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二週間後、リリーは約束通り、ダレンとジニーをタウンハウスに招待した。
ダレンは独身なので、変な噂が立たないよう、他の客も何人か呼んでいたが、彼らは用事で遅れると連絡があったので、先にダレンとジニーだけを迎え入れる。
お気に入りのローズティーとスコーンを出して、二人をもてなした。
「わあ、とっても美味しいです」
「ああ、本当に」
ダレンたち親子が、満足げに咀嚼する様を見つめながら、リリーは胸をなでおろしていた。
二人の口に合うかどうか、ずっと心配していたのだ。
「褒めていただいて、ありがとうございます」
「いや、本当に美味しいですよ。特に、このローズティー。珍しいですが、どこで?」
「海外の品です。もし、お気に召されたのであれば、新しいものを差し上げますわ」
「しかし……」
「構いません。たくさん、ありますので」
「では、おことばに甘えさせていただきます。ありがとう」
ダレンは相当、ローズティーが気に入ったらしい。
嬉しそうに微笑んでいる。
「ねえ、お父様。このスコーンも、とっても美味しいですわ」
「確かに、そうだな。サクサクしていて、風味もいい。こちらは、あなたの使用人が?」
「いえ。その、それは……わたしが作りました」
「あなたが?」
リリーは、申し訳なさそうに頷いた。
やはり、客人に自分の作った粗末なものを出すべきではなかったかもしれないと後悔したのだ。
だが、ダレンたちは感心したように、言った。
「レディ・リリーはお料理がお上手なのね。お父様もそう思うでしょう?」
「ああ。てっきり腕のいい料理人が作ったのだと思っていた」
「そんな風に仰っていただいて嬉しいですわ」
リリーは、ホッと息を漏らした。
少なくとも、ダレンやジニーは美味しいと言って喜んでくれている。
失礼にならずにすんで本当に良かった。
「妻も、生前はよく手料理をふるまってくれました。貴族としては珍しいですが、彼女は料理が趣味でしたので」
「まあ、そうだったんですか」
「お母様の料理の腕は最高だったんですよ」
自慢げに言うジニーがかわいくて、リリーは思わず微笑んだ。
「一度、お会いしてみたかったわ。素敵な方だったんでしょうね」
「あなたに少し似ています」
「え?本当に?」
「はい。お母様も優しい穏やかな女性でしたから」
「………」
リリーは、一瞬、反応に困った。
ふと、七年前のことが頭をよぎる。
ーーーわたしは決して優しくなんてないわ。だって、わたしは……。
「レディ・リリー?顔色がよくないようだが、大丈夫ですか?」
ダレンに顔を覗き込まれ、リリーは慌てて笑顔を貼りつけた。
「平気ですわ。ごめんなさい、ボーッとしてしまって」
「体調が悪いのではありませんか?」
「いえ、本当に大丈夫ですから。あ、そうだわ。まだ、お二人は庭のユリをご覧になっていませんでしたよね?よろしければ、今からご案内いたしますわ」
一瞬、ダレンはあのハシバミ色の美しい瞳で、リリーを見つめた。
それは、リリーの表情に疲れはないかどうかを探るような視線だった。
「お父様、わたし、見てみたいです。いいでしょう?」
どうやら、ジニーのそのことばが功を奏したらしい。
ダレンは、苦笑しながらも頷いてくれた。
「では、お願いします」
「はい、喜んで。さあ、こちらですわ」
三人揃って、席を立つ。
そのまま連れ立って、庭まで歩いた。
すると、背後でなにやらダレンとジニーが小声で話し始めた。
「まったく、お前はいつから、そんなにユリが好きになったんだ?この間だって、急にユリを取り寄せてほしいとねだってくるし」
「いつか、お父様にもわかるわ。絶対に、お父様はわたしに感謝するようになるんだから」
「どういう意味だ?」
「ふふふ。これは、すべてレディ・リリーとの……」
「わたしが、なんですか?」
家族同士のプライベートな会話のようだったので、リリーはあまり聞かないようにしていたが、ふと自分の名前が挙がったので、反射的に振り返って尋ねた。
それに対し、ジニーは焦ったように首を振る。
「な、なんでもありませんわ。それよりも、素敵なお庭ですね」
すでに三人は、庭先に到着しており、ここの位置からでも、庭全体が一望できた。
リリーは、自慢の庭を褒められ、少し照れながら笑った。
「ありがとう。わたしも気に入っているのよ」
「わかりますわ。でも、手入れが大変なんじゃありませんか?」
