17
リリーは、客間の扉の前で、スカートの裾を何度も撫で付けた。
髪の毛を手ぐしでなおし、居住まいを正す。
大きく深呼吸をして、傍のエルバートに視線で合図を送った。
エルバートは小さく頷き、そっと扉を開ける。
と、同時に、ソファーに腰掛ける義母のマリーが、頭だけこちらに向けた。
リリーは意識して、笑顔をつくり、マリーに挨拶した。
「お義母様、ようこそいらっしゃいました。お待たせしてしまい、申し訳……」
「やめて。本題に入りましょう」
普段であれば、礼儀を重んじるマリーである。
リリーのことばを遮るなど、ついぞ、あり得なかった。
リリーは、恐る恐る、尋ねる。
「その……本題、とは?」
「サイラスのことです」
「………」
やっぱりと、リリーは思った。
冷や汗が背中を伝う。
リリーはゴクリと唾を飲み込んだ。
「サイラスが隣国へ渡ったのは、仕事のためではありませんね。……あの子が、ご婦人を追いかけて行ったというのは事実ですか?」
「………」
「事実なのですね」
申し訳なさそうに頷いたリリーを見て、マリーは「呆れた」と吐き捨てるように言った。
心底、不愉快そうに、眉をひそめている。
「まったく、サイラスはなんて愚かなことをしたのかしら。あの子には、ほとほと見下げ果てましたよ。ご婦人と隣国へ出奔するなど、マクファーレン家の恥です。亡き夫も、隣国まで女の尻を追いかけていくほど浅慮ではなかったというのに……」
そこまでひと息に言って、マリーはジロリとリリーを睨んだ。
「あなたもあなたです。なぜ、あの子を止められなかったのですか。夫の愚行を諌めるのも、妻の務めですよ。情けない」
「申し訳ありません……」
リリーは頭を下げた。
それには見向きもせず、今度は傍に控えていたエルバートに、マリーは鋭い視線を向けた。
「エルバート、あなたがついていながら、なんというていたらくでしょう。あなたほどの忠義者であれば、どんなことをしてもサイラスを止めてくれると思っていましたのに」
「それは、違います!」
リリーは、急いで言った。
それを胡散臭そうに、マリーは見つめた。
「エルバートは、叱責覚悟でサイラスを諌めようとしてくれました。わたしが、それを止めたのです」
「奥様……」
「いいのよ、事実だわ」
「どういうことです?つまり、あなたはみすみすサイラスを出奔させたというの?」
「はい」
「愚かな!」
マリーは、ピシャリと言った。
「好きこのんで、自分の夫を愛人の元に走らせる妻など、今まで聞いたことがありませんよ!あなた、頭がおかしいのではなくて!?なにが目的なの!?どんな理由があって……ま、まさか……」
そこで、マリーは驚愕の表情を見せた。
信じられないものを見るような目つきで、リリーを見据えている。
「まさか、あなた自身が、愛人のところに行きたいから、邪魔なサイラスを追い出したのではないでしょうね!?」
「それは誤解です!」
「エルバートは黙りなさい!そうよ、それしか理由がないじゃないの!やはり、あなたの噂は事実だったんだわ!でなければ、あのサイラスがこんな愚かなことをしでかすわけがありません!身持ちの悪いあなたに嫌気がさして、サイラスは出て行ったのよ!」
「お、お義母様、わたしは……」
「黙りなさい!あなたみたいな不貞な女に、お義母様呼ばわりされたくないわ!恥を知りなさい!」
一気にまくし立てるや、マリーは立ち上がった。
これ以上、一秒たりとも、リリーの顔を見ることは耐えられない。
そんな断固とした表情だった。
「あなたならあるいはと、そう思ったのに……わたくしの見る目がありませんでした」
「え……?」
「リリー・ウォリンジャー、即刻、荷物をまとめて、この屋敷から出て行きなさい。あなたのような汚らわしい女を、これ以上、由緒あるマクファーレン家に置いておくわけにはいきません」
「ま、待ってください!誤解です!わたしは……」
「言い訳は結構です!出ていかないなら、警察を呼びますよ!」
「!」
それは、まさしく嵐のような激しさだった。
マリーは、額に青筋を立てて、今にも血管がはち切れそうなほどの形相で、リリーを睨みつけている。
リリーはいまだかつて、これほどの悪感情を他人から向けられたことがなかった。
本能的に体が震え、血の気が引いていく。
「お、お願いします。信じてください。わたしは、わたしは……」
マリーは、もうリリーを見てはいなかった。
いや、見たくないのだろうと、リリーは思った。
結局、マリーの嵐のような剣幕に、リリーは踏みとどまることができなかった。
リリーは、その日のうちに、ほとんど身ひとつで、屋敷から出て行った。




