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初めて投稿します。
よかったら、読んでくださいね。
きらめくシャンデリアに照らされて、着飾った紳士淑女たちが優雅に踊っている様子を、リリーは所在なさげに見つめていた。
母親のアリシアに無理やり誘われて、久しぶりに夜会に参加したリリーだったが、内向的な性格ゆえ、こういった華やかな場所は苦手だったのだ。
話しかけてくる貴族は、ゴシップ好きな者ばかり。
リリーからジェイソンの話を聞き出そうと躍起になっているのは一目瞭然で、だからこそ、リリーは気が重かった。
リリー・ウォリンジャーは未亡人である。
夫であるドーソン伯爵ジェイソン・キャトリーが亡くなって、早二年が経とうとしているが、彼にまつわる死の真相は、いまだに上流階級の間で噂が絶えない。
いわゆる、ゴシップだった。
ジェイソンはリリーの愛人と目されるウィンター侯爵フレデリック・スペンサーに決闘を申し込んだものの、敗れて呆気なく亡くなった。
それが彼らゴシップ好きが導き出した答えだった。
夫の死後、リリーはほとんど社交の場に現れなかった。
それはすべて、噂の真相を確かめようと、皆が興味津々でつめかけることが容易に想像できたからだ。
想像できたからこそ、リリーはこの二年ずっと人目をはばかるように身を潜めて過ごしてきたというのに、そろそろ社交の場に娘を復帰させようと目論む母親のアリシアによって散々説得されたリリーは、断ることができず、今宵、夜会に出席する羽目になった。
そして、案の定、噂好きの貴族たちに取り囲まれたというわけだ。
「何だか今夜は蒸し暑いですね。少し夜風に当たってきますわ」
引きつる笑みで、なんとかその場の追求をかわし、逃げるようにテラスへと向かったリリーは、 周囲に誰もいないことを確認し、知らず、安堵のため息を漏らした。
周囲は一面、漆黒に包まれている。
星は雲に覆われて、その輝きは見えなかったけれど、ダンスフロアから漏れ出る灯りだけが、周囲を照らし出していて、とても幻想的だった。
リリーは、ふと思い出した。
ジェイソンと出会ったのも、こんな夜会のテラスであったと。
二人とも、まだ若く、社交界デビューして間もなかったが、リリーの目にはジェイソンが随分と大人びて見えたものだ。
少し長めの金髪をかきあげる彼の仕草は、空に輝く星のように綺麗で、リリーは思わず見惚れてしまった。
初対面の男性を無遠慮に見つめてしまったことに気付いて赤面したリリーを、茶目っ気たっぷりにジェイソンがからかい、さらにリリーの頬を赤く染め上げる。
今となっては、全てが懐かしい思い出だった。
ーーその出会いから、わたしたちは少しずつ話すようになったのよね。
社交的なジェイソンが面白おかしく話すのを、内向的なリリーが黙って耳を傾けるという図式ではあったけれど、少なくともリリーは楽しかったし幸せだった。
初恋だったと、後で気付いた。
しばらくして、父親のジョージに、ジェイソンから結婚の打診があったと聞かされた時は、嬉しさのあまり舞い上がって、ずっとソワソワしていた。
意地の悪い人は、ハンサムなジェイソンが地味で目立たないリリーを結婚相手に選んだのは、莫大な結婚持参金ゆえだと言ってはばからなかったけれど、リリーはそれが真実であろうとなかろうと気にしていなかった。
幸せだったのだ。
ものすごく幸せだった。
初恋の相手に見初められ結ばれる。
二人は夫婦になれるのだから、と。
ジェイソンとの結婚生活は短かった。
が、リリーにとって、その数年は、まるでおとぎ話のハッピーエンドそのもので、幸せ以外のなにものでもなかった。
ジェイソンの秘密を知るまでは……。
リリーは知らず、俯き加減になっていた顔を上げた。