「ハンク……いえ、使用人が頑張ってくれているの」
「もしかして、先ほど、出迎えてくれた方ですか?」
「ええ、そうよ」
今、使用人はハンクしかいないので、彼がダレンたちを屋敷に迎え入れた。
ハンクは元執事ということもあり、完璧な応対をしてくれたので、ジニーの印象に残ったのだろう。
彼女は、すぐにハンクの顔を思い出したようだった。
「庭師だったんですね。わたしは、てっきり執事かと思いました」
「彼は厳密にはタウンハウスの管理人よ。もともとは他家で執事として働いていたのだけれど、今は辞めて、このタウンハウスを一人でとりしきってくれているの」
「へえ、そうだったんですね」
「器用な人だから、わたしも頼ってばかりで申し訳ないわ。って、話しているうちに、ほら。見てちょうだい。ちょうど、見えてきたわ。あれが、我が家の自慢のユリたちよ」
「わあ!」
嬉しそうに、ユリが咲き誇る庭の一角に駆けていくジニーを、リリーは微笑みながら見送った。
振り向くと、ダレンも同じような表情で、ジニーを見つめている。
当然だ。
彼ほどジニーを愛している人はいないのだから。
そう考えていた時だ。
ダレンの優しげな視線が、ふとジニーから逸れてリリーを捉えたのだ。
ハシバミ色の瞳と、琥珀色のそれが重なる。
リリーは、思わず、ドキリとした。
ダレンのリリーへ向ける瞳の柔らかさが、ジニーを見つめる時のそれと、なんら変わりがなかったからだ。
ダレンは無意識だっただろうし、そもそも特に意味はなかったのかもしれないけれど。
なんとなく、リリーにはいけないことのような気がしてならなかった。
だからだろう。
リリーは、思わず、ダレンから視線を逸らした。
少し唐突すぎたかもしれない。
ダレンの不思議そうな視線を、背に感じた。
「は、早くジニーのところに行きましょう」
取り繕うように言って、慌てて、足を大きく踏み出す。
だが、それがいけなかった。
ちゃんと足元を見ていなかったので、大きな石に足を乗せてしまったのだ。
「いけない」と思った時には、すでに体が斜めになっていて。
周囲の光景が、やけにゆっくりと傾いて見えた。
「危ない!」
焦った声とともに、力強い腕に引き寄せられた。
と同時に、背中に大きな胸板が上下しているのを感じる。
どうやら転倒は免れたらしいと、働かない頭で、リリーは考えた。
「大丈夫ですか?」
頭上から心配そうなダレンの声音が降ってくる。
「え、ええ。どうも、ありが……」
反射的に、声のした方を仰ぎ見たリリーは、そこで固まった。
思った以上に、ダレンと体が密着していたからだ。
ダレンの筋肉質な腕が、リリーの細い腰に回され、吐息を感じるほどの距離で、二人は見つめ合っていた。
これでは、まるでダレンに背後からすっぽりと抱きすくめられている態勢だ。
先日、上着を借りた時に嗅いだ香りを身近に感じ、言いようのない恥ずかしさと申し訳なさで、リリーは顔から火が出そうだった。
「も、も、申し訳ありません!」
慌てて、体を離そうとしたが、それは叶わなかった。
なぜか、ダレンが腕の力を緩めなかったからだ。
むしろ、少しだけ引き寄せられたような気さえする。
「……リリー」
「!」
名前を呼ばれた。
いつもは"レディ"と敬称をつけて呼ぶダレンが、初めてリリーの名を呼んだのだ。
リリーは、知らず、体が震えた。
「聞いてほしい。わたしは……」
少し掠れた声で、瞳の奥に眠る感情を吐露しようとするダレンは、ひどく煽情的だった。
見てはいけないものを垣間見たような、そんなひどい背徳感とともに、心揺さぶる熱量をひしひしと感じる。
リリーは、正直どうしていいかわからなくなった。
ただ、これ以上、彼の顔を見ていられないことだけは理解した。
きっと今、自分はみっともなくも、顔を真っ赤にして、とても見られたものじゃないだろうから。
だから、リリーは気恥ずかしさとともに、ギュッと瞳を閉じた。
「お待ち……さい。そ…らは……」
その時だ。
なにやら、玄関先が騒がしくなったのは。
庭と玄関は隣接していて、ダイレクトに物音が響く。
遅れて到着予定の客人たちが来たのかとも思ったが、ハンクの声音から察するに、揉めている様子なのが気になった。
足音が近づいてくる。
ふと、リリーはそちらに視線をやって。
垣根越しに、その足音の人物の姿を捉えた。
いや、捉えてしまったという方が正鵠か。
瞬時に、リリーの体が恐怖でこわばるのがわかった。
それは、この五年、まったく音沙汰のなかったサイラス・マクファーレンその人だったから。




