表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
帰ってきた夫  作者: 西子
67/126

60

リリーの過去を知った。

リリーがこの七年間ずっと一人で抱えてきたことの重さを思うと、サイラスはただやるせなかった。

愛する夫であるジェイソンの亡骸を目の当たりにしただけでも相当のショックだっただろうに、親友と思っていたフレデリックに裏切られたのだ。

腹が立って当然ではないか。

許せないと思うことのどこかいけないというのか。

サイラスは、思いきり眉を寄せて、心中でそう罵った。

どこの教会の神父かは知らないが、まるでリリーに非があるような説教が許せなかった。

善良な人間たれなど、リリーのように傷付いた人にかけることばではない。

そもそもリリーほど優しい人はいないというのに。

もっと許せないのは、ずっとリリーを裏切っていたジェイソンたちだが、それを言うならサイラスもまた同罪だった。

リリーがサイラスと結婚したのは、ジェイソンが亡くなって二年後のこと。

リリーは、寄り添ってくれる愛情を求めていた。

傷付いた心を癒す安らぎが必要だった。

それなのに、結婚してからの五年、サイラスがリリーに与えてあげられたのは、むしろ更なる苦痛のみ。

本当に不甲斐ない。

こんな自分でも償えることがあるはずだと考えて帰って来たが、愚かな行いだったのかもしれない。

サイラスはただただ自分という存在が忌々しかった。


ーー忌々しいといえば、これもだがな。


サイラスは、一本の赤いユリを不快そうに見つめた。

晩餐会の夜、窓の外にこれ見よがしに置かれていたこの花。

その意味を考えれば考えるほど、腹が立って仕方がなかった。

それはつまり、リリーを怖がらせた犯人がすぐ傍にいたことを意味していて。

あまつさえ、サイラスは近くにいながら何もできなかったことになるのだ。

確証はない。

しかし、これはリリーに脅迫紛いの文を送り付けている人間と同一人物の仕業ではないかと、サイラスは思った。

犯人は招待客の中にいたのだろうか。

それとも使用人の誰かなのか。

はたまた外部の人間の犯行か。

サイラスはユリを睨み付けながら考えていた。


「旦那様、それは……」


執事のエルバートは不安そうに、サイラスとユリを交互に見やりながら呟いた。


「やはり見覚えがあるんだな、エルバート」

「はい。屋敷で発見したユリと同じものかと。花の品種には詳しくありませんが、恐らく……しかし、それを一体どこで?」

「今夜の晩餐会があった屋敷で、だ。色々あったんだ」


今夜あったことをかいつまんで話して聞かせると、エルバートは眉を寄せた。


「つまり、もし旦那様がいらっしゃらなけなければ、その犯人は奥様を害そうとしていたかもしれないということですね?」

「確かなことはわからない。しかし、その可能性はあったと思う」

「なんと恐ろしい……」

「全くだな」

「わたくしにはわかりません。あんなにお優しい奥様を傷付けようとする人物がいるだなんて」


サイラスは頷いた。

リリーは、怨みを買うような人間ではない。

慎ましく誠実に生きてきた女性だ。

感謝こそされ、怨まれるような言動はしないだろう。

そのリリーを付け狙う人間がいるとすれば、もはや逆恨みくらいしか思い当たらない。

なんとも理不尽な話である。


「わたしも同感だ。リリーは恨まれるような人間ではない。だが、彼女を害そうとする人物がいることも確かだと思う。だからこそ、エルバート、お前にも協力して欲しい」


どんなことがあっても必ずリリーを守るつもりではあったが、サイラスがいつもリリーの傍に居られるとは限らない。

もし、サイラスが仕事で家を空けるような時はエルバートに目を光らせてもらう必要があった。


「心得ております」


そう請け負ってくれたエルバートを、サイラスは心強い思いで見つめたのだった。





一週間後。

サイラスはエイミーと向かい合っていた。

これは、リリーがお茶会を開き、そこにエイミーを招待するという形で実現したものである。

お茶会はリリーの提案だった。

数日前、エイミーからリリー宛に謝罪とお礼の手紙が届いたのだが、それを読んだリリーが開口一番に言ったのだ。

良い機会かもしれないから彼女を招待しましょう、と。

リリーは嫌な顔一つせず、サイラスたちに話す機会を提供してくれたのである。

それを知らないエイミーは、ただサイラスに会えて嬉しいという表情だったけれど。

リリーは何も言わず、そっと席を外してくれたのだった。

彼女にとっては当然、サイラスたちに対する嫉妬心などなく、ただ単純に五年前の別れをきちんと済ませることがお互いのためになるだろうとの考えなのだ。

それは、つまりリリーにとってのサイラスがそういう対象ではないということを意味していて、正直複雑な思いはあったけれど、今までの諸々を鑑みれば当然のことだった。

むしろ、せっかくのリリーの好意を無駄にせず、エイミーに対して誠意を尽くすことが肝要だと思った。

帰国した当初は唐突過ぎて、リリーを戸惑わせてしまったサイラスである。

同じ轍を踏まず、このチャンスを活かすにはどう切り出すべきか、サイラスは慎重に考えていた。


「サイラス、あなたに会えて本当に嬉しいわ。こうしていると、昔を思い出すわね。わたし、ずっと寂しかったのよ?あなたが隣国に行ってしまって。どうして連絡してくれなかったの?」


