表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/79

第17話 一番関わりたくない人が、家にやってくる


 コンビニに買出しに出なければよかった。


 明日香さんに会えばどうしても、今日の保健室でのかっこ悪い自分を思い出さずにはいられない。


 しかし反対に明日香さんのほうはすっかり俺を忘れているようだった。


 一日と経ってないというのに。


「遠野ですよ。守山さんの……知り合いの」


「あーあー! あ?」


 あ、覚えてないなこの人。


 この場合、覚えられていないほうがいいのか。


「じゃ、俺はこれで」


 立ち去ろうとすると、今度は両手で腕をつかまれた。


「あの、何でしょうか」


「きみのウチで、あったまりたいなー、と」


「知らない人についてっちゃだめって、お父さんに教わりませんでした?」


「きみのほうはオレを知ってんだろ? なら問題なし」


 ぶはー、と明日香さんの酒臭い息が吐きかけられる。


 彼女の足元のほうを見ると、ビール缶が転がっていた。


 酔っ払い、というわけだ。

 道理で言動が大人として怪しいわけだ。


 いやもともと怪しい人ではあったけど。

 本当に守山さんと同じ家系なんだろうか。苗字が同じなだけの赤の他人では。


「えーと、すいません、俺の家ダンボールでできてるんで」


「それでもいい。きみと一緒なら」


「放してください、そんな深い関係じゃないはずなんですが」


 掴んでくる手を振り払うことができない。


 やっぱり握力強いなこの人。

 俺との握力勝負に軽々勝っただけはあった。


「ひどい! オレを捨てるっての!? つい三時間前はベッドのあるとこであんなに盛り上がってたのに!」


 言い方な。


 表現に語弊こそあっても、嘘とは言えない主張だった。

 保健室で俺が明日香さんにちょっと激怒しただけなのだが物は言いようだ。


 ていうか、


「やっぱ覚えてたなおかしいと思いましたよ。俺にはわかります。あなた絶対めんどくさい人だ!」


「やっぱり捨てられるんだ、いや、捨てないでー!」


 振り払うことができず、それどころか明日香さんは腰に抱きついてくる。


「はーなーせー!」


 何だこの人、不自然に首の筋肉が鍛えられている。


 明日香さんの頭を押さえて引きはがそうとするも、首の筋肉がすごくて、頭をのけぞらせることさえできない。


 ダメな人なのに地味に肉体スペックが高い。


「いやだ! ウチに連れてってくれるって言うまで離さないぞ!」


「くっそ声かけるんじゃなかった、放してくださいよ大人でしょうが!」


「体は大人、頭脳は子ども、それがオレだ!」


「もうやだこの人、は、な、せええええええええ!」


「はなさないいいいいいいいいいいいい! 見捨てられてたまるか! 車はない、金もない、そしてここは一体どこなのかわからない!」


 明日香さんの頭を押して離れさせようとしつつ、俺は後ずさる。


 しかし背はあちらのほうが高いし、こう組みつかれては力を入れづらい。


 強いて言うなら明日香さんには大人として恥を知っていてもらって、なりふり構ってほしかったが、恥も外聞もお金もない子どもそのものだった。


 なんとか引き剥がそうと努力していたのだが。


「うっ」


 明日香さんの頬が目一杯膨らみ、すえた臭いがかすかに漂ってきた。


 酔っ払い+激しい運動+唐突に口を膨らませる=?


「おえっ」


 俺のズボンに、明日香さんの胃の中身がぶちまけられる。


 独特の嫌な臭いが、一気に不快感を与えにくる。


「ふー」


 そして吐いてすっきりしたらしい明日香さんの笑顔が、俺に追い討ちをかけてきていた。


「やってくれましたね……」


「てへっ」


 本日二度目の殺意が芽生えた。


 同じ人に同じ日、二度も殺意を抱いたのは初めてだ。

 ゲロの臭いでげんなりしてなければ、一発かましていたかもしれない。


 しかしこれで、さすがに明日香さんも腰にしがみついてこなかった。


 それどころか、ちょっと俺から距離を取る。


 あんたのゲロだぞ。


 やるせなくなるものの、苦難の連続を経験して俺の脳みそが冴え渡った。


 ――全力で逃げる。


「……え? ああっ!」


 十秒ほど遅れて、明日香さんは気づいたらしい。

 彼女が俺から離れた以上、俺は簡単に逃げることができる。


 しかしただ帰るのでは、後ろをついてきてしまう。


 ゆえに、夜の住宅街を、全力で走って逃げるのだ。


 俺の行動の意図に気づくのに十秒、追いかけると決断するのにさらに五秒というところか。


 実に十五秒、これだけあればおよそ百メートル、走れる。

 しかも自宅の近所、地の利は圧倒的に俺にあった。


 隠れつつ、しかし素早く、回り道をして自宅を目指す。


 途中までは、これがうまくいったのだ。


「見つけたぜ、遠野くんよぉー」


 なん、だと。


 圧倒的な地の利が、俺にはあったはずだった。

 このあたりをよく知る人間でなければ通らないような細い道や裏道を通り、自宅を目指した。


 闇雲に探すことなく、明日香さんは道の途中で待ち構えていたようだ。


「どうしてここに、明日香さん、あなたがいられるんですか!」


 立ちはだかる明日香さんから、逃げられるか。


 いや、背中を向けた瞬間、捕まってしまう。

 たとえ捕まらなくても、もう振り切ることはできない。


 自慢じゃないが足は遅いほうだ。

 明日香さんの長い足と鍛えられた体にかかっては、勝ち目がない。

 酔っ払っていても、俺の腰に組み付いた機敏な動きをしたこともある。


 見つからなければ俺の勝ち。

 見つかったならば明日香さんの勝ち。


 そういう、戦いだったのだ。


「ここに俺が来る確信を得られたはずがない。さっき明日香さん、ここがどこだかわからないとさえ言ったじゃないですか」


「昔から、いろいろと敏感なほうなのさ」


 ちょん、と明日香さんは自分の鼻に触れる。


「確実にオレを出し抜こうとしたのが仇になったなー。回り道してなければ、確実でなくても勝ち目はあった」


「臭い……? まさか!」


「風で漂ってくる、そのくせーくせーゲロの臭い……風向きと臭いの強さで、絞り込めたぜ、きみのいるだろう場所がなぁ!」


 勝ち誇っているところ水を差すようだが、一つだけ言いたい。


 そのくせーくせーゲロのことなんだけど。


 あなたが俺に吐きかけたものなんだよなあ……。


「さ、行こうじゃないか。遠野くんのダンボールハウスに」


「本気で信じてたんですか」


 それとも酔っ払っているのか。


 ともあれ、ズボンについたゲロがぷんぷん臭ってきている。


 明日香さんには本当に、どこか遠い場所で幸せになってほしい。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