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それからは、あっという間だった。
リリーはとにかくサイラスの誤解を解こうと奔走した。
しかし、何度連絡を取ってもサイラスは仕事の多忙さを理由に会ってくれなかった。
まさか約束を取り付けずに押しかけるわけにもいかず、リリーは途方に暮れた。
偶然を装ってサイラスが参加するパーティーに出席したこともあったが、リリーがいるとわかるや、サイラスはそそくさと帰ってしまうので、話す機会は無きに等しい。
せめて手紙でいいから謝ろうとしたのだが、サイラスは読んでいるのかいないのか、まったくといっていいほど音沙汰がなかった。
手紙を読まずに捨てているか、読んでいたとしても、内容を全く信じていないのかのどちらかだろう。
両親に相談したこともあったが、彼らは終始、結婚さえしてくれればサイラスがどう思っていようが構わないという態度だったので、さすがのリリーも泣きたくなった。
何だかんだで、いつもリリーの気持ちを尊重してくれる両親だが、今回ばかりは何か別の思惑でもあるのか暖簾に腕押し状態だったのだ。
当然、サイラスの母には結婚に至るまでの経緯が経緯なので、相談することもできない。
八方塞がりとはまさにこのことだと、リリーは頭を抱えた。
こんな調子で、あっという間に時は過ぎ去った。
打開策を見出せぬまま、気付けばサイラスとの結婚式当日。
式は、荘厳な教会で執り行われた。
リリーにとっては、二度目の結婚式である。
雲の上をふわふわと歩くような感覚に包まれていたジェイソンとの結婚式とは対照的に、甘い雰囲気とは無縁の、殺伐としたものとなっていた。
新郎は終始、仏頂面。
新婦は顔面蒼白で、お互いにまったく視線を合わせない。
何度か、新婦がか細い声で話しかけるものの、新郎は完全に無視しており、式に参列した者たちは居心地の悪い思いをしていた。
もちろん、リリーもそのことには気付いていた。
気付いてはいたが、どうすることもできないというのが現状だった。
リリーは、隣に立つサイラスをちらりと盗み見た。
今日のサイラスは一段と素敵だなと、どこか他人事のように思う。
端整な顔立ちのサイラスは、いつもとびっきり素敵なのだが、厳かな教会で、しわ一つない上質な服装に身を包んだ彼の姿に、思わず感嘆のため息が漏れた。
ダークブラウンの綺麗な髪を無造作にかきあげる仕草でさえ、美術品のそれだと。
反して、リリーはどうだろうか。
決して不細工な容姿ではなかったが、美人とはほど遠い。
ベールに覆われた顔は、傍目からでもわかるほど青白く、覇気がなかった。
ドレスは華やかなのに、それを身につけた人間の、しおれた花のような地味な佇まいが、かえって哀れであった。
お世辞にも美しいとは言えないなと、リリーは己を顧みて自嘲した。
もちろん、リリーの家族は「綺麗だ」と手放しで喜んでくれたけれど、他の参列者たちからはドレスや式場の雰囲気のことしか褒められていない。
その時の彼らの微妙な表情が全てを物語っていた。
不似合いのカップルだと、そう暗に言われたも同然だった。
リリーは、みじめな気分で俯いた。
せめて、サイラスの誤解が解けてさえいればと、思わずにはいられなかった。
数ヶ月経ってなお、サイラスはリリーに対してひどく腹を立てている。
確かに、両親のしたことは許しがたく、それを止められなかったリリーにも非はあった。
その責めは、甘んじて受け入れようと思っている。
ただ、結婚に関してだけは、リリーの意図するところではなかった。
そのことだけは、サイラスに知っていて欲しかった。
そもそもリリーは誰であろうと二度と結婚するつもりはなかったのだから。
リリーは、最後にもう一度だけ勇気を振り絞って、隣のサイラスに話しかけた。
努めて、毅然とした声音を意識する。
「伯爵、聞いてください。わたくしは、あなたと結婚するつもりはありませんでした。両親にも、あのことは一切話していません。こんなことになり申し訳なく思っていますが、どうかそれだけは信じてください」
リリーはじっとサイラスの反応を待った。
が、彼は決してリリーを見ようとはせず、前を向いたまま口元を極力動かさないように、隣にいるリリーにだけ聞こえるように呟いたのだった。
「わたしが、君を信じることは、もう二度とない」
絶対に許さないと、その横顔が語っていた。
