表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
帰ってきた夫  作者: 西子
13/126

12

周囲の視線を痛いほど感じながら、リリーはため息がでそうになるのを、必死に堪えていた。

今日は、サイラスと一緒に、とあるパーティーに参加していた。

こういう大きな集まりに参加するのが苦手なリリーは、最初からあまり乗り気ではなかったのだが、主催者がマクファーレン家と懇意にしている貴族だったので、断ることができなかったのだ。

実は、サイラスとの結婚後、こういったパーティーへの招待状は、夫婦宛にひっきりなしに届いていた。

もちろん、ずっと断っていたけれど。


パーティーに招待しようとする人たちの意図は、明白だった。

あの醜聞後、仕方なく結婚したリリーたちの様子を詳しく知りたいのである。

もしかすると、前の夫ジェイソンの死の真相や、愛人と噂されるフレデリックとの関係を、リリーから聞き出したいという魂胆もあったかもしれない。

どちらにしろ、居心地の悪い気分になること必至である。


というわけで、小一時間ほど前から、リリーはずっと気が重かった。

サイラスは会場に到着するやいなや、リリーを一人残して、どこかへ行ってしまったので、リリーは自分で、口さがない噂や好奇な視線から身を守るしかない。

のらりくらりと交わす処世術は、あまり持ち合わせていないのだけれど、と。

リリーは相手に気づかれないように、そっとため息をついた。

今、隣では、とある男爵夫人がリリー相手に、嬉々として社交界におけるゴシップについて語っている。

その反応をみているのは明らかだったので、リリーは特に興味がないふりをしていた。

それに業を煮やしたかのように、男爵夫人は顔を寄せてきた。


「そういえば、あなたもおかしな噂があったわよね?ほら、どこかの侯爵との」


それは、フレデリックのことを指しているのだろうと思われたが、リリーはあえて気付かぬふりをした。


「さあ、どなたでしょう?」


不思議そうに、首をかしげる。

それが気に入らなかったらしい。

男爵夫人は、少し剣呑な響きで言った。


「どなたかわからないほど、たくさんの殿方と懇意にしていらっしゃるのね」


"懇意"の部分をやけに強調した言い方だった。

相手の悪意があからさまなので、リリーは正直、戸惑った。

決して、表情には出さなかったけれど。

その狼狽が過ぎ去り、どう答えるべきか、しばし、逡巡する。

その時だった。

突然、背後から声がかかったのだ。


「伯爵夫人ともなれば、必然、交友関係は広くなるものですよ。わたくしとも、懇意にしていただいていますしね」

「あ、あなた様は!」


男爵夫人は、すっとんきょうな声をあげた。

その驚きは、リリーも同様だった。

現れたのが、淑女の中の淑女として名高いブラッドリー公爵夫人その人だったのだから、なおさらである。

リリーたちの狼狽ぶりを知ってか知らずか、公爵夫人は美しい手をふっくらした頬に添えて、たしなめるように言った。


「それにしても、アシュリー。感心しませんね。レディ・リリーを貶めるような言い方をなさるのは。まるで、彼女が不貞行為をしたみたいじゃありませんか」

「わ、わたくしは、そういう意味で申し上げたのでは……」

「ええ、ええ。そうでしょうとも」


公爵夫人は、無邪気に微笑んだ。

そうしていると、まるで年齢を感じさせない。

もうすぐ六十歳にさしかかるとは思えぬ、少女のような笑みだった。


「ただの、言い間違いよね?」

「は、はい」

「では、どうなさるべきか、おわかりでしょう?故意でないとはいえ、あなたの品位に関わりますからね」

「い、いえ。わたしは別に……」


リリーは急いで間に入ろうとしたが、公爵夫人に可愛くウィンクされてしまい、押し黙った。

すると、そのやり取りには気付かなかったらしい男爵夫人が、おずおずと口を開いた。


「……レディ・リリー、あなたに失礼な言い方をしてしまって、ごめんなさいね。許してくださる?」

「は、はい!」


リリーは大きく頷いた。

男爵夫人の言動に戸惑いはしたものの、別に怒っていたわけではない。

そもそも、許すも許さないもないのだが、ここは素直に頷いておく。

それを満足そうに見つめながら、公爵夫人は言った。


「自分の非を認めるアシュリーに、それをすぐに許すリリー。どちらも素晴らしい淑女ですわ」


それで、このやり取りはおしまいだった。

すでに、この場にはリリーと公爵夫人しかいない。

男爵夫人は、居心地悪そうに、立ち去った後だった。

公爵夫人が意図的に終わらせたわけだが、なんとなくうまい具合に場がおさまったことに、リリーは感心してしまった。

さすがの手腕である。

リリーは尊敬の眼差しで、公爵夫人の綺麗な顔を見つめた。

それに気付いたように、夫人は微笑んだ。


「お久しぶりですね、リリー。元気そうでなによりです」

「はい、夫人もお変わりなく。この度は、助けていただいてありがとうございました」


深々と頭を下げたリリーに、夫人は手を振って答えた。


「気になさらないで。あなたのお祖母様とは親友でした。あなたは、わたくしにとっても孫のような大切な存在です。だから、アシュリーの態度を見過ごせなかったの。それにしても、あの人にも困ったものね。悪い人ではないのだけれど、ゴシップ好きなところはいただけないわ」


