3
「お、お母様。今、何とおっしゃって?」
リリーは耳にしたことが信じられなくて、母親のアリシアに聞き返した。
冷や汗が止まらない。
対して、アリシアは涼しい顔だ。
「ですから、あなたはウォーターフォード伯爵と再婚しなくてはいけないと言ったのです」
やはり聞き間違いではなかったと、リリーは思った。
最初言われた時は、すぐに理解できなくて首を傾げてしまったリリーだが、きっぱりと有無を言わせぬ様子のアリシアを見て、悠長に構えている場合ではないと悟った。
さすがに、内向的なリリーも反抗的な口調で言い返す。
「わたしは、誰とも再婚するつもりはありません」
「……リリー」
アリシアは、若干、困った表情で、諭すようにリリーの手を撫でた。
「あなたが今でも、ジェイソンを愛しているのは知っています」
「………」
「しかし、醜聞となった以上、伯爵と再婚して、口さがない人たちから身を守らなければなりません。あなた自身の評判のために」
醜聞とは、おそらくあの夜会での出来事をさしているのだろう。
それは、わかる。
しかし、あれはサイラスとヴェロニカの醜聞であって、リリーは全く関係がないことだ。
リリーはたまたまあの場所に居合わせたに過ぎない。
アリシアには、あの夜会での出来事はきちんと説明してあった。
サイラスとヴェロニカとのことは伏せてあったが、それでもリリーのことばを信じて、サイラスとは何もなかったと納得してくれていたはずだったのに。
「お母様、何度も言いますが、ウォーターフォード伯爵とは本当に何もありませんでした」
「それは聞きましたよ。でも、それが真実であろうとなかろうと、もはや関係ないの。これほど噂がたってしまっては、もう結婚する以外、あなたの評判を守るすべはないのだから」
リリーは開いた口が塞がらなかった。
評判も何も、リリーにはジェイソンの死を巡って既に悪い噂がたっている。
今さらありもしない評判を守る必要はないのだ。
「未婚の若い女性ならいざ知らず、わたしのような未亡人相手では意味がないわ。伯爵に責任をとって結婚してくださいと迫ることはできないもの。伯爵だって、きっとお断りに……」
「彼は了承しましたよ」
「え?」
リリーは何度も目を瞬かせた。
戸惑うリリーに対し、アリシアは得意げに笑った。
「先日、ジョージとともに、ウォーターフォード伯爵と話しました」
「お父様も?」
父親であるジョージの名があがったことで、リリーは嫌な予感がした。
父は、母が頼めば何だってするような人だ。
きっと母に言われるがまま伯爵と会ったのだろう。
問題は話し合った内容なのだが……。
「あなたが、あの夜会での醜聞をひどく気にしていると伝えたわ」
「……わたし、別に気にしていないわ」
「まあ、聞きなさい。伯爵はこう仰ったの。どうすれば、口さがない噂を黙らせることができますかって」
「それで?」
「当然、結婚する以外に方法はありませんと申し上げたわ」
「………」
「伯爵は、その場であなたとの結婚を打診なさいましたよ。もちろん、ジョージは了承しました」
アリシアは「良識がある方でよかったわ」と微笑んだが、リリーは全く笑えなかった。
リリーが未亡人となった時、アリシアはそっとしておいてくれた。
何度か良い縁談話を持ってきてくれたこともあったが、リリーが頑なに固辞していたので、今までそれは叶わなかった。
アリシアなりに、リリーの気持ちを尊重してくれている。
そう思っていた。
が、ここにきて、再婚相手として申し分ないサイラスと噂がたったのを良いことに、リリーには内緒で再婚話をまとめてしまったのだろう。
ーーーああ、どうしたらいいのかしら。きっと、伯爵は怒っているわ。
リリーは途方にくれた。
サイラスに言われた通り、あの夜会で目撃したことは誰にも話していない。
しかし、こうなってしまうと、誰がリリーのことばを信じてくれるだろうか。
サイラスはきっと、リリーが両親に全てを話したと誤解しているに違いない。
そして、ヴェロニカとの関係をバラされたくなければ、リリーと結婚するよう迫ったと考えるだろう。
今頃、リリーをひどく恨んでいるに違いない。
リリーはサイラスのあの綺麗な瞳が歪んで、自分を鋭く射抜く様子を想像し、思わず身震いした。