柱の陰から、話し声が聞こえてきたからだ。
しかも、なにやら「愛している」だの「抱きしめて」だのという甘言が耳に入ってくる。
どうやら、リリーが過去の思い出に浸っている間に、恋人たちがテラスに出てきていたらしい。
困ったなと、リリーは思った。
恋人たちが、愛の語らいに夢中になってしまっている。
あまつさえ、くぐもったため息や衣擦れの音まで聞こえてきたものだから、リリーの頬は赤く染まった。
なんとも、いたたまれない。
リリーは、一刻も早くこの場を離れたい衝動にかられた。
そそくさと方向転換し、一歩を踏み出す。
しかし、慌てていたために、カウチに激しく足先をぶつけてしまった。
ガタンという無骨な音が、周囲に響き渡る。
その刹那、小さな悲鳴とともに、柱の陰から女性が飛び出してきた。
「あ」
お互いに、気まずい声が漏れる。
飛び出してきた女性を、リリーは知っていた。
ヴェロニカ・シドニー公爵夫人。
彼女は美人で有名な女性だった。
たっぷりした黒髪はほどけて首筋に張り付き、夜会用の綺麗なドレスが乱れて太股に巻き付いている。
いかにも情事の最中だったと言わんばかりだ。
リリーは気まずくなって、ヴェロニカから視線をそらした。
彼女も同じく動揺していた様子だったが、リリーよりもいち早く立ち直ったようで、さっと見なりを整えるや、足早に立ち去っていった。
思わず、安堵のため息が漏れる。
人心地ついたリリーは、カウチに座りこんで、胸を押さえた。
が、次の瞬間、リリーの頭上を大きな影が覆った。
「きゃっ」
悲鳴とともに、顔を上げる。
そこには不機嫌顔の男性がリリーを見下ろしていた。
ーーサイラス・マクファーレン卿だわ。
リリーはすぐに男性の正体に気付いた。
ウォーターフォード伯爵を知らない人はおそらく貴族ではいない。
彼は、とにかくハンサムなことで有名だった。
背が高く、均整のとれた体躯を、黒を基調とした夜会着におさめ、ダークブラウンの髪を無造作に撫でつけた姿は、確かに魅力的だった。
それは、まるで一枚の絵画のようで。
恥ずかしがり屋のリリーでさえ、目が離せなかった。
「そういえば」と、リリーはふと二年前の出来事を思い出す。
サイラスと顔を合わせたのは、実は今回が初めてではなかった。
サイラスは覚えていないだろうが、社交界デビューしたばかりの頃、まだリリーがジェイソンと出会う前に、二人は出会っている。
リリーにとって初めての夜会。
緊張のあまり、ダンスの最中に派手に転んだことがあった。
皆が忍び笑いを漏らす。
そんな中、リリーは真っ赤になりながらも、立ち上がって最後まで踊りきったのだが、ダンス相手からはひどく失望された。
当然だ。
リリーのせいで、彼まで笑われてしまったのだから。
曲が終わった途端、見向きもせずに立ち去ったダンス相手を責めることはできない。
むしろ、リリーは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
周囲の興味津々といった視線から逃げるように、ダンスフロアから離れ、壁際に張り付くようにして俯いたリリーは、早く夜会が終わりますようにと、ただそのことだけを祈った。
先ほどのひどい失態を目の当たりにした男性たちからは、当然ダンスに誘われることもない。
付き添っていた母の落胆した様子が、フロアの端からでもはっきりと見てとれた。
リリーはみじめな思いで、胸が潰されそうだった。
ーーどうして、わたしはダンス一つまともに踊れないのかしら。
己がただただ情けない。
リリーは必死に涙を堪えていた。
そんな時、ただ一人だけ。
会場にいる多数の人間の中で唯一、リリーに手を差し伸べてくれた人がいた。
それが、サイラスだった。
「一曲、お相手願えますか?」
そう言って差し出された手は、まだどこか青年と呼ぶには幼い。
