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帰ってきた夫  作者: 西子
22/126

18

マリーに屋敷を追い出されてから、数ヶ月。

リリーは、実家に身を寄せていた。

実家といっても、住み慣れた領地の屋敷ではなく、社交界シーズンだけ利用するウォリンジャー家所有のタウンハウスだ。

今は、両親も弟も、モンゴメリーの領地に引っ込んでいるので、リリーは一人で、そのタウンハウスに滞在している。

リリー・ハウスと称される、このタウンハウスは名前の由来通り、庭にたくさんのユリが咲いている。

もともとは、リリー男爵という貴族のタウンハウスだったのを、リリーが産まれて間もない頃、売りに出されていたため、リリーの父親であるジョージが購入した経緯がある。

リリーは、自分と同じ名前のこのタウンハウスを、とても気に入っていた。

もちろん、ユリの花も、同じ理由で大好きである。


このタウンハウスを管理しているのは、初老の男性だ。

彼は、リリーが突然帰ってきても、何も詮索しなかった。

心得たように頷いて、優しく迎え入れてくれたので、リリーは非常に感謝していた。


「奥様、本日もお庭に行かれるのですか?」


この管理人、名をハンクと言うのだが、実は、リリーの前の夫であるジェイソンに仕えていた執事である。

一人息子であったジェイソンの死後、爵位は遠縁の者が継ぐことになったのだが、ハンクは「自分が主人として仰ぐ方以外に仕える気はありません」ときっぱり宣言して、執事の職を辞したのである。

その後、たまたまこのタウンハウスの管理人が隠居し、リリーの父親であるジョージが新しい人を探していたので、リリーが口利きし、見事、ハンクは管理人として再就職するに至ったのである。

ジェイソンの妻だったリリーは、子を成さなかったので、すでにキャトリー家の人間ではなかったのだが、ハンクとしては、仕えるべき主人という認識だったらしい。

いまだに、リリーのことを"奥様"と呼ぶのは、それゆえである。

本来であれば、リリーの母親であるアリシアが"奥様"なのであるが、ハンクはアリシアのことを"大奥様"と呼び、本人も構わないと言うので、この呼び方が定着し、今に至る。

リリーは、相変わらずの様子であるハンクに、微笑んだ。


「そうね。今日もお庭でユリを見て過ごすわ」

「かしこまりました」


サイラスの屋敷の庭には、ユリの花が一本も咲いていなかったので、このタウンハウスに滞在するようになってからというもの、リリーは頻繁に庭に出ては、ユリを鑑賞していた。

