12
周囲の視線を痛いほど感じながら、リリーはため息がでそうになるのを、必死に堪えていた。
今日は、サイラスと一緒に、とあるパーティーに参加していた。
こういう大きな集まりに参加するのが苦手なリリーは、最初からあまり乗り気ではなかったのだが、主催者がマクファーレン家と懇意にしている貴族だったので、断ることができなかったのだ。
実は、サイラスとの結婚後、こういったパーティーへの招待状は、夫婦宛にひっきりなしに届いていた。
もちろん、ずっと断っていたけれど。
パーティーに招待しようとする人たちの意図は、明白だった。
あの醜聞後、仕方なく結婚したリリーたちの様子を詳しく知りたいのである。
もしかすると、前の夫ジェイソンの死の真相や、愛人と噂されるフレデリックとの関係を、リリーから聞き出したいという魂胆もあったかもしれない。
どちらにしろ、居心地の悪い気分になること必至である。
というわけで、小一時間ほど前から、リリーはずっと気が重かった。
サイラスは会場に到着するやいなや、リリーを一人残して、どこかへ行ってしまったので、リリーは自分で、口さがない噂や好奇な視線から身を守るしかない。
のらりくらりと交わす処世術は、あまり持ち合わせていないのだけれど、と。
リリーは相手に気づかれないように、そっとため息をついた。
今、隣では、とある男爵夫人がリリー相手に、嬉々として社交界におけるゴシップについて語っている。
その反応をみているのは明らかだったので、リリーは特に興味がないふりをしていた。
それに業を煮やしたかのように、男爵夫人は顔を寄せてきた。
「そういえば、あなたもおかしな噂があったわよね?ほら、どこかの侯爵との」
それは、フレデリックのことを指しているのだろうと思われたが、リリーはあえて気付かぬふりをした。
「さあ、どなたでしょう?」
不思議そうに、首をかしげる。
それが気に入らなかったらしい。
男爵夫人は、少し剣呑な響きで言った。
「どなたかわからないほど、たくさんの殿方と懇意にしていらっしゃるのね」
"懇意"の部分をやけに強調した言い方だった。
相手の悪意があからさまなので、リリーは正直、戸惑った。
決して、表情には出さなかったけれど。
その狼狽が過ぎ去り、どう答えるべきか、しばし、逡巡する。
その時だった。
突然、背後から声がかかったのだ。
「伯爵夫人ともなれば、必然、交友関係は広くなるものですよ。わたくしとも、懇意にしていただいていますしね」
「あ、あなた様は!」
男爵夫人は、すっとんきょうな声をあげた。
その驚きは、リリーも同様だった。
現れたのが、淑女の中の淑女として名高いブラッドリー公爵夫人その人だったのだから、なおさらである。
リリーたちの狼狽ぶりを知ってか知らずか、公爵夫人は美しい手をふっくらした頬に添えて、たしなめるように言った。
「それにしても、アシュリー。感心しませんね。レディ・リリーを貶めるような言い方をなさるのは。まるで、彼女が不貞行為をしたみたいじゃありませんか」
「わ、わたくしは、そういう意味で申し上げたのでは……」
「ええ、ええ。そうでしょうとも」
公爵夫人は、無邪気に微笑んだ。
そうしていると、まるで年齢を感じさせない。
もうすぐ六十歳にさしかかるとは思えぬ、少女のような笑みだった。
「ただの、言い間違いよね?」
「は、はい」
「では、どうなさるべきか、おわかりでしょう?故意でないとはいえ、あなたの品位に関わりますからね」
「い、いえ。わたしは別に……」
リリーは急いで間に入ろうとしたが、公爵夫人に可愛くウィンクされてしまい、押し黙った。
すると、そのやり取りには気付かなかったらしい男爵夫人が、おずおずと口を開いた。
「……レディ・リリー、あなたに失礼な言い方をしてしまって、ごめんなさいね。許してくださる?」
「は、はい!」
リリーは大きく頷いた。
男爵夫人の言動に戸惑いはしたものの、別に怒っていたわけではない。
そもそも、許すも許さないもないのだが、ここは素直に頷いておく。
それを満足そうに見つめながら、公爵夫人は言った。
「自分の非を認めるアシュリーに、それをすぐに許すリリー。どちらも素晴らしい淑女ですわ」
それで、このやり取りはおしまいだった。
すでに、この場にはリリーと公爵夫人しかいない。
男爵夫人は、居心地悪そうに、立ち去った後だった。
公爵夫人が意図的に終わらせたわけだが、なんとなくうまい具合に場がおさまったことに、リリーは感心してしまった。
さすがの手腕である。
リリーは尊敬の眼差しで、公爵夫人の綺麗な顔を見つめた。
それに気付いたように、夫人は微笑んだ。
