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帰ってきた夫  作者: 西子
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社交界シーズンも、折り返し地点に差し掛かっていた。

こんなに早く感じるのは、きっとリリーにとって初めて平穏な社交界シーズンだからだろう。

嬉しいこともあった。

ピーターとモリーの結婚が決まったのだ。

先日、二人が揃って報告に来てくれた時は、心から安堵し、一緒に祝福した。

詳細な経緯は聞いていない。

でも、それでいいのだ。

二人の馴れ初めは、彼らだけの大切な物語だから。

ピーターの満面の笑みと、モリーの恥じらうような笑顔が見れただけで、リリーは満足だった。


シーズン中は、メイドのレイチェルにも会いに行った。

サイラスやマリーの件と重なって、レイチェルの結婚式には顔を出せなかったリリーである。

それでも、直接お祝いのことばだけは言いたかったのだ。

レイチェルがサイラスに協力していたというのも聞いていたので、合わせてそのお礼も伝えたのだが、なぜだろう、レイチェルの表情は暗かった。

どうやらサイラスの一件に、責任を感じているようだった。


「わたくしは、ずっとリリー様に恩返しをしたいと思っておりました。だから、伯爵にも協力しました。でも、そのせいで結局、伯爵は亡くなってしまいました」

「レイチェル、それは違うわ。そんなことを言ったら、サイラスが悲しむ。あなただって危険な目にあったかもしれないのに、わたし達の為に協力してくれた。そのことを、サイラスもわたしも心から感謝しているわ。だから、自分を責めないで」

「でも、リリー様こそ、ご自身を責めてはいませんか?わたくしは、それが一番怖かった。わたくしがしたことで、リリー様が傷付くことが、何よりも恐ろしかった」


レイチェルは俯いた。

そうしていると、昔リリーの詩集を汚してしまった時のことを思い出す。

もしかすると、レイチェルはずっとあの時のことを引きずっていたのだろうか。


リリーはそっとレイチェルの手を取った。

その手はかさついていて、マメも沢山できていた。

レイチェルが仕事を頑張っている証拠だ。

リリーはそれが誇らしく、愛おしかった。


「レイチェル、あなたは優しいのね。ありがとう、わたしのことを気遣ってくれて。本心を言うとね、サイラスの訃報を聞いて、罪悪感が芽生えなかったと言えば嘘になる。でも、あなたをはじめ、沢山の人の優しさに触れてわかったの。わたし、決して自分を責めないわ。後悔することはあっても、否定はしない。それは、あなた達を傷付けることにもなるから。だから、レイチェル。どうか自分を責めないでね」


レイチェルは何度も何度も頷きながら、嗚咽を漏らした。

リリーの手を握りしめて、泣いた。


ーーわたしは、ずっとレイチェルの笑顔が好きだった。楽しくおしゃべりしている、元気な声が大好きだったわ。


だから、レイチェルが泣き止んだ時、どうか笑って欲しいと、リリーは強く思うのだった。






それから数日後。

リリーはサイラスの、いや、ウォーターフォード伯爵のタウンハウスを振り返った。

現当主、つまりサイラス亡き後、爵位を継いだという現ウォーターフォード伯爵に、話があるからと呼ばれたのだ。


ーーサイラスとはあまり似ていなかったわ。でも、とても真面目で良い人みたい。


現伯爵からの話というのは遺産のことだった。

どうやらサイラスは何かあった時の為に、リリーに財産を残していたようだった。

リリーが一生、生活に困らないだけの大金だった。

額が額なだけに、リリーは気後れしそうになったけれど、丁重に辞した。

ピーターの頑張りもあって、よほど贅沢をしない限り、リリーは実家が養ってくれる。

リリーとて、ピーターに世話になりっぱなしになるのは嫌なので、リリーなりにできることがあれば働きたいと思っている。

だから、お金は領地の、ウォーターフォードに住む領民の為に使って欲しいとお願いした。

マリーが言ったように、現伯爵は少し融通が効かないタイプの人だったので、貰う貰わないで押し問答をしてしまったが、最終的には執事のエルバートと使用人頭のアンが間に入ってくれ、リリーの希望が通ることになった。

本当にあの二人には頭が上がらない。


「あなた達には最初からお世話になりっぱなしだったわね。本当に今までありがとう」


玄関まで見送りに来てくれた、エルバートとアンに、リリーがそう言って笑顔を向けると、二人は目配せし合った。

そして、意を決したように口を開いた。


「今から、失礼なことを申しますのをお許しください。わたくしは最初、あなたがサイラス様に嫁がれたことをよく思っておりませんでした」

「失礼ながら、わたくしも同意見でした」


そういえば、初めてこの屋敷に足を踏み入れた時、サイラスとはかなり険悪だった。

鼻先で扉を閉められ、寝室に入れてくれなかった姿はさぞ二人の目からすれば、期待外れの花嫁だったことだろう。


「ですが、リリー様は邪険に扱われて尚、ひたむきに頑張っておられた。使用人達を統率し、屋敷の維持に尽力された。あの漆喰の壁には大変、驚かされました。サンルームは、今もお客様達に評判がいいんですよ。それに、これは完全に私的なことですが、息子の件も感謝しております。あなたはわたくしと息子の背中を押してくれた。わたくし達が今こうやって親子としていられるのは、あなたのおかげだ。本当に感謝してもしきれません。噂など鵜呑みにしていた自分の愚かさが憎い。リリー様は決して身持ちの悪い、冷酷な女性などではなかった。あなたはサイラス様を隣国へと送り出してくれた。賛否両論ありましょうが、わたくしは後悔しておりませんよ。あの日、あの時、サイラス様を行かせていなければ、あの方は一生ここには戻ってこなかった。二度とお会いすることは叶わなかったでしょう。だから、心から、心からの謝辞をあなたにお送りします」