今日も、例に漏れず、庭に行こうと、腰をあげた。

同時に、ハンクもついてこようとするので、丁重に断る。

両親が領地に引っ込んでいるので、今、このタウンハウスには使用人がいない。

ハンクがほとんど一人で管理人の仕事をこなしており、やるべき仕事は山積みだった。

これ以上、ハンクの仕事を増やすのは、本意でない。


「一人で大丈夫よ。行ってきます」


渋るハンクを残し、勝手知ったるなんとやらで、さくさく目的地まで進む。

庭先に出た途端に、色とりどりのユリが風に揺れている様が、ここからでも確認できる。

リリーは、知らず、微笑んでいた。

心浮き立つ思いで、花壇に一歩近づこうとして、足を止める。

ちょうど、玄関に続く砂利道を歩く人影を見とめたからだ。

玄関口と庭先は、ほぼ隣接しており、垣根の背も高くない。

その人物の横顔は、よく見えた。


「レイチェル?」


リリーが呟くと、小さな声音だったにも関わらず、その人物は頭をこちらに向けた。

やはり、それはレイチェルだった。

外套を羽織っているので、普段見慣れたメイド服とは雰囲気が違うものの、間違いない。

なにやら思いつめた様子が気になって、リリーは駆け寄った。


「どうしたの?わざわざ、こんなところまで。一人?なにかあったの?」


心配顔で矢継ぎ早に尋ねると、レイチェルは首を横に振った。


「わたし一人で来ました。特に、なにかあったわけではありません。ただ……」


俯くレイチェルに、リリーは首をかしげた。


「大丈夫?なんだか、元気がないわね。よかったら、中に入って、お茶でもいかが?」

「いえ、結構です。もうお暇しますから。ただ、奥様の顔を拝見したかっただけなんです。それに……」


最後は尻切れとんぼのようになっていたので、「なあに?」と促す。

ややあって、レイチェルは顔をあげた。

なにかを決意したような、そんな表情である。


「奥様は、いつお屋敷にお戻りになるのですか?」

「………」


リリーは、答えられなかった。

義母のマリーに追い出されてしまった以上、そうそう簡単に屋敷に戻れるとは思えない。

誤解を解いて説得するにしても、もう少し時間が必要だった。

それほどまで、マリーの剣幕は凄まじかったのである。

だから、リリーは困ったように、微笑んだ。


「今すぐ、とはいかないわね」

「もしかして……」


レイチェルは今にも泣き出しそうな表情で言った。


「奥様がお戻りにならないのは、わたしのせいですか?」

「え?」


意外なことばに、リリーは目を瞬かせた。


「わたしが奥様の詩集を台無しにしてしまったから……だから、奥様は戻っていらっしゃらないのではありませんか?」

「ちょ、ちょっと待っ……」

「わたし、あれから反省しました!もう仕事中にお喋りに夢中になって、粗相することはありません!いつも黙って、仕事に励んでいます!本当です!アンさんにだって、一度も叱られていません!メイド仲間のみんなには、変な物でも食べたんじゃないかって疑われていますが、誤解です!わたし、拾い食いなんて、はしたないことしません!いえ、昔はしていましたが……でも、過去のことです!わたしは生まれ変わったんです!無口で働き者の立派なメイドになったんです!」