少し拗ねた様子で、エイミーはサイラスを見やったが、すぐに微笑んで首を振る。


「でも、もういいの。あなたはこうして帰って来てくれたし、わたしはもう怒っていないもの。これで元どおりだわ。そうよ、全て昔に戻ったのよ」

「……昔には戻れないよ、エイミー」


サイラスは語りかけるように言った。

夢見る少女のように瞳を輝かせるエイミーを見ていると、何だか悲しくなった。

それは、五年前の自分そのものだったから。


「あなたらしくないわね、サイラス。お互い結婚しているからって言いたいんでしょうけど、そんなの関係ないじゃない。離婚すればいいんだもの。もし、あなたが世間体を気にするのなら、結婚したまま関係を続けることだって出来るし」

「エイミー……」


サイラスは二の句が継げなかった。

過去の自分も同じようなことを考えていたのだと思うと、身につまされる思いだった。

不倫という道を選んだことで、結局皆、不幸になってしまった。

それはサイラスの責任であり、償おうとしても簡単には出来ない。

取り返しがつかないこともあるのだと、サイラスはもう知っていた。


「サイラス、わたし、あなたを愛しているわ。初めて会った時からずっと。あなただけを愛している。だから、やり直しましょう」


ああ、とサイラスは良くわからないため息と共に胸が締め付けられた。

これが五年前、エイミーときちんと向き合わなかったことへの結果なのだとすれば、彼女には本当に申し訳ないことをしたと思う。

エイミーの想いを受け入れられないからではない。

もし、リリーに今同じことを言われたらサイラス自身が傷付くだろうことばを、これからエイミーに対して言わなければならないからだ。

愛する人に拒絶される。

その痛みを、サイラスはエイミーに与えなければならなかった。


「……すまない。君とやり直すことはできない」

「どうして?さっきも言ったけれど、離婚が難しいなら別の方法で……」

「エイミー、わたしは他の人を愛している。だから、君とやり直すつもりはない」

「…………」


エイミーは何も言わず、ただ一点を見つめていた。

いつも表情豊かな彼女からは想像できないほどの無表情である。

何を考えているのか、サイラスに全くわからなかった。


「五年前、わたしは君と別れる努力を怠った。きちんと向き合って誠実に話せば、ここまで拗らせることはなかっただろうに……。わたしのせいで君を傷付け、ずっと過去を引きずらせてしまったこと、深く謝罪する。エイミー、本当に申し訳なかった」


サイラスは頭を下げた。

精一杯の謝罪の気持ちからだ。

エイミーはサイラスみたいな至らない人間を愛してくれた。

その気持ちに応えられなかったにも関わらず、ずっと想っていてくれた。

それが、どれほどありがたいことか。

そして、同時にどれほど苦しいことか。

今のサイラスには充分過ぎるほどわかる。

だからこそ、言わなければならなかった。

別離のことばを。

ただ真っ直ぐに。

いつか自分は夜道で誰かに背後から刺されるかもしれないなと心のどこかで思いながら、サイラスは顔を上げた。


「本来なら五年前、言うべきだったことを今、言わせて欲しい。エイミー、別れよう。勝手な言い分かもしれないが、この関係は正しくない。終わらせるべきだ。お互いの伴侶に恥じない行動を取ろう」


特に、夫であるハロルドは妻であるエイミーを心から愛しているのだから。

そう続けると、彼女は押し黙った。

何も悟らせないと言わんばかりの無表情さ。

それと対峙したまま、どれほど気詰まりな沈黙が続いただろうか。


「……もう帰るわ」


エイミーはそう唐突に呟いた。

嫌だとも、わかったとも言わず、踵を返す彼女に、こちらの意図は果たして伝わったのだろうかと、サイラスは訝った。

引き止めようと手を伸ばし、思わず、その手を止める。

エイミーの肩が小刻みに揺れているのが見えたからだ。

それは、まさに将来のサイラスを彷彿とさせた。

リリーの安全を確保するという役目を終えたその瞬間、リリーとの結婚生活は終わる。

リリーの隣に、サイラスの居場所はないことは明白で。

サイラスには別離を悲しむことすら許されない。

そんな姿を見せれば、優しいリリーはきっとサイラスを選んでくれるから。

だからこそ、サイラスは笑顔でリリーを見送らなければならないのだ。

彼女の幸せの為に。

愛する人を手放す覚悟を決める。

それはきっとサイラスがリリーにしてあげられる最大の償いだった。


サイラスは手を下ろし、エイミーを見送った。

すぐに納得してくれるとは思っていない。

エイミーとは、これから時間をかけて話し合っていくつもりだった。

だから、サイラスはエイミーを引き留めない。

近い将来、去って行くサイラスをリリーもまた同じように引き留めはしないだろうと思いながら。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