバートも負けてはいない。
顔色一つ変えずに「事実です」と言い切った。
先に折れたのは、むしろサイラスの方だった。
「……確かに、昔はよく参加していたよ。でも、それはハメを外す為じゃなかった」
「もしかして、お仕事関係?」
「うん、それもある。でも、別の理由もあったというか……どうしても、探したい人がいたんだ」
ーー公爵夫人だわ。
リリーは咄嗟に思った。
サイラスがいかにヴェロニカを愛していたのか、リリーは理解している。
が、そういう気持ちになる前の経緯や出来事についてはよく知らなかった。
探したいというサイラスの表現からは、運命の女性を見つけるという漠然とした意味なのか、以前に出会った特定の女性に会いたいという意味なのか、イマイチ判断できない。
できないが、サイラスにはサイラスなりの今までがあって、その中で培ってきた想いがあるのだろうと、リリーは感じ取った。
ーー立ち入ったことを聞いてしまったと思ったけれど、そうじゃないのかもしれない。わたしたちはきっとこういうことを、もっと知り合っていく必要があるんだわ。
二人の将来を考える為に。
"何か"が芽吹くのか待つのではなく、お互いをわかり合う為の"何か"が必要だった。
その為に、いつかヴェロニカとの出会いについても聞いてみたいと、リリーは思った。
朝食後、今日の予定をアンと相談していたリリーは、ふとサイラスの視線を感じた。
話を終わらせサイラスに向き直ると、彼は「邪魔をしてごめん」と前置きした上で言った。
「もしかして、ちょっと疲れている?」と。
正直、リリーは驚いた。
朝の夢のせいで、若干目覚めが悪かったのだ。
不調というほどではないものの、スッキリしない。
そんな些細な変化に、サイラスは気付いたようだった。
「驚いたわ。よくわかったわね。ああ、違うの。別にお医者様を呼ぶほどのことじゃないのよ。だから、座ってちょうだい。本当に、具合が悪いという訳じゃないの。ただ、夢を見て……」
首を傾げるサイラスに、内容が思い出せない不思議な夢の話をすると、彼は「うーん」と考え込む風を見せた。
「夢を覚えていないのは、よく眠れていた証拠だと言うよね。でも、目覚めが悪いとなると、ちょっと違うのかな。君は夢の内容が気になるんだよね?だから、スッキリしないってこと?」
「ええ、そうだと思うわ。内容は覚えていないのに、思い出さなきゃいけないような気がするというのが不思議で。そもそも、どうしてそんな夢を見るのかしら」
「君の心理がそういう夢を見せているという可能性もあるけれど、そうだなぁ。幽霊の仕業とか?」
「幽霊?」
この国には、スピリチュアリズムと呼ばれる思想が根付いている。
亡くなった魂に語りかける降霊会が、社交場で流行しているくらいだ。
幽霊を身近な存在として感じている人が多い証左である。
「意外だわ。あなたは心霊現象を信じているの?」
「まさか。でも、実際に見たり感じたりした訳じゃないからね」
つまり、幽霊を見たことがないからといって、その存在の否定にはならないと言いたいのだろう。
サイラスらしい考え方だった。
「リリー、君はどう?幽霊を信じる?」
「そうねぇ、難しいことはわからないけれど、いたら会ってみたい気もするわ。信じているかどうかは別として、優しい幽霊とならお話してみたいとも思うし」
「優しい幽霊は人前には出てこないんじゃないかなぁ。悪戯好きな幽霊なら別だろうけど」
聞きながら、リリーは思わず微笑んだ。
リリーに不思議な夢を見せているのが、幽霊の仕業というのは荒唐無稽な話だった。
しかし、サイラスは別に本気で言っているわけではない。
和ませようとしてくれているのだろう。
それがわかるから、リリーは敢えて話を合わせるように頷いた。
考えたって仕方がない。
そもそも、それほど悩んでいる訳でもなかった。
むしろ、先日、ダレンの兄が亡くなったことの方がショックだったくらいで。
ーーああ、もしかして、サイラスはそのことにも気付いていたのかしら。
具合が良くないことは知っていたが、ダレンの兄である伯爵の死は、リリーには唐突だった。
身近な人の家族が亡くなるというのは、心優しいリリーにとって胸が痛む出来事だ。
自分でも気付かぬ内に、心が動揺していたっておかしくない。
だからこそ、リリーの機微に触れようとしてくれるサイラスの優しさに、リリーは心底感謝した。
リリー以上に、リリー自身のことを考えてくれる。
その優しさを肌で感じ取ったからこそ、リリーの胸はあたたかい気持ちで満たされたのだった。
窓の外を見ると、珍しく陽の光が溢れていて。
まるで、慈しみの中に包まれたような朝だと、リリーは思った。




