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リリーにとって、リリーハウスと呼ばれる町屋敷は、沢山の思い出と癒しを与えてくれた、大切な場所だった。
とはいえ、今となっては少し虚しい。
ここにいると、どうしてもハンクのことを思い出すからだ。
そんなリリーの気持ちが伝わってしまったのか。
今まで談笑していたシルビアとアリソンが、不思議そうにリリーを見つめていた。
リリーは慌てて、取り繕うように微笑んでみせた。
「ごめんなさい、楽しいおしゃべりに水をさしてしまったかしら」
「いえ、いつものアリソンのお小言ですから」
「失礼ね、シルビアが悪いんでしょう?あなたが昨夜も、遅くまでドレス作りをしていたから。健康に悪いわ」
最近、シルビアはその才能を活かし、両親には内緒でドレスデザイナーとして活躍している。
シルビアの秘密の仕事を支援してくれるパトロンを見つけたのだ。
そのパトロンを紹介したのがサイラスだったと聞いた時は驚いたが、シルビアのドレスが必ず評判になると見抜いていたサイラスの目は、さすがだった。
シルビアが作るドレスは、着る人の魅力を最大限に引き出すのだ。
目や髪に合わせた配色、体型をカバーしたデザイン。
今や、シルビアのドレスは社交界で大人気だった。
シルビアは念願だったデザイナーとしての夢を叶えたのだ。
「新作が出ると聞いたわ。だから、忙しいのはわかるけれど。あまり無理をしないでね、シルビア」
「はい、レディー・リリー」
「どうして、レディー・リリーが言うと素直に頷くのよ!」
「アリソンは言い方がキツいんですもの。仕方がないわ」
「何よ、それ!わたしだって心配して言っているのに!」
機嫌を損ねてしまったらしいアリソンを慰めるように、リリーは紅茶をカップに注いでやった。
ついでに、興味をひきそうな話題を提供する。
「先日の慈善活動の件だけれど、進捗具合はどうかしら?賛同してくれる方が居れば良いのだけれど」
「知り合いの方には声をかけました。ほとんどの方が、寄付は構わないとおっしゃってくれましたが、活動そのものへの参加には難色を示されてしまいました」
「やはり、そうよね……。どうしても危険なイメージがついて回るものね」
リリー達が話しているのは、慈善活動への参加の件である。
意外かもしれないが、貴族の中で慈善活動に貢献する者は多い。
とはいえ、それは金銭的な援助という枠内から外れるものではなく、実際に足を運んで活動に参加してくれる人はほとんどいなかった。
中には、積極的に取り組んでいる人たちもいるのだが、どうも熱心過ぎて、問題を起こす場合が多かった。
女性の権利運動などがその良い例で、一部の活動家が実力行使にうって出て、暴力沙汰になるケースが多発している。
きな臭いイメージが払拭できないのは、その為だ。
貴族としての寛大さ、偉大さを示す為に、寄付だけはするというのが、一般的な流れであることも一因だった。
もちろん、寄付はありがたいのだ。
ただ、金銭面以外でもできることはあるのだと知って貰いたかった。
リリーも以前は寄付だけするというスタンスだったのだが、それが変わったのは最近のことだ。
狩猟犬のサムが怪我を負い、そして死んだのだ。
一時は回復傾向にあったように見えたが、結局は怪我が原因で亡くなった。
狩猟犬は元々、死と隣り合わせだ。
とはいえ、こんな形で亡くなってしまったことに、リリーは非常に責任を感じてしまった。
サムはリリーを庇って死んだようなものである。
「賢い子でした。だからこそ、奥様を守れたのだと思います」
サムの世話を必死にしてくれていたアランは、そう言ってくれたが、罪悪感は否めない。
リリーは非常に悲しく、また落ち込んだ。
サイラスやマリーの死と重なるようにして、サムまで亡くなったのだ。
だからこそ、せめてもの償いとして、動物愛護活動に尽力している。
動機が私事すぎて不純かもしれないけれど、怪我した動物達の保護を目的とした活動は珍しく、今までなかったことを考えると、それはそれで悪いことではないと思いたかった。
「そういえば、レディー・リリーは先日、修道院跡地にある教会の救貧施設に足を運ばれたとか」
「ええ、保護した犬を連れて行ったのよ。人に慣れている子だから、子ども達に撫でられて嬉しそうだったわ。最初は戸惑っていた子ども達も、喜んでくれたみたいだし、本当に良かった。そういえば、一人、とても目を引く女の子がいたのよ。相当な犬好きみたいで、ずっと遊んでくれていたわ」
「目を引くというのは?何か特徴的な女の子だったんですか?」
「うーん、何て言うのかしら。上品な感じというか……服装は大きな外套を羽織っていてよく見えなかったけれど、他の子ども達とは雰囲気が明らかに違っていて目についたのよ。そういえば、その子に"犬の子どもも、コウノトリが運んで来るの?"って聞かれて、かなり閉口しちゃったわ」
リリーがクスクスと笑うと、シルビアとアリソンはどこかホッとしたように微笑んだ。
