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帰ってきた夫  作者: 西子
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9

その後も、サイラスとはすれ違いの毎日だった。

決して許しはしないという、彼の固い決意は揺るがない。

リリーが意図的に避けられているのは、誰の目から見ても明らかであった。

終始、主人であるサイラスが不機嫌なので、使用人たちもリリーにうんざりしているようだった。

厄介者扱いを受けていることが、手に取るようにわかる。

もちろん、サイラスのように表だってリリーを避けはしない。

ただ、距離は感じていた。

リリーがサイラスに煙たがられる度に、使用人同士で目配せし合う。

またか、と。

その視線がありありと語っていたからだ。


リリーは、ひどく憂鬱になる心を何とか奮い立たせ、微笑んだ。

今、目の前にはサイラスの母親であるマリーがいる。

息子と同じダークブラウンの髪に、若干、銀色のものが混じってはいるものの、マリーは今でも十分美しかった。

若い時分は、社交界の花としてさぞ話題にのぼったことだろう。

ただ、ほとんど表情を動かさないので、リリーは少し冷たい印象を受けたのだった。


「突然、訪ねて迷惑をかけますね」


淡々とした口調ながら、マリーの声音は誰もが耳を傾けたくなるような澄んだ響きを感じさせた。

リリーのくぐもって聞き取り辛い声とは対照的である。

リリーは少しでもマリーのそれに近付けようと、お腹に力を入れた。


「お気になさらないでください。お義母様にお会いできて嬉しいですわ」


血が繋がっていないとはいえ、サイラスと結婚した以上、リリーにとっても彼女は大切な家族だった。

迷惑とは思わない。


リリーはお気に入りの紅茶をカップに注いで、マリーに手渡すと、彼女の向かいに座った。

茶葉の良い香りが鼻腔をかすめる。

それは、ほんのり室内にも漂っていた。

しばらく、お互いにたわいもない話をする。

リリーは、なるべく愛想よく接しようと努めた。

それが成功しているのかどうか、正直マリーの表情からは読み取れなかったけれど。


ちょうど会話が途切れた時だっただろうか。

見計らったかのように、マリーが手に持っていたカップを置いた。

背筋を伸ばして、リリーを真正面から見据える。

その眼差しに、どうやら本題に入るようだと、リリーは悟った。


「ところで、今日、わたくしがあなたを訪ねてきたのには訳があるんですよ」

「訳といいますと?」

「いえね、あなたに関するおかしな噂を耳にしたものですから」


リリーは表情を曇らせた。

慎重に、マリーの表情を伺う。


「それは、どのような噂ですか?」


怖々、尋ねたリリーに対し、しかし、マリーは首を振った。


「いえ、内容はどうでもいいのです。わたくしは信じておりませんから。噂なんて、でたらめなことが多いですからね」


リリーは安堵した。

責められるのではないかと、身構えていたが、マリーは噂を鵜呑みにはしていないらしい。


「ですが、火のないところに煙はたたぬと言います。あなたは、もうマクファーレン家に嫁いだのですから、これからは変な言いがかりをつけられないよう慎重に行動しなければなりません。あなたの評判は、我が家の品位に直結するのです。わかりますね?」


リリーは、申し訳なさそうに眉を下げた。

確かに、マリーの言っていることは正しい。

自分のせいでサイラスたちまで悪く言われることを、リリーはよしとしなかった。

それは、マリーも同様だろう。

これからは細心の注意を払っていかなければならない。

リリーは大きく頷いた。


「はい。品位を貶めるような軽率な言動は控え、妻として立派に役目を果たします」

「わかっているようですね。であれば、いいのです」


マリーは満足そうに微笑んだ。

自然と、目元が柔らかくなっている。

そうしていると、さすがに、あのサイラスの母親だけあって魅力的だった。

目が離せないような、思わずハッとする美しさとでも言うのか。

リリーとは益々、対照的である。

が、当のマリーはすぐに表情を改めてしまった。

そのことを、リリーはかなり残念に思った。


「ところで」


冷たい印象に戻ったマリーは、やや固い声音で切り出した。


「あなたたち、後継ぎのほうはどうなんですか?」


リリーは紅茶を吹き出さないよう、必死にこらえた。

まさか、そんなプライベートなことを聞かれるとは思わなかったのだ。

だが、マリーは至極、真面目な様子だった。


「わかっているとは思いますが、妻の一番の務めは子をなすこと。リリー、あなたは失礼ですが、決して年若いとは言えません。一日も早く、子宝に恵まれるよう励まなければなりませんよ」


「いいですね?」と念を押され、リリーは頷くしかなかった。

家の継続繁栄のため、後継ぎを産むのが女性の役割であることはわかっている。

まるで、子を産む機械かなにかのような失礼な言い草だが、それは事実だ。

そこを否定するつもりはない。

だが、とリリーは表情を曇らせた。


ーーサイラスは、わたしとの子を望むかしら。


あれほどリリーに対して、怒りを募らせている状態ではありえないように思えた。

実際、リリーはサイラスの部屋から閉め出されている。

現状、顔を合わせることすら、ほとんどできていないのだ。

妊娠など、とうてい望むべくもない。


ーーそれに、わたしはもう……。


リリーは、悲しげに瞳を閉じた。

近い将来、子宝に恵まれないことで、マリーから責めを受ける日がくるかもしれないと思うと、リリーはひどく憂鬱な気持ちになった。

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