第45話 愛の重み
守山さんと遠野くんが付き合うことになってすぐのお話です。
守山莉世という名前の女神もとい美少女がいる。
艶のある長い髪に、品のある仕草、制服の着崩しも最小限。
笑うときは口元を押さえて小さく笑う。
勉学に対する姿勢もまじめだし、気配りができて思いやりもある。
性格も遠慮がちで、気を遣うあまりに損をする様子も見られる。
成績・運動はそこそこ、鼻にかけるふうもなく嫌味がない。
およそ欠点の見当たらない、欠点がないのが欠点なほどに、完璧。
そんな彼女の彼氏が一体どんな男なのか。
さぞや見合うだけの立派なやつに違いないと人は思うはず。
頭も顔もよければ人格もできている。
爽やかで明るい性格であり、困っている人にはその人に合った最もいい助け方を実行する力を持ち、友人も多くボランティア活動に熱心。
そんなイケメン・面池君と知り合いなだけのクズが――残念、その守山さんの彼氏なのである。
最低で最悪で最もふさわしくないような彼氏。
名前を遠野徹という。
つまるところ、俺だった。
世界は俺に厳しくできている。
少なくとも突出した素晴らしい能力なんてものは、持ち合わせていない。
救いがあるとすれば、俺が残念である分だけ、周囲の人に恵まれていた。
守山さんもまた、その中の一人であるのだった。
誰もがきっと、ふさわしくない、今すぐ別れろ、と言うだろう。
それでも俺は、なんとか、自分のできるだけを尽くしたいと思えた。
だからこそ、俺は守山さんの二度目の告白に、応えることができた。
ふさわしくないことは自分が誰よりも知っている。
ならばその分だけ、力と心を尽くして、守山さんにふさわしくなろう。
そして俺は、好意を、口付けという行為によって証明した。
唇を離し、顔を離し、ベッドに仰向けの守山さんを眺める。
ほとんどベッドに押し倒すみたいなかっこうなのは、まあいろいろあった結果だ。
「徹くん……もっと」
震えるような、甘えるような声で、守山さんが俺の名前を呼ぶ。
彼女の手も俺の頬をなで、首に回り、軽く引き寄せようとしてきた。
蕩けたような表情をする守山さんに、俺は、俺は。
混乱するばかりだった。
え?
キスして、それで終わりじゃないの?
もっと、って言われてもどういうことかよくわかりますん。
どうしたら、俺は一体、どうしたらと思っているところへ、
「野性を……野性を解放するのです」
なんか悪魔のささやきが聞こえてきた。
最低オブ最低の俺に守山さんを穢させようとは、まさに悪魔だ。
おのれ俺の内なる悪魔、なんて悪逆非道なやつだろう。
だが。
だがしかし、だ。
悪魔がいるというのなら。
俺の心の中には、天使もまたいるはずなのだ。
頼む天使、俺をあるべき道に――
「きーす、きーっす」
悪魔しかいねえ。
天使どこいった。
というか完全に生きた人間のささやき声だったよなどっちも。
横目で、ドアのほうをそっとうかがう。
すると悪魔でも天使でもない、守山さん母がドアのすき間から覗いていた。
「えー……」
正気ですか神様。
娘とその彼氏の秘め事を母親に覗き見させるって何その天罰。
冷や汗が噴出してきて、すぐさまベッドの守山さんの上から飛びのき、
「すいません! ほんとすいません!」
流れるような土下座モードでとりあえず謝る。
もう床をえぐらんほど頭を床にねじこんで謝る。
「あらあらどうしたのかしら徹くんは。私は何も見てないのに」
わざとらしく守山さん母は両目を覆う――ふりをしていた。
めっちゃ指のすき間空いてた。
「この度はお宅のお嬢様に不埒な真似を致したこと、誠に申し訳ございません、この償いは何なりとお申し付けくださいませ」
「言葉遣い」
激しい負荷をかけられた俺の脳みそはスパークして普段出てこないような言葉を垂れ流していた。
「お母さん、別に徹くんは悪くないし、何も変なことは」
「そうよね、キスしただけよね」
やっぱりがっつり見られていた。
ぼふ、と守山さんがベッドに恥ずかしさのあまり転がったようだった。
「ただ徹くんもこう言ってることだし、何もなし、っていうのは徹くんだって逆に気まずいでしょ」
だからね、と守山さん母は軽く手を打ち鳴らす。
「沙汰を下します。徹くんは、もう一度莉世にキスをしなさい」
「えーと、それはどういう?」
「キスをしたことで起きた問題なら、キスを以って収める。目には目を、歯には歯を、キスにはキスを以って報いるのよ」
「な、なるほど」
「なるほどじゃないよぅ……」
ベッドで丸まる守山さんが、うめくように呟く。
何か間違ってたんだろうか。