苦笑気味に言って、首を振った後、夫人は「ところで」と続けた。


「ダレンを見なかった?あの子ったら、腕を引っ張って連れてきたのに、どこかに雲隠れしちゃったのよ」


ダレンとは、夫人の息子である、キャッスル子爵ダレン・アルバーン卿のことだ。

彼の容姿は、とても目立つ。

今日はまだ一度も、その姿を見かけていなかったので、リリーは申し訳なさそうに首を横に振った。


「あら、いいのよ。リリー、あなたはそんな顔をしないでちょうだい。きっと、ご婦人方から逃げ回っているだけだから。いつものことよ。わたくし、かくれんぼは得意だから、絶対に見つけてみせるわ」


茶目っ気たっぷりに笑って、公爵夫人は手をひらひらさせながら、立ち去った。

どこかウキウキしたその背中から、彼女は本気で息子を探し出すつもりなのだろうことが伺える。

リリーは、思わず、笑みが漏れた。

その時だった。


「あら?あなたって、もしかしてレディ・リリー?」


一難去って、また一難。

今度はいったい誰だろうと、リリーは恐る恐る、振り返った。

そして、ハッとしたように目を見開いた。

話しかけてきたのが、大輪の花のように華やかな雰囲気の女性だったからだ。

絶世の美女とは、まさに彼女のためにあることばだった。

サラサラの金色に輝く髪を背中に流しながら、如才なく、リリーを紺碧の瞳で射貫きざま、彼女は言った。


「はじめまして、かしら?わたしは、エイミー・バーンズよ」

「レディ・エイミー、はじめまして。わたしは……」

「レディ・リリーでしょう?知っているわ。あなた、有名だもの」


あまり、いい意味での有名さではないのだろうなと思いながら、リリーは頷いた。

地味な容姿にも関わらず、こんな若く美しい女性にまで顔が知られているとは、なんとも不思議な感じがする。


「わたしね、あなたに興味があったの。だって、あのサイラスと結婚したんでしょう?」


伯爵ではなく、サイラスと名前呼びしたことで、リリーは少なからず、戸惑った。

サイラスの知り合いだろうが、十中八九、普通の意味での知人ではない雰囲気だった。

もしかして、と。

そこまで考えたところで、エイミーは妖艶に微笑んだ。


「あなたが考えているとおりよ。わたしたち、そういう関係なの」

「………」


リリーは、どう反応すればいいのかわからず、ジッとエイミーを見つめた。

かなりの美人だが、まだ社交界にデビューして間もないといった様子の年若い女性である。

サイラスから手を出すにしては、少々冒険したなという印象だった。


「サイラスは、わたしを愛している。結婚するつもりだったの。それを、あなたが汚いやり方で邪魔したんだわ」


それは、勘違いだと、リリーは言いたかった。

決して、二人の邪魔をするつもりはなかったのだと。

確かに、結婚した経緯だけをみれば、汚いやり方ではあったが。

リリーの意図した結果では、決してなかった。

それに、と。

リリーは、あの夜会での出来事を思い出していた。

サイラスがヴェロニカを愛しているのは、明白である。

エイミーとどんな関係であったにせよ、そこは間違いないだろう。

サイラスはきっと、ヴェロニカと結婚したかったに違いない。

となれば、エイミーの言い分はすべて、間違った視点でのみ語られた、独りよがりのものである可能性が高かった。

しかし、エイミーは、その若さゆえの大胆な態度で、こう締めくくった。


「あなたは、彼に相応しくない。サイラスには、わたしみたいな若くて綺麗な妻が必要よ。だから、あなたは身のほどをわきまえて、さっさと彼から身を引いてちょうだい」


艶やかな、しかし、どこか幼さが残る微笑みを残して、エイミーは立ち去った。

リリーは、ただその後ろ姿を黙って見送ったけれど、心の中では彼女に同情していた。


ーーーサイラス、あなたは残酷ね。


エイミーは、自分が愛されていて当然といったていで、それを疑ってすらいない。

まだ若く、愛と恋の違いも知らないようなエイミーに誤解させたまま、他の女性を愛しているサイラスは、果たしてその罪深さにいつ気付くのだろうか。


ジェイソンを愛していた時の自分と、エイミーが重なって見えて、リリーはひどく心が痛んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