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帰ってきた夫  作者: 西子
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幕間2

その人物は、墓地にいた。

正確には、とある墓石の前にいた。

周囲には誰もいない。

もとより、完全に晦冥と同化したその人物に気づく者などいないだろうが。

いや、気づいたとて関係ない。

その人物は"今"を見ていなかった。

思考は常に"過去"にある。

まるで闇そのもののような底知れぬ瞳で、くうを見つめながら、その人物は狂気を孕んだ声音で、何度も何度も呟いた。

あの女には、必ず報いを受けさせてやる、と。

それは、その人物にとって最大の命題であり、唯一の望みだった。







リリーはまどろみの中にいた。

霧かかった真っ白な世界で、ぼんやりと立ちつくしている。

周囲に、人の気配は感じなかった。

首を傾げ、ああ、これは夢なんだと思う。

でなければ、これほどおぼろげな世界の中で、ただ一人いるはずがなかった。


「……ーーーー」


ふと、呼ばれたような気がして、リリーは周囲を見渡した。

もちろん、人などいない。

不思議な夢だと思いつつ、念のため、問いかけた。


「誰?わたしを呼んだ?」


当然、応えはない。

そう思っていたら、どこからともなくノイズのような声が響いた。


「……ーーーー」


やはり誰かが呼んでいる。

いや、何かを訴えているのかもしれない。

そう思ったのは、声に切実な響きを感じたからだ。

なんとなく既視感を覚える。

以前にも、同じような夢を見たような気がしてならなかった。

もちろん、確かめるすべなどないが。


「……ーーーー」


相変わらず、声の主がなんと言っているのかはわからない。

しかし、リリーは妙に気になって仕方がなかった。

自分は、その内容を知らなければならない。

そんな気がしてならないのだ。

しばらく耳をすませ、やはり、聞き取れないことに肩を落としつつも、リリーはどうしても諦めきれず、もう一度呼びかけた。


「ごめんなさい、よく聞こえないの。もう一度言ってくれる?あなたは、何を伝えたいの?」

「…をーけーー」

「え?」

「気…つけー!」

「もしかして……」


ーー気をつけて。そう言っているの?


であれば、なんとも不穏な内容である。

まるでリリーに危険が迫っていて、警鐘を鳴らしているかのように感じた。

そもそも、何に対しての注意喚起なのだろう。

リリーはそう考え、いや、これは夢だったのだと思い直す。

これは自身の潜在意識が見せているたわごとと、そう大差ないのかもしれない。

リリーは、困ったように首を振った。

おぼろげな夢の中で、不確かなことばの意味を推しはかることに、どれほど意味があるのだろうかと考えていると……。


「気をつけて!」


突然クリアになった声音に、リリーは肩を揺らした。

怖かったわけではなく、その声がすぐ後ろから聞こえてきて驚いたのだ。

リリーは、ゆっくりと振り返る。

そこにいたのは……。







バサリ。

なにかが落下するような音で、リリーはまどろみの中から目覚めた。

重いまぶたを開けて、小さく呟く。


「……レイチェル?」


ぼんやりとした視界に、心配そうな表情のレイチェルが映った。


「おはようございます、奥様。ああ、よかった。なんだか、うなされていたようでしたので心配していたんです。奥様ったら、"誰なの?"なんて可愛らしく寝言をおっしゃるものだから、わたしが寝室に忍び込んだのがバレてしまったのかと思ってヒヤヒヤし……って、あ!ち、違います!決して、邪な考えで、奥様の寝室に入ったわけではありません!もちろん、奥様の素敵な寝顔を拝見したい気持ちはありますが、わたしだって人としての常識がありますからね。奥様の寝顔を見るのは、今回のような非常時だけにしています!」


なんだか今、物凄いことを言われたような気がしたが、リリーは「そう」という生返事だけを返した。

起きたばかりで頭が働かなかったのもあるが、とても大切なことを忘れてしまったような気がしてならなかったのだ。

しばし記憶をたどり、ややあって首を振る。

やはり、どうしても思い出すことができなかった。


「奥様?」

「え?ああ、ごめんなさい。もう起きるわね」


大きく伸びをして、上半身を起こす。

窓のカーテン越しに、太陽の光を感じて、リリーは目を細めた。


「今日は、天気がいいのね。いつもより暖かいわ」

「十二月にしては珍しいですよね」

「ええ、本当に」


ーー縁起がいいわね。


リリーは微笑みながら、ベッドから抜け出した。


「あら?」


足元に、ジェイソンからもらった詩集が開かれた状態で落ちている。

先ほどの落下音は、これが原因だろうと思われた。

いつの間に、サイドテーブルから落ちたのだろうかと思いながら、リリーはしゃがんで詩集を拾った。

ちょうど、リリーが好きな詩が載っているページが開いていたので、思わず手でなでる。

様々な愛を二十ほど綴った詩集の中でも、この十四番目の詩が、リリーは一番好きだった。

それは家族の愛を綴った詩で、リリーの理想そのものだった。


"息子の声がする。陽だまりのようにあたたかい笑い声だ。リチャードと呼びかけられて、わたしは振り返る。妻の甘い声が、息子のそれと重なって、愛のハーモニーを奏でていた"


やはり、いつ読んでも心に響くあたたかい内容だと思った。

自然、リリーの表情は柔らかくなる。


「奥様、その……」

「?」

「この詩集って、あの時のですよね……」


申し訳なさそうに俯くレイチェルに、リリーはハッとした。

レイチェルは以前、この詩集に紅茶をこぼしたことがある。

それを、ひどく後悔し続けているのだ。


「あの時は、本当に失礼しました!」


そう、地面に頭をつける勢いで謝ったレイチェルに、リリーは慌てて言った。


「れ、レイチェル。その件は、もう気にしなくていいのよ?」

「奥様はそうおっしゃってくださいますが、奥様が大切になさっている詩集を汚してしまうなんて、わたし、自分が許せなくて……メイド失格です」

「そんなことないわ。あなたは、よくやってくれているもの。あの時の失敗を繰り返さず、ずっと真面目に仕事に励んでくれているじゃない。だから、メイド失格なんかじゃないわ。わたしは、あなたがいてくれて幸せよ?」

「奥様!」


感極まったレイチェルがリリーの手を取ろうとしたまさにその時。

咳払いの音で、レイチェルはピタリと動きを止めた。


「えーと、おはよう」


急に動かなかくなったレイチェルの代わりに、リリーは戸口に立つ人物に言った。

訝しげにレイチェルを見やるその視線の主は、言わずもがな、メイド頭のアンである。


「おはようございます、奥様。なんとなくレイチェルが粗相をしているように感じましたので見に来たのですが……」

「そ、粗相なんてしていません!」


レイチェルは、すかさず言った。

もはや、悲鳴に近い叫び声である。


「必死に言うところが、余計怪しいですね」

「ええっ!?ま、まさか!」


上擦った声で、必死に首を振り続けるレイチェル。

それが功を奏した……わけではないだろうが、アンは仕方なさそうに頷いた。


「……まあいいでしょう。あなたもわかっていると思いますが、奥様は今日、大変忙しいのです。早くお支度を手伝ってさしあげて」

「はい!」


レイチェルはクローゼットに突っ込んで行った。

リリーの身支度を整えるためだ。

急に慌ただしくなった自室で、リリーは社交界シーズンの到来を感じた。

それは久しぶりの感覚だった。

いや、懐かしい感覚というべきか。

リリーは、詩集を閉じてサイドテーブルに戻した。

自然と、リリーの視線は窓の外へと向けられる。

眩しい太陽の光に、ジニーの社交界デビューの吉兆を重ねた。

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