リリーよりも少し歳下の、そんな彼の手を取ったのは、完全に反射的なものだった。
戸惑いと恐怖。
それらがない混ぜとなったリリーを、サイラスは何の躊躇もなく、フロアの中央へと誘った。
タイミングよく曲が流れ、サイラスと二人、ワルツを踊る。
リリーが踊りやすいように配慮された素晴らしいリードだった。
おかげで、失敗することもなく優雅に踊りきることができた。
ーーどうして、わたしを誘ってくれたのかしら。
周囲の反応も戸惑い気味だったが、リリーが一番困惑していたことは言うまでもない。
見ず知らずのリリーに手を差し伸べてくれる理由など、皆目見当がつかない。
そんな気持ちが、表情に現れていたのだろう。
サイラスは思いのほか優しい声音で言った。
「あれは、相手の男性が悪いんです。彼はリードが下手すぎる。だから、転んでも最後まで踊りきったあなたを、わたしは立派だと思います」
リリーは、何度も目を瞬かせた。
家族以外で、異性に褒められたことはなかった。
サイラスは、ただ思ったままを言っただけだろうが、リリーはそのことばに救われる思いがした。
「ありがとうございます……」
頬を染めながら、リリーは呟くように囁いた。
その時の、深海の青を思わせるサイラスの綺麗な瞳が優しげに細められるのを、リリーは二度と忘れないだろうと思った。
しばし、過去の出来事に思いを馳せていたリリーだが、美しい思い出ほどもろく壊れやすいということを実感した。
サイラスのあの美しい青い瞳が、今度はリリーを睨むように細められていたからだ。
ーー怒っているんだわ。
リリーは、体が震えるのを感じた。
サイラスとヴェロニカが愛人関係にあったことなど、リリーはもちろん知らなかったし、知りたいとも思わなかった。
が、今の状況ではその説得力がない。
リリーがカウチに潜んで、聞き耳を立てていたと、サイラスが考えていることは、その不機嫌な様子から見てとれた。
しかし、誤解を解こうにも、内向的なリリーにはそれが叶わない。
震え上がって、口を開くことすらできなかった。
リリーはカウチに沈むように、ひたすら身を引いて俯いた。
そんなリリーをどう思ったのか。
サイラスは腰を屈めて、距離を縮めてきた。
「君は、何も見なかった」
脅すような低い声音に、リリーは肩を震わせた。
つまり、サイラスは「今の出来事を誰にも言うな」と、そう言っているのだ。
頭ではわかっているが、なかなか心がついていかない。
リリーは、ギュッと両手を合わせ、さらに身を縮めた。
そんなリリーに、サイラスは苛々とした様子で詰め寄った。
「聞いているのか」
最後通告のような冷たい口調。
純粋に怖いと思った。
泣きそうになりながらも、必死に頷く。
それが精一杯だった。
しかし、間の悪いことに、その時リリーは見てしまった。
サイラスのはだけた胸元を、至近距離で。
サイラスがカウチに片膝を乗せて、リリーとの距離を詰めていたからだ。
その、いかにも情事の最中だったといった様子のサイラスを目の当たりにしたリリーは、思わず震えた。
恐怖とともに、今度はリリーの体を羞恥心が駆け抜ける。
「は、離れてください……」
消え入るように、リリーは囁いた。
だが、サイラスにはよく聞き取れなかったらしい。
さらに、顔を近づけてくる。
リリーは焦った。
おそらく、今リリーの顔は真っ赤になっていることだろう。
リリーは、間近に迫ったサイラスの端正な顔に向かって、抗議するように叫んだ。
「なんてこと!」
もちろん、叫んだのはリリーではなかった。
サイラスと二人、弾かれたように、その非難めいた声音の方向を仰ぎ見る。
そして、激しく後悔した。
ダンスフロアから覗く、いくつもの好奇の瞳が、リリーたちを射抜いていたからだ。
ーーどうしたら、いいの!
リリーは、羞恥心で気が遠くなりそうだった。