リリーは一瞬、ポカンとした。

しかし、不意におかしくなって、吹き出す。


「どうして笑うんですか……」


口を尖らせるレイチェルに、リリーはさらに笑みを深くした。


「ごめんなさいね。笑ってしまって。ただ、おかしくて……」

「?」

「レイチェル、あなたは誤解しているわ。わたしが戻らないのは、あなたのせいじゃないの。わたしが悪いのよ。だから、あなたが責任を感じる必要はないわ」

「……」


レイチェルは探るような視線をよこしてきた。

リリーは安心させるように頷き「本当よ」と請け合った。

リリーは、内心おかしくてたまらなかった。

レイチェルも、あの日のリリーとマリーとのやり取りは知っているだろうに、自分に責任があると思い込んでいる。

真面目なのか、ただの心配性なのか、よくわからない。

ただ、それを引っくるめて、愛嬌があって可愛いなと思った。


「でも、残念ね」

「……なにがでしょうか?」

「あなたが、お喋りするのをやめてしまったことよ。わたしね、あなたの楽しそうな話し声を聞くのが好きだったの」

「!」


レイチェルは、ハッとしたように、リリーを見つめた。

リリーはその視線を、笑顔で受け止めた。

レイチェルに言ったことは本当だった。

なにを話しているのかはわからなかったが、レイチェルの周りにはいつも誰かいて、楽しそうにお喋りしている様を、密かに羨ましく思っていたのだ。

リリーには友人が少ないので、そういう経験があまりなかった。

だからこそ、話の輪には入れずとも、風にのって耳に届く、レイチェルの無邪気な笑い声がたまらなく好きだった。


「アンには内緒よ?」


人差し指を口に立てて、クスクス笑うと、ようやくレイチェルの表情にも笑顔が戻った。

その刹那。


「奥様?」


話題にあがったアン本人が、なぜか背後におり、リリーたちは飛び跳ねた。

いつの間に、現れたのだろう。

まったく気が付かなかった。


「まあ、驚いたわ。アン、いつからいたの?」

「たった今でございます」


であれば、先ほどの話は聞かれていないだろう。

リリーは、こっそり息をついた。

見れば、レイチェルも同様に安堵している。


「奥様、ご無沙汰しております。お元気そうでなによりでございます」

「ありがとう。アンも元気そうね。会えて嬉しいわ」


数ヶ月、合わなかっただけだが、久しぶりに見たアンの顔が、ひどく懐かしい。

リリーは、にっこり微笑んだ。

対して、アンは胡乱そうに、レイチェルを見つめた。


「ところで、レイチェル。あなたは、ここでなにをしているのですか。今日はお休みの日でしょう?」

「そ、それは……」

「偶然、会ったのよ。久しぶりだったから、話し込んじゃって。引き留めて申し訳なかったわ」

「……そうでございますか」


リリーが間に入ったことで、アンは引いてくれた。

そのことに、ホッと胸をなでおろす。


「そういえば、アン。あなたは、どうしてここに?」

「ああ、そうでした。突然、お邪魔してしまい申し訳ありません。本来であれば、ご連絡してから伺うべきところ、緊急事態でしたので、急ぎ参りました。実は、旦那様のことで、ご相談したいことがあります」