「お久しぶりですね、リリー。元気そうでなによりです」
「はい、夫人もお変わりなく。この度は、助けていただいてありがとうございました」
深々と頭を下げたリリーに、夫人は手を振って答えた。
「気になさらないで。あなたのお祖母様とは親友でした。あなたは、わたくしにとっても孫のような大切な存在です。だから、アシュリーの態度を見過ごせなかったの。それにしても、あの人にも困ったものね。悪い人ではないのだけれど、ゴシップ好きなところはいただけないわ」
苦笑気味に言って、首を振った後、夫人は「ところで」と続けた。
「ダレンを見なかった?あの子ったら、腕を引っ張って連れてきたのに、どこかに雲隠れしちゃったのよ」
ダレンとは、夫人の息子である、キャッスル子爵ダレン・アルバーン卿のことだ。
彼の容姿は、とても目立つ。
今日はまだ一度も、その姿を見かけていなかったので、リリーは申し訳なさそうに首を横に振った。
「あら、いいのよ。リリー、あなたはそんな顔をしないでちょうだい。きっと、ご婦人方から逃げ回っているだけだから。いつものことよ。わたくし、かくれんぼは得意だから、絶対に見つけてみせるわ」
茶目っ気たっぷりに笑って、公爵夫人は手をひらひらさせながら、立ち去った。
どこかウキウキしたその背中から、彼女は本気で息子を探し出すつもりなのだろうことが伺える。
リリーは、思わず、笑みが漏れた。
その時だった。
「あら?あなたって、もしかしてレディ・リリー?」
一難去って、また一難。
今度はいったい誰だろうと、リリーは恐る恐る、振り返った。
そして、ハッとしたように目を見開いた。
話しかけてきたのが、大輪の花のように華やかな雰囲気の女性だったからだ。
絶世の美女とは、まさに彼女のためにあることばだった。
サラサラの金色に輝く髪を背中に流しながら、如才なく、リリーを紺碧の瞳で射貫きざま、彼女は言った。
「はじめまして、かしら?わたしは、エイミー・バーンズよ」
「レディ・エイミー、はじめまして。わたしは……」
「レディ・リリーでしょう?知っているわ。あなた、有名だもの」
あまり、いい意味での有名さではないのだろうなと思いながら、リリーは頷いた。
地味な容姿にも関わらず、こんな若く美しい女性にまで顔が知られているとは、なんとも不思議な感じがする。
「わたしね、あなたに興味があったの。だって、あのサイラスと結婚したんでしょう?」
伯爵ではなく、サイラスと名前呼びしたことで、リリーは少なからず、戸惑った。
サイラスの知り合いだろうが、十中八九、普通の意味での知人ではない雰囲気だった。
もしかして、と。
そこまで考えたところで、エイミーは妖艶に微笑んだ。
「あなたが考えているとおりよ。わたしたち、そういう関係なの」
「………」
リリーは、どう反応すればいいのかわからず、ジッとエイミーを見つめた。
かなりの美人だが、まだ社交界にデビューして間もないといった様子の年若い女性である。
サイラスから手を出すにしては、少々冒険したなという印象だった。
「サイラスは、わたしを愛している。結婚するつもりだったの。それを、あなたが汚いやり方で邪魔したんだわ」
それは、勘違いだと、リリーは言いたかった。
決して、二人の邪魔をするつもりはなかったのだと。
確かに、結婚した経緯だけをみれば、汚いやり方ではあったが。
リリーの意図した結果では、決してなかった。
それに、と。
リリーは、あの夜会での出来事を思い出していた。
サイラスがヴェロニカを愛しているのは、明白である。
エイミーとどんな関係であったにせよ、そこは間違いないだろう。
サイラスはきっと、ヴェロニカと結婚したかったに違いない。
となれば、エイミーの言い分はすべて、間違った視点でのみ語られた、独りよがりのものである可能性が高かった。
しかし、エイミーは、その若さゆえの大胆な態度で、こう締めくくった。
「あなたは、彼に相応しくない。サイラスには、わたしみたいな若くて綺麗な妻が必要よ。だから、あなたは身のほどをわきまえて、さっさと彼から身を引いてちょうだい」
艶やかな、しかし、どこか幼さが残る微笑みを残して、エイミーは立ち去った。
リリーは、ただその後ろ姿を黙って見送ったけれど、心の中では彼女に同情していた。
ーーーサイラス、あなたは残酷ね。
エイミーは、自分が愛されていて当然といったていで、それを疑ってすらいない。
まだ若く、愛と恋の違いも知らないようなエイミーに誤解させたまま、他の女性を愛しているサイラスは、果たしてその罪深さにいつ気付くのだろうか。
ジェイソンを愛していた時の自分と、エイミーが重なって見えて、リリーはひどく心が痛んだ。