第30話 ごほうび
守山さんには黒ジャージを着てもらいました。
これはこれで特別でいいものだな、と感じました、まる。
そのジャージは俺の着ていたものなので申し訳なく思う一方で、妙にどきどきしてしまう。彼シャツとかと同じ感じなんだろう。彼氏でもないし、シャツでもなくジャージだけど。
俺も守山さんもお互い、リビングの別のソファに座って話すことになる。
「ごめんね、洗って返すから」
「いや別に、捨てるか燃やすかしてくれればいいよ」
「捨てないし燃やさないよ!?」
叫んだ後、守山さんはため息をつく。
「このジャージ、ちなみにどこの?」
「はまむら」
「そっか、さすがはまむらだね」
素材を確かめるように、守山さんが袖を口元に持っていく。
洗濯してあるとはいっても、俺の着ていた服なので、その、何だ、うれしいやら恥ずかしいやら、だ。
このまま見ていると危ういため、
「守山さん、で、事情を、説明してくれるかな」
「あ、うん。まず、メッセの件なんだけど」
俺は、アンジュという生意気正論マシーン後輩と一緒にいた。
「あれは、まず、キッカ、あ、杵島さん、ってわかる?」
「クラスメイトだし、守山さんの友だち、だよな」
「そうそう。その子から、図書館で、遠野くんと眼鏡の女の子が一緒にいたんだけど、ってメッセが来て」
あ。
そういえば、図書館の入り口近くで、守山さんの友だちである杵島さんと、ぶつかりかけた。
その際、じろじろと見られたものだったが、なるほど。
だから、守山さんにも知られてしまったのだ。
「私も詳しくはわからないけど誰なんだろう、って思って、メッセで聞いたの」
「何か、怒った感じだったのは?」
「や、やだなあ。別に怒ってないって。ちょっとそっけなかったかもだけど」
「じゃあ、アンジュのことも何も問題なかったんだな。いや、よかったよかっ――」
「はい?」
え?
何か今、守山さんの目から一瞬、光が消えたような気がした。
「違う違う、大丈夫、私。うん、大丈夫」
晴れやかな笑顔になる守山さんは、さっきのが見間違いだったと思うほど爽やかだった。
「下の名前、だよね」
「うん、アンジュっていうんだ。目代杏樹」
「私だけ、下の名前で呼ばれてない。私も呼んでほしいな」
めぐむ、アンジュ、守山さん。
最近二言以上話した女子の中で、確かに守山さんだけ苗字呼びだった。
「けど、なんというか、おこがましいというか恥ずかしいというか」
「二人きり、なんだ、よ?」
すぐさま、守山さんは自分の顔を両手で覆う。
「自分で言ってて恥ずかしくならないでもらえますか守山さん」
「ごめんなさい」
守山さんの言う通りではある。
気兼ねする必要があるとすれば、守山さんに対してだけだ。
あとは自分の恥ずかしさを越えて、呼べばいい。
「り、莉世、様?」
「なんで様付けしたの」
守山さんの声音が冷え切っていた。
「莉世、殿」
「武将じゃないんだよ」
「り、り、り」
「徹くん」
片目を閉じて、守山さんは澄ました表情で俺の名を呼ぶ。
「ほら、これでいい? おあいこ」
「……莉世さん」
ソファの背もたれに抱きつくような状態でしか、守山さんの名前を呼べなかった。
めぐむもアンジュも、下の名前で呼ぶのはまるで平気だったのに。
違いがあるとすれば、異性として意識しているということ。
それが唯一にして最大の違いだった。
「それで、目代さんのことが、徹くんは好きなの?」
「好きか嫌いかでいえば好き、だと思う。面白いやつだし」
話していると打てば響く感じがして、楽しい。
「その、……付き合いたいとか、思ってるの?」
「いいや全然?」
頭のいい人が考えることはよくわからないというけれど。
守山さんの今回の言動は、その典型といえた。
「そう、そっか、ふーん、ふーん!」
何度もうなずく守山さん。
とりあえず機嫌はよさそうだった。
「じゃあどうして、勉強を、一年生に教わるなんてことに?」
「いや、あっちが教えてくれるっていうから」
「ふーん……」
あ、機嫌メーターが明らかに下がった。
「いや俺、頭悪いし、一年の範囲でさえ怪しいし。アンジュは眼鏡だし」
「徹くんの頭の悪さはよくわかりました」
眼鏡かけようかな、と守山さんがぽそりと呟く。
「じゃあ、私でもいいよね? むしろ私を頼ってくれていいんだよ、いいえ頼るべき。同級生だし、徹くんに教えられるよ」
「いや、それはムリだと思うなあ」
「やっぱり下心があって勉強を教わろうとしてるんだ」
「さすが守山さん、お見通し、だな」
俺が感心すると、守山さんがすっと立ち上がり、ジャージのジッパーを下ろし始めた。
「守山さん!?」
「バカな徹くんを、これから、教育しようかと。下心ありきで勉強教えてもらうとか、ほんと、ほんと、本当に、それに、もう苗字呼びに……」
「ごめん、り、守山さん! 守山さんに下心あるとか、これからなくしていくので、怒らないでもらえると」
守山さんのジッパーを下ろす手が止まった。
「……アンジュって子に下心があるんじゃないの?」
「ほんとごめんなさい。下心で勉強していて、ほんとすいません」
「だから! 下心あるのは、アンジュって子にじゃないの?」
「守山さんに、だけど」
「ちょっと、頬っぺたつねらせてもらっていい?」
了解をする前に、守山さんに両の頬っぺたを左右へ引っ張られた。
いひゃい。
「徹くんは、本当に、私のことを振り回してくれるよね」
「下心抱いてて申し訳ない……」
「それ自体は構わないんだけど」
「構わないんですか……?」
「私に、下心あることが、どうして後輩に勉強を教わることに繋がるの?」
「いや、だから、友だちとして、このままじゃ守山さんに申し訳なくて」
「別に徹くんと付き合ってることで何か言われたって、私は傷つかない、って言ったよね」
「俺が嫌なんだ」
自分を守るように、俺は体育座りをして頭を抱える。
「守山さんに、ふさわしくない」
「徹くんが、そんなだから私は」
その先を、守山さんは口にしなかった。
「わかった。徹くんの気持ちはわかった。私のために勉強をがんばってくれようとしてたんだね」
ジャージのジッパーは上げつつ、守山さんは話す。
「じゃあ、ごほうび、用意しておかないとね」
それは悪魔の誘いだったと思う。
「ごほうび、何がいい?」