完璧にロジカルだったと思うんだけど、どうも守山さんにとっては違うようだ。
ため息をつきつつ、守山さん母は部屋の中に入ってくる。
「それにしても我が娘ながら、どうしてこう、がっといけないのかしら。がっと。ねえ、徹くん。――私がいないものとして、続けて」
真顔の守山さん母だった。
続けて、じゃなくて。
「いやほんとすいません、勘弁してください」
「謝らなくていいのよ。親も認めて、本人たちの同意もある。何が問題だというの?」
「その、常識とか良識とかいうやつかと」
「守山徹って響き、素敵じゃない? ねえ」
入り婿がご所望ですかー。そうですかー。
「あと一年待ってもらわないとどうにも」
まだ十七歳である。
「あら、ということはあと一年待てばいいのね」
「お母さん!」
恥ずかしさが限界値を超えたのか、飛び起きた守山さんが自分の母親の肩につかみかかった。
「もういいから、黙って。下に降りてて! 大人しくしてて!」
「ほんとに困った子ねえ」
「もうお母さんほんとやだ!」
すっかりテンパった守山さんに、俺は心の中でうなずいた。
わかる、超わかる。
同い年のクラスメイトといるところに親がからんでくると、その時点でむずがゆい。
なのに色恋がからんでくるとなれば、これはもう全身がむずがゆくなる。
それにつけても守山さん母は容赦ないけど。
よし、この隙に。
「えっと、もう俺、帰りますねー、失礼しますねー」
守山さんのほうも限界だろうけど、俺のほうもいろいろ限界だった。
母と娘がやりあっている横を、申し訳程度にあいさつして、ぼっち生活で鍛えた気配遮断能力で通過を試みる。
ところが、守山さん母に手首をつかまれるのだった。
がっと。
ひぃ。
「徹くんは、うちの究極のカレーを食べてくのよね?」
そういえばそんな話もありましたが。
この状況で食卓を囲んで夕食をともに、というのはあまりに酷だ。
しかし守山さん母の満面の笑みと握力は、それ以上に力強かった。
「食べてくでしょ?」
「……はい」
この上なく辛い状況で、ほどほどに辛くてうまいカレーを頂くことになる。
ただでさえ拷問みたいな状況だったのだが、悪いことは続くものだ。
守山さん父が帰宅して苦行度は増し、さらに父君の席を俺が占領していたことが判明して完全にいたたまれなくなった。
ほんともう、おなか一杯だった。
* * *
「ほんとごめんね、うちのお母さんが」
「いや、うん、きっと悪いのは俺だから」
守山宅の門の前で、守山さんから見送りを受ける。
さすがに泊まっていくのはもちろん、車で送ってもらうのも気が引けた。
「ううん、徹くんは何も悪くなくて。ああもう、思い出すだけで暑い……」
手で顔をあおぐ守山さんは、確かに薄闇の中でも赤くなっているようだ。
「お母さんとは、よく話し合っておくから。だから、お母さんの言ったことは忘れて、ね?」
「任せてくれ、忘れるのは得意だ」
物覚えが悪くて友人のめぐむからも散々蹴られている。
「もっとも、今日のことは、大半が忘れられないだろうけど」
「うん、そうだね。私も、そう」
長い、本当に長い出来事に、一区切りがついた気がする。
思えば守山さんに突然好きだと告白されてから、約一ヶ月。
俺の高校生活が、そこにぎゅっと濃縮されたかのようだ。
「きっと一生、忘れられない。徹くんと、彼氏彼女になれたこと」
改めて言われると、うれしいやら恥ずかしいやら、だ。
「どうしてそこで顔を背けるかなあ」
「いや、まだちょっと整理ついてないとこもあって。大丈夫。十年後までにはなんとか」
「遅すぎる」
徹くんらしいけど、と守山さんは苦笑いだった。
「これから、一緒に、いろんなことしようね」
「ああ、そうだな」
「一緒に登下校するでしょ、お昼も、私の作ったお弁当食べてほしいな。毎週一回はデートして、放課後もどこかで買い物したり、一緒に過ごして。行きたいところもあってね、また二人で計画立てようね。徹くんの中学の頃の話も聞いたりしたいな。そうそう、徹くんのことで知りたいことがたくさんあるの。明日か明後日、予定は空いてる? 確か空いてるよね。そうそう、それから」
「あ、あの、守山さん」
「うん、なあに? 徹くん」
守山さんという十七歳の乙女は、およそ完璧だ。
完璧、なんだけれど、強いて欠点を挙げるなら、ひとつある。
普段、例えば学校生活で守山さんにこんな側面はまったく見られない。
しかし俺と関わる守山さんは、俺のせいもあるんだろうけど、暴走してしまう。
簡単に言ってしまえば、そうだ。
「なんでも言ってね。だって私、徹くんの彼女なんだから」
ちょっと愛が重い。