やはり心配をかけてしまっていたのだろう。
申し訳ないことをした。
「ところで、もう今年は社交場に顔は出さないんですか?レディー・リリーに似合うドレスがあるのですが」
「それはとても嬉しいのだけれど、もう今年は出席するつもりはないの。ごめんなさいね。気持ちだけありがたく受け取っておくわ」
ピーターの紹介も終えた今、リリーにできることはほとんどなかった。
後は、ピーターとモリーの問題である。
リリーは見守るだけで良い。
それに、社交場に出向くと、やはりどうしてもリリーから事件の話を聞き出そうとする一部のゴシップ好きに囲まれてしまうのだ。
なるべくなら避けたい。
「もしかして、事件のことで何か失礼なことを言われたんですか?」
心配そうに訊いてくるシルビアに、リリーは首を振った。
リリーは元々、評判が悪かった。
そこに加えて、今回の事件である。
以前の新聞のように、悪く言われるだろうと覚悟していたのだが……。
「それが不思議、というと語弊があるかもしれないけれど、なぜか皆、わたしに同情的なのよ。否定的なことは言われないの。声をかけてくるから、事件に興味があるのは確かだと思うのだけれど」
先日、ピーターを紹介した後も、リリーはいくつか社交の場に顔を出した。
だが、どうだろう。
どの場所でも、皆、口を揃えて「大変でしたね」とリリーを慰めてくれるのだ。
「あなたは勇敢だ」と褒められることさえあった。
まるで狐に摘まれたような感覚である。
しかも、あれだけピーターが抗議しても意に介さなかった新聞社まで、訂正記事を掲載し、その後はまるで興味を失ったかのように、事件のことには触れなくなった。
リリーには正直、何が起こっているのかわからなかった。
「ご存知ないんですか?」
アリソンに言われ、リリーは首を傾げた。
「どういう意味?あなたは何か知っているの?」
「ノートン伯爵夫人ですよ。どういう風の吹き回しか、彼女、シドニー公爵に襲われた時、レディー・リリーが身をていして守ってくれたと触れ回っているんです。夫人の話は大層、真に迫っていて、皆、信じきっています。あなたが勇敢なヒロインだということを。わたし、少し彼女のことを見直しました。夫人は嘘偽りなく、ありのままを話しました。自分の愚かな言動のせいで、あなたを危険に晒したことまで。レディー・リリーは巻き込まれただけなのに、決して自分を見捨てず、助けてくれたのだと、夫人は目に涙を浮かべて語っていました。流石にやり過ぎな気もしましたが、あの夫人がそこまで言うのなら本当なのだろうと、逆に真実味が出たようです。だから、あれはあれで良かったのだと、わたしは思います」
「彼女、女優にでもなればいいのに」と、アリソンは肩をすくめた。
シルビアも苦笑している。
対して、リリーは目を丸くしていた。
エイミーが、まさかそんなことをしてくれていたとは、全く知らなかった。
正直、驚きを隠せない。
でも、ふと思い出した。
エイミーがリリーに謝罪した時のことを。
エイミーは何もお礼ができないけれどと、泣きながら、それでも精一杯の感謝の気持ちを伝えようとしてくれた。
自分は無力だと言っていたエイミーだが、彼女は彼女なりに、物凄く反省してリリーの為に、今できることをしてくれたのだろう。
そのことが、とても嬉しかった。
「新聞社の方は、ウィンターベル侯爵が手を回したと聞きました」
シルビアは遠慮気味にそう言った。
エイミーの次に、今度はフレデリックの名前まで出てきて、リリーはかなり戸惑った。
「彼にそんな権限は……」
「ありますよ。昔から、侯爵家は新聞社に多額の出資をしているんです。わたしの父も出資者の一人なので教えてもらったんですが、侯爵は訂正記事を載せないと出資額を減らすと脅したみたいですよ。その後も、おかしな記事が出ないよう目を光らせているようで。もちろん、あなたの為に圧力をかけていることを周囲に知られないように内密に、ですが。知っているのは、父のような一部の出資者だけです。出資に響くので、知っている者も周囲には話しませんし、侯爵も考えましたよね」
「そうだったの……知らなかったわ」
フレデリックはずっとリリーの愛人ではないかと噂されていた。
ゆえに、もう随分と直接、顔を合わせていない。
時折、手紙のやり取りがあるくらいで、その中でさえ、彼は新聞社の件は何も言っていなかった。
でも、リリーの知らないところでリリーを助けてくれていたとは。
ーーわたしは、何て恵まれているのかしら。
サイラスやマリー、エイミーにフレデリックまで。
シルビアやアリソンだってそうだ。
他にも、沢山の人達がリリーを思ってくれている。味方でいてくれる。
自分は幸せ者だ。最高に幸せ者だ。
そのことに気付けて良かった。
気付かせてくれて良かった。
「ありがとう、二人とも」
急に、目に涙を浮かべたリリーを、シルビアとアリソンは慌てたように、でも、心なしか嬉しそうに慰めてくれた。
二人に出会えた幸せを思い、リリーの目はさらに潤んだのだった。




