第2話 守山さんはビッチじゃない?
守山さんに、消しゴムを拾ってもらった。
手渡しする際に俺の手に触れてきた。
ゆえに守山さんはビッチである。
そのことを悪友である緋村めぐむに話してみた。
――緋村めぐむ。
性別は女であっても、俺はこいつを女だとは思っていない。
男勝りでがさつで口が悪いし、デリカシーがまるでないのだ。
俺の家にゲームしにきた彼女は、ソファでだらしなく寝そべりながら、
「ば――――――――っかじゃねーの。このドーテー」
罵倒してきた。
罵倒自体はともかく、主張が否定されたのが想定外で、俺はおろおろとしてしまう。
「え、いや、だって」
「なーに勘違いしてんの? あの子がミジンコにも優しいってだけでしょ」
「童貞は認めるけけどミジンコ扱いは謝ってもらいたい」
「あんたに謝れって? ヤだ」
「違う! ミジンコさんに謝れ!」
ミジンコさんはなあ、世界中どこにでもいて、生態系の土台になってるし、科学の研究にもたくさん役立っているんだ。
そのミジンコさんを俺と同列に扱うとは、ふざけている。
「そっちかい」
じゃあさ、とめぐむは話を続ける。
「いつフラれにいくの?」
めぐむの頭では、俺が守山に告白してフラれることが確定らしい。
やれやれ、とんだ妄想だ。
妄想でなければ、とんだ勘違いをしている。
「お前の中でどんだけ話が進んでんの? やめろよ、俺が守山さんに声かけれるとでも思ってるのか? 俺のことを過大評価しすぎだと思う。照れる」
「あんたのネガティヴ芸は今に始まったことじゃないけどさ、ほら、なんていうの、キモい」
「そんなことはとっくに知ってる。それより守山さんはビッチだ、間違いない」
俺の力説もむなしく、めぐむは投げやりな態度のままだった。
「今のあんたは、短いスカートを履いて誘ってるんだ、とか女子高生に抜かすハゲデブ加齢臭三日風呂入っていない親父より気持ち悪い」
「そこまで気持ち悪いのは知ってるけどさ」
「いや嘘だから、っていうかどんだけ今ネガティヴ入ってんの!?」
「守山さんに消しゴム拾ってもらった後、『調子乗ってんじゃねーぞ蛆虫』、と」
「あー」
「そんな陰口を言われた気がする」
「あははははは! 気がしただけでしょ!」
冗談だと受け取ったのか何なのか、めぐむはバカ笑いした。
守山とやはり大違いだ。
この笑い方はもはや猿、猿だ。女でも人間でもなく猿。
「もー、おかし。やっぱ一日一トオルね」
何だその一日一善みたいなの。
まあ実際、めぐむ以外に友達がいないので、俺と話すだけでめぐむは善行を積んでいた。
「いやだから、なんで気持ち悪いって話になる?」
「えー? いやだってそうでしょ。あんたが女だとして、ね」
「お前が女だというくらいにありえない仮定だけど、まあ話を進めてくれ」
生物学上めぐむは女かもしれないが、文化的に認められない。
「あんたいつか沈めるから。――まああんたが女だとして考えてみなさいよ。ただのクラスメイトにちょっと親切にしただけでビッチ扱い。ふざけんな、って話よ。そんなつもりはないし、そう受け取られるとかありえないキモい」
「ちょっと親切っていうレベルなのか?」
「そりゃそうでしょ。消しゴム拾ってあげただけ」
「俺もただのクラスメイトならそう考えるけど、そのたとえ話には問題がある」
「は? 何?」
「キモいミジンコの足元にも及ばないクラスメイトに、ちょっと親切にするか?」
「そりゃ、あの子が聖人ってだけでしょ。あたしみたいにね」
守山さんが聖人、なるほど納得だ。
ただ、めぐむみたいに、だと?
「え? お前が聖人? いやー、ないない。あ、ジョークか。最高、笑いの頂点目指せるぞ」
「殺す! 今すぐ殺す!」
隣のソファに座っていた俺は、めぐむに圧し掛かられた。
抵抗むなしく、めぐむの両手が俺の首にかかる。
「やめろ! 俺がいくら最底辺だって人権はたぶんあるんだぞ!」
「訂正しなさい、『めぐむ様はかわいくてかっこいい聖女様です』と!」
「はあ? ――あ、ごめんなさい嘘めぐむ様超聖女! 超かわいいしかっこいい!」
聞き返した俺に対し、めぐむが鬼の形相を見せたのですぐ言う通りにする。
するとめぐむはやめてくれたのだが、吐きそうな顔で口元を押さえつつ、
「ごめん、あんたに言われてもキモいだけだった」
「じゃあはじめから言わせるなよ!」
ともあれ、結果的に首絞めはゆるんで解放された。
ふー、まったく。
これがめぐむ相手でなければ女子に圧し掛かられたとかありがたいんだけど、めぐむだからなあ。
小学生の頃から変わり映えのしない体型を見て、そっとため息をついた。
「今なんでため息ついた?」
「息が自由にできる素晴らしさを感じるために」
ふうん、とめぐむは俺の言い訳で納得してくれたらしかった。
「だから、つまり、守山さんがあたし並みに聖女だから、キモくてどうしようもないあんたにも、ただのクラスメイトにするのと同じくらい親切にした。ここまではわかる?」
「ビッチじゃなかったのか」
「違うっての。まあ、だから、これからも勘違いしないようにね」
「そっか、ああ、すげえ納得した。ありがとうめぐむ。おかげでさらに最低なやつにならずに済んだ」
「べ、べっつにー。あんたにお礼言われてもうれしくもないし」
とは言いつつも、めぐむの口はにやけかかっていた。
顔をそらしてごまかそうとしても、付き合いはそれなりにあるから気づく。
「ほんと感謝してる。俺みたいなやつと話してくれるの、うちの母親以外にお前しかいないからな」
「はっ、さびしいやつ。そうね、かわいそうだから、我慢して話を聞いてあげるからいつでも相談に来れば?」
「うん、ありがとう。めぐむ、それでな」
「な、何」
真っ直ぐめぐむのことを見つめると、めぐむは自分の二の腕をつかんで身構える。
「牛乳がな、いいらしい。あとキャベツ。鶏肉もいいらしいな」
すべて発育にいい、というものだ。
さっきソファで圧し掛かられたときからずっと、考えていたのだ。
するとめぐむは素敵な笑顔を浮かべた。
よかった、俺のアドバイスは喜んでもらえた、というのも束の間。
めぐむが窓際の花瓶を指に引っ掛けて、俺のほうに近寄ってくる。
そのプレッシャーは間違いなく殺気と呼ばれるもので、
「来世はあんたがミジンコになれるよう、祈っておいてあげる」
そこから先、必死に逃げ回ったことしか記憶にない。
生きてるって素晴らしい。