深々と頭を下げるエルバートの頭には、白いものがかなり混ざっていた。

こんなところに時の経過を感じてしまう程、長く付き合いがあったということだ。

そのことがこれ以上なく嬉しかった。


「わたくしは使用人達の名前をすぐ覚え、仕事量の管理を徹底されたことに感嘆いたしました。リリー様はわたくしでさえ心配になるほどお優しく、寛大であられた。レイチェルが粗相をした時、リリー様は許されましたね。女主人としては甘いと思いました。でも、心の中では安堵してもいました。わたくしにとっても、レイチェルは大切な子だったのです。わたくしが初めて指導したのがレイチェルだったんですよ。贔屓してはいけないと厳しくしていましたが、内心では大切に思っていました。だからこそ、リリー様がレイチェルを解雇した時は、ありがたいと思いました。リリー様はレイチェルの将来のことをきちんと考えてくださったのですね。あのままでは、いつかあの子は身を崩していた。リリー様の為だと信じて、暴走していたことでしょう。それがわかっていて、わたくしはレイチェルを諭せなかった。口ではああ言いましたが、わたくしではきっとあの子を切れなかったでしょう。だからこそ、リリー様には感謝いたしました。尽くしたいと、思いました。リリー様が主人だからでも、わたくしが使用人だからでもない。あなただからこそ、仕えたいと強く思いました。わたくしもレイチェルのことをあまり強くは言えませんね。わたくしもレイチェルと同じくらい、リリー様のことをお慕いしているのですから」


それはハンクとは違う、純真な敬愛の念から出たことばだった。

だからこそ、リリーの胸を熱く焦がし、心震わせた。

この喜びを伝えられることばがあればいいのにと、リリーは思った。

でも、結局ことばなんて関係ないのかもしれない。

だって、わたし達はもうーー。


ーー家族のような絆で結ばれているのだから。


リリーは微笑んだ。

きっとそれだけで、二人には充分伝わるだろうと思いながら。








「玄関先で何やっているのさ。あー、恥ずかしい」


エルバート達と別れ、馬車に乗り込もうとした矢先、急に背後から声が降ってきて、リリーは肩を揺らした。

でも、怖いわけではない。

驚いただけだ。


「久しぶりってわけでもないか。兄さん達の葬儀以来だし」

「ええ、そうね。でも、良かった。実家に帰る前に会えて。きちんとお別れを言いたかったのよ」

「僕もだよ」

「もしかして、どこかへ行くの?」

「旅に出るんだ……兄さんを探しに」


リリーはハッとして、エルことケビンを見つめた。

彼の瞳は物語っていた。

ケビンはまだ諦めていない。

サイラスは生きていると信じているのだ。


「エルバートは……」

「もちろん知っているよ。行って来いって言われた。ずっと待ってるって」


ケビンは少しだけ微笑んだ。

エルバートを、父を想っての笑みだった。


「最近さ、あの時のことを思い出すんだ。兄さんがハンクと一緒に川へ落ちていく姿を。間に合わなかった、辛い記憶を。でも、そのままにしておきたくない。兄さんを見つけて、辛い記憶を嬉しい記憶で塗り替えたいんだ。馬鹿だって思う?」

「いいえ、思わないわ。あなたは馬鹿なんかじゃない。勇敢だわ。わたしにもあなたのように強い心があれば、サイラスを待つことができたのかしら。サイラスが生きていることを信じていられたのかしら」

「それは兄さんが望んでいることじゃないよ。マリー様の意志でもない。だから、兄さんを待つ必要も、まして、それで一生を不意にする必要もない。きっと、強いとか弱いとかの問題じゃないんだ。幸せなんて、そんなものだろう?姉さん」


ケビンは悪戯っ子のように笑った。

きっと、彼にとってサイラスを兄さんと呼ぶのは、最大限の愛情表現だ。

だからこそ、リリーのことを姉さんと呼んだ時のケビンの表情を、リリーは一生涯忘れないだろうと思った。

もう一人の弟の顔を、いつまでも忘れたくないと思った。


「じゃあ、僕はもう行くよ。早く探してあげないと、兄さんは堪え性がないから。ああ、そういえば、犬のサムのこと、聞いたよ。残念だったね。でも姉さんを守って死んだんだ。あいつは立派だったよ。だから、姉さんもあまり気にやまない方がいい。姉さんは優し過ぎるんだよ」


それは、あなたの方だわと、リリーは思った。

彼は犬が苦手だ。

にも関わらず、サムの名前を知っていたし、落ち込むリリーの心配までしてくれている。

ケビンはリリーが優しいと言ってくれるが、そう言うケビンの方がよほど、優しいのではないだろうか。


「ありがとう、心配してくれて」

「違うよ、これは今ここにいない兄さんの代わりに言っただけで……って、ちょっと、何笑ってるのさ。ちぇー、面白くないの!」


気分を害したようにプイとそっぽを向いて、ケビンは歩き出してしまった。

その背に向かって、リリーは「いってらっしゃい。気を付けてね」と声をかけた。

ケビンは振り返らなかった。

でも、手を上げて応えてくれた。

「姉さんも変な奴には、気を付けるんだよ」と言って。

やはり、ケビンは優しい青年だと、リリーは思った。

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