第13話 目を閉じてと言われたら
俺が原因で、守山さんを過呼吸にしてしまった。
その罪悪感で、カーテンを握る手は重かったけれど。
いつまでも待たせるわけにはいかない。
意を決して、保健室のカーテンの向こう側、男子禁制の女子用ベッドスペースへと、足を踏み入れる。
ベッドで守山さんは横たわったままだった。
まだ顔色が悪いし、表情も辛そうだ。
「守山さん、大丈夫なのか? 家の人には連絡ついたってのは聞いた?」
「うん、迎えに来てくれるって。大したことないのにね」
「過呼吸はすぐ