一生リリーを恨み続けるのだろうと思わせる、徹頭徹尾の拒絶であった。
リリーは思わず、サイラスの腕に触れようと手を伸ばした。
しかし、サイラスはそれをさせなかった。
牧師に言われるまま、祭壇へと一歩足を踏み出したからだ。
なぐり書きのように、結婚証明書にサインするサイラスを、リリーはただ茫然と見つめた。
サイラスの表情からは不本意さが滲み出ていて、微塵も望まれていないことは明白だった。
これ以上、惨めなことはない。
これがリリーの二度目の結婚生活の始まりであった。
式が終わり、サイラスと一緒の馬車で、リリーは屋敷まで移動した。
道中、お互いに一言も発することはない。
まるで葬式の帰りのような重苦しい空気が漂う。
馬車の中は完全に静まり返っていた。
屋敷に到着したのは、夜半だった。
サイラスは何も言わず、さっさと屋敷に入っていってしまったので、リリーは慌てて追いかけた。
そんな二人の様子に、屋敷の使用人たちは顔を見合わせている。
だが、誰も何も言わなかった。
主人であるサイラスが、不機嫌顔だったからだろう。
賢明な判断である。
サイラスの私室は、階上の奥にあるようだった。
ずんずんと大股で進むので、リリーは見失わないように必死でついて行く。
途中、執事らしき人物にサイラスが何事か指示を出したおかげで、リリーは私室の前でようやく追いつくことができた。
息も絶え絶えに、呼びかける。
「伯爵……」
待ってください。話し合いましょう。
そう言おうとして、遮られた。
リリーの鼻先で、サイラスが乱暴に私室の扉を閉めたからだ。
文字通り、物理的に遮られたのである。
それはサイラスの強烈な意思表示だった。
リリーはその場に立ち尽くした。
正直、どうしたらいいのか途方に暮れていた。
見知らぬ屋敷で、頼みの綱のサイラスに拒絶されれば、勝手に行動することもできない。
ひどく心細い面持ちだった。
そんな時だった。
背後で、小さく咳払いがあったのは。
リリーは、そっと振り返った。
そこには、先ほどの執事風の男性と、メイドが数人控えていた。
執事の方は何を考えているのか悟らせない無表情だったが、メイドたちは明らかに眉をひそめて、リリーを見つめていた。
もちろん、リリーと視線が合うや、執事と同じく無表情になったけれど。
なんとなく咎められているような気がして、リリーは居心地が悪かった。
知らず、早口で尋ねる。
「わたしが、使っても差し支えない部屋はありますか?」
それに答えたのは、執事らしき男性だった。
彼は一歩進み出て、存外、優雅な所作で礼をとった。
「わたくしは、マクファーレン家執事のエルバートでございます。奥様、この度はご結婚誠におめでとうございます。使用人ともども、お喜び申し上げます」
「どうも、ありがとう。わたしは、リリーです。これから、よろしくお願いしますね」
リリーは笑みが引きつらないように苦心した。
彼らも、おそらくわかっている。
この結婚が決して喜ばしいものでないことに。
リリーが望まれて、マクファーレン家に入ったわけではないだろうことを。
だが、エルバートはそれを感じさせず、相変わらず何を考えているのかよくわからない表情で、淡々と続けた。
「先ほど、お尋ねになった件ですが、旦那様から申しつかっております。こちらのお部屋をお使いくださいませ。ご案内いたします」
どうやら、先ほどサイラスが指示していたのは、このことだったらしい。
リリーは少し安堵しながら、エルバートについて行った。
案内されるままに、客間らしい一室に足を踏み入れる。
サイラスの私室とは反対方向にあり、おそらく、最も離れた位置にあるのだろうと思われた。
リリーはため息とともに、エルバートに視線を向けた。
「今日は疲れました。もう休みます」
「承知いたしました。もし何かあれば、メイド頭のアンが控えておりますのでお呼びください。それでは失礼いたします」
エルバートが扉を閉める音を、背中越しに聞きながら、リリーは近くのソファーに腰をおろした。
式の間、ずっと気を張っていたので、疲労感がドッと押し寄せてくる。
リリーは魂が抜けたように、ぼんやりとしながら何の気なしに室内を見渡した。
趣味の良い調度品が並ぶ、落ち着いた色合いの綺麗な一室であったが、何となくリリーを拒絶するような、ひどく冷たい印象を受けた。
それはまるでこの屋敷の主人そのものだと、リリーは思った。




