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帰ってきた夫  作者: 西子
30/126

26

リリーは、隣国へ来るのは初めてだったが、それで特に心踊ることはなかった。

旅行目的でないこともあるが、街並みや法律は違えど、そこにいる人やものに、そう違いはないからだ。

だから、リリーは特に隣国の風景に気を留めるでもなく、窓から、通りを行き交う人々の波を眺めていたのだが、ふと、とある人物に目を止めた。

それは一瞬のことだったけれど、傍目でもわかるくらいの美人だった。


「レディ・エイミー?」


まさかと思いつつも、彼女は一度見れば忘れないほどの絶世の美女である。

見間違うことはないだろう。

エイミーは、昔サイラスと付き合っていたらしい。

もしかすると、彼を追って来たのだろうか。

そうだとすれば、なんとも、積極的なことである。

その情熱は、リリーにはないものだった。

若さゆえの大胆さを、なんとなく眩しく感じる。


ーーーでも、ダメだわ。


さすがに、今のサイラスとエイミーを会わせるわけにはいかない。

それは、エイミーのためでもあった。


リリーは、そっと立ち上がった。

誰もリリーになど注意を払っていないので、リリーが屋敷を抜け出しても、気づくことはないだろう。

というわけで、リリーは屋敷を出て、エイミーが消えていった通りの角へと急いだ。

幸か不幸か、エイミーはまだそこにいた。

相もかわらず、リリーでさえ見惚れるほどの美貌である。

だが、その美しさにも翳りが見えた。

エイミーは、なにかをひどく恐れているようで、思いつめた表情を浮かべていたのだ。

この数ヶ月、あまり食事をとっていないのか、急激に痩せて、顔色もすこぶる悪かった。


リリーは、思わず心配になり、声をかけた。


「レディ・エイミー」

「!」


エイミーは、こちらに気づき、明らかに狼狽したようだった。

その体は、小刻みに震えている。

彼女の怯えを、否が応でも感じ取り、リリーの心はなんとも騒ついてならない。

リリーは、努めて、優しげな声で話しかけた。


「お久しぶりですね、レディ・エイミー。こんなところで出会うとは、奇遇ですわ。もし、よろしければ、ご一緒に……」


お茶でも飲みませんか?

そう続けようとして、リリーの口は固まった。

エイミーが恐怖の表情で、後ずさったからだ。


「ち、違う。わたしは、ただ……」

「え?」


まるでリリーが怪物で、今にも襲われるかのような怯えっぷりである。

わけがわからない。

リリーが首を傾げると、当のエイミーは綺麗な顔を歪めて叫んだ。


「わたしのせいじゃない!」


そう言うやいなや、エイミーはリリーが止める間もなく、通りに走り出てしまった。

急いで追いかけたものの、人混みにまぎれてしまい、もう彼女の姿は見えなかった。

まさに電光石火の出来事である。

呆気にとられたリリーは、ただただ、その場に立ち尽くすほかなかった。






エイミーは、震えながら、馬車に乗り込んでいた。

カタカタと歯がかち合い、極寒の地にでもいるかのような寒気が体中に走る。

馬車の馭者も、きみ悪げな視線をエイミーに送っていたが、彼女は気づいてすらいなかった。

エイミーは、ただ恐怖していた。

自分のせいでないとわかってはいても、しようとしたことの罪の重さが、彼女の幼い心を苛む。


「わたしは、悪くないわ……」


結局、未遂で終わったのだから。

悪いのは、エイミーをうまく言いくるめて、悪事を働かせようとした、あの人物なのだ。

むしろ、自分は被害者である。

エイミーは、己に必死で言い聞かせた。

わたしは、悪くない。

悪いのは、あいつだ。

わたしは騙されただけなのだ、と。

しかも、未遂だった。

それを免罪符のように、エイミーは両手を握りしめた。


ふと、先ほどのリリーの不思議そうな表情が脳裏に浮かび、エイミーはビクリと肩を揺らした。

リリーに、ここにいるところを見られてしまった。

彼女は気づくだろうか。

エイミーがしようとしたことを。

そして、サイラスに告げ口するだろうか。

もし、彼に知られれば、それこそ一生彼から恨まれる。

彼の愛を取り戻すことは、二度とできないだろう。

そうだ、わたしはサイラスを取り戻したかっただけなのだ。

それだけを望んでいたのに。

あんな人物の口車に乗せられて、あやうく犯罪を犯すところだった。


「ああ、サイラス……サイラス」


エイミーは、ただただ恐ろしくて、泣いた。

愛する人の名を呟きながら。

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