14
サイラスは、酒を煽った。
文字通り、浴びるように飲む。
しかし、まったく酔えなかった。
そうできればいいのに、と。
サイラスは、ため息混じりに考えた。
先日のパーティーで会って以来、ヴェロニカとは顔を合わせていない。
最近ずっと、家に引きこもっているらしく、ヴェロニカは表に出てこなかった。
彼女の姿を一目見ることすらできていない。
会えない日々が、恋しさをより募らせた。
サイラスが正体なく、酔い潰れたいと思ったのは、それが原因だった。
「おいおい、すごい量だな。酒場中の酒を飲み漁る気か?」
面白がるような声音に、サイラスは鼻を鳴らしただけで振り返らなかった。
相手も気にした様子は見せない。
当然のように、サイラスの隣に座った。
「僕も混ぜてくれよ」
「嫌だ。君は以前、わたしを置いて、さっさと帰っただろう。この裏切り者め」
サイラスは悪態をついた。
隣に座る知人を軽く睨みつける。
この知人は、以前、サイラスに強い酒を勧め、寝入った彼を放置して立ち去ったのだ。
さすがに、今日は朝までこの酒場で過ごす気はなかったので、この知人と飲み明かそうとは思わなかった。
そもそも、今はどんな強い酒を飲んだところで、酔えそうにはなかったが。
サイラスは、グラスの酒を飲み干し、立ち上がった。
「待てよ。君に話があるんだ。シドニー公爵夫人のことさ。君たち、付き合っているんだろう?」
「!」
サイラスは、足を止めて、知人の顔を睨みつけた。
「……なぜ、彼女とのことを知っている」
「怒るなよ。君がこの間、酔い潰れて、勝手に喋ったんだろう?僕が聞き出したわけじゃない」
サイラスは、自分自身を殴りつけたい衝動にかられた。
ヴェロニカとのことは、友人、知人を問わず、細心の注意を払って、隠していた。
彼女に迷惑をかけたくないし、それで会えなくなるのも、絶対に避けたかった。
にも関わらず。
酔っていたとはいえ、ペラペラと喋ってしまった己の愚かさに、歯噛みする思いだ。
サイラスは、頭を切り替え、慎重に切り出した。
「このことは……」
「わかってる。誰にも言わないよ。別に、僕は君たちの関係を責めているわけじゃない」
「そうか。助かる」
サイラスは、止めていた息を吐き出した。
安堵の表情だ。
「で、話とはなんだ」
「最近、夫人は表に顔を出さないだろう?パーティーにも参加しない。理由を知っているか?」
「いいや」
「どうも具合が悪いらしい。癌と診断されたそうだ。余命いくばくもない」
「なんだって!?」
サイラスは、胸ぐらを掴まんばかりに、知人に詰め寄った。
「嘘だ!」
「落ち着けよ。シドニー公爵から聞いたんだ。間違いない。僕の父と公爵は昔から懇意にしていて、僕とも旧知の仲だ。尋ねたら、答えてくれたよ」
「そんな……」
サイラスは崩れ落ちるように、椅子の背にもたれかかった。
パーティーで会った時、確かにヴェロニカの顔色は良くなかった。
体調を聞いたら、もう平気だと言っていたが、どうやら違ったらしい。
サイラスは、目の前が真っ暗になった。
癌の治療方法はない。
現代医学では、完治不能の病だった。
ーーーヴェロニカが死んでしまう。
サイラスは虚ろな瞳で、虚空を見つめた。
浮かぶのは、ヴェロニカの儚い笑みだけだ。
癌を患うなど、予想していなかった。
それに、と。
サイラスは表情を曇らせたい。
今なお、死に向かうヴェロニカに、会いに行くことすら叶わない。
せめて、一目でいい。
彼女にただ会いたいと思った。
「行けばいいだろ、会いに。彼女は今、隣国にいるぞ」
「なんだって?」
「隣国に、癌の専門医がいるんだ。もう助からないが、少しでも痛みを抑えるための治療を受けるらしい。公爵の配慮だろう」
では、どっちみち会いには行けないと、サイラスは思った。
夫である公爵が付き添っているのに、サイラスがのこのこ会いに行くことは憚られた。
ヴェロニカの死期が近いのであれば、なおさらである。
「それが、違うんだよ。公爵は仕事が立て込んでいて、隣国には付き添わないらしい。つまり、夫人は今一人だ」
サイラスは唖然とした。
妻の最期を看取るつもりがまったくないような公爵の神経を疑ったのだ。
それでは、ヴェロニカは見知らぬ土地で一人、癌の痛みと最期の時まで、戦うことになる。
誰も支えてくれる人が傍にいないのだ。
そんなひどい扱いを受けていい女性ではなかった。
サイラスは、思わず、憤って叫んだ。
「わたしが、公爵を説得する!」
「おいおい、やめておけよ。あの御仁が、他人の言うことを素直に聞くと思うか?無駄なことはよせ。それよりも……」
意味深に、ことばを切った知人は、怪訝な表情をするサイラスに顔を近付けて、囁いた。
「お前が行って、彼女を支えてあげればいいじゃないか」と。
「………」
言われてみてはじめて、サイラスはそのことに気がついた。
そうだ、サイラスがヴェロニカに付き添えばいいのだ。
公爵はあてにならない。
仕事人間の冷酷な人だからだ。
だが、自分は違う。
ヴェロニカを愛している。
深く、とても深く、愛しているのだ。
隣国へと渡れば、伯爵としての義務を果たせなくなるが、仕方がない。
サイラスは、仕事よりもヴェロニカをとったのだ。
彼女の傍で支え、寄り添い、最期を看取ることができるのは、自分しかいないのだから。
「そうだ。サイラス、君だけが夫人の心の拠り所だ」
知人のそのことばに後押しされて、サイラスは足早に屋敷に帰った。
一刻も早く、準備を整えて、ヴェロニカの元へ行かなければならない。
サイラスは焦っていた。
今この時も、ヴェロニカは死へと向かっている。
残された時間は短く、無情に過ぎ去るものだ。
心がはやる。
急がなければ、急がなければ、と。
サイラスは、ただヴェロニカのことだけを想い、呟いた。