そこで、アンはレイチェルに鋭い視線を送った。


「レイチェル、あなたはもう帰りなさい。いつまでもお邪魔していては、奥様にご迷惑ですよ」

「は、はい!わかりました!……それでは、失礼いたします」


リリーをチラチラと伺う様子から、レイチェルはもう少し留まりたいと思っているのかもしれない。

だが、アンに睨まれては、抗うすべがないだろう。

レイチェルは、後ろ髪引かれるようにして、立ち去った。

リリーは内心で苦笑しつつ、アンに向き直った。


「とりあえず、アン。入ってちょうだい。お話はそれからにしましょう」

「ありがとうございます」


リリーは応接間まで、アンを案内した。

アンは「お構いなく」と言ったが、せっかくなので、紅茶を入れて、カップを手渡す。

恐縮したように受け取るアンを見つめながら、リリーは切り出した。


「じゃあ、さっそくだけど、お話を聞かせていただける?サイラスのことだったわよね」

「はい。その前に、一言よろしいですか?わたくし、エルバートから、旦那様とシドニー公爵夫人のことを伺いました。事情を知ったのは、今朝方ですが」

「まあ、そう……」


なんと言っていいかわからず、言い淀む。

アンも、サイラスの恋人事情など知りたくなかっただろうに。

だが、アンが事情を知っていてくれれば、いろいろと助かることもあるかもしれない。

これは、これで良かったのだと、リリーは思うことにした。


「でも、今朝方って、どうして?」

「はい。実は、旦那様に同行した従者から、今朝方、便りがあったのですが、急ぎの連絡でしたので、わたくしが中身を確認しました」


それで、事情を知ったというわけか。

リリーは、頷いた。


「その急ぎの連絡ですが」

「なあに?」

「シドニー公爵夫人のことでした」

「?」

「……夫人が亡くなったそうです」


リリーは、表情を曇らせた。

ヴェロニカとは、ほとんど面識がなかったが、誰であれ、人の訃報を聞けば悲しくなるものだ。

愛する人を亡くしたサイラスの悲痛は、リリーの比ではないだろう。

サイラスのことを思うと、やはり心が痛い。

リリーは声を落として呟いた。


「残念ね。彼女は苦しんだのかしら」

「詳しいことはわかりません。ただ、最期は安らかに逝ったそうです」

「そう……それだけが救いね」


苦しまずに逝ったのであれば、それに越したことはない。

リリーは、そっと瞳を伏せた。

心の中で、ヴェロニカの冥福を祈る。


しばらくして、リリーは尋ねた。


「ところで、サイラスはどんな様子?大丈夫なのかしら」


やはり気になるのは、そこだ。

リリーも、ジェイソンが死んだ時は、あまりの悲しみ

で、茫然自失しそうになった。

サイラスのヴェロニカに対する想いを考えると、心配でならない。


「実は、そのことで参りました。旦那様は悲しみのあまり自暴自棄になっているそうなのです」

「まあ、可哀想に……」


リリーには、サイラスの気持ちが手に取るようにわかったので、思わず同情した。

今まで隣にいてくれた人が、もういない。

ただ、それだけのことが胸を刺す痛みとなって、返ってくるのだ。

二度と笑いかけることも、触れることも叶わない、その人を想って。

ただ泣くことしかできない。

その無力感たるや、筆舌に尽くしがたいものがある。

リリーは、眉を下げて、俯いた。


「奥様?大丈夫ですか?」

「ええ、ただ、サイラスが心配で……」

「僭越ながら、わたくしやエルバートも同感でございます。旦那様のことが心配でなりません。そこで、ご相談なのですが、奥様に旦那様の元へ行っていただけないかと思いまして」

「それは…」


リリーは、言い淀んだ。

別に、行くのを渋ったわけではない。

サイラスが嫌がるのではないかと思ったのだ。

サイラスは、リリーのことを嫌っている。

そんな相手に、今、サイラスが傍にいてほしいと思うだろうか。

答えは否である。

リリーは、慎重に言った。


「わたしは、その……行かないほうがいいんじゃないかしら。ほら、サイラスもその方が……落ちつけるだろうし」


自分で言っていて情けなくなるが、事実なので仕方がない。

今は、サイラスの精神衛生を最優先にするべきだろう。


「それが、そうもいかないのです」

「どういう意味?」

「……今、旦那様の元に、大奥様がいらっしゃるからです」


リリーは首をかしげた。

サイラスの母親であるマリーが傍についているのであれば、なにもリリーが出て行くこともあるまいにと、思ったのだ。

いくらマリーでも、悲しむサイラスを目の前にして、叱りつけはすまい。

出奔したことで腹を立ててはいても、サイラスは彼女の大切な息子である。

彼に寄り添ってあげるはずだ。

しかし、眉根を寄せているアンの様子を見て、リリーは嫌な予感がした。


「もしかして、お義母様はサイラスを責めたの?」

「はい……」


リリーは、開いた口が塞がらなかった。


「大奥様は、旦那様を軟禁し、ひどく叱りつけてから、無理やり連れ帰ろうとなさいました。その間に、シドニー公爵が夫人のご遺体を連れ帰ってしまいましたので、旦那様は十分にお別れもできず、ひどく取り乱されて……正直、手がつけられない状態です」

「………」


リリーは、サイラスのことを思った。

ただでさえ、ヴェロニカの死で苦しいのに、ろくにお別れもできなかったとあれば、どれほどの悲しみを感じていることだろう。

しかも、マリーはサイラスを慰めなかった。

実の母親であれば、悲しむ息子を前に、責めたりなどしないはずなのに。

それでは、あまりに……あまりに、サイラスが不憫ではないか。


リリーは、考えた。

サイラスには、邪魔されずに愛する人の死を悼む時間が必要なのだ。

そのための時間を確保する。

それが、今、リリーにできる精一杯のことだ、と。


「わかりました。サイラスの元に行きます」


リリーは、決意の眼差しで、言った。

サイラスを慰めてあげることは、リリーにはできない。

彼も、それは望んでいないだろう。

サイラスのためにしてあげられることは、ほとんどないと言っていい。

しかし、マリーへの盾となり、ヴェロニカの死を受け止めるまでの時間稼ぎくらいなら、リリーでもできるかもしれない。

マリーが相手である以上、使用人のエルバートやアンでは、立場上どうしても逆らえないからだ。


ーーーきっと、これがサイラスのためにしてあげられる唯一のことだわ。


ともすれば、結婚して初めて、サイラスの役に立てるのではないだろうかと考え、リリーは苦笑した。

皮肉にも、それが真実であることを、リリーだけは知っていたから。



その後、リリーは隣国へと渡った。

サイラスとは、最近ほとんど顔を合わせていなかったので、真正面から向き合うのは、約十ヶ月ぶりのことであった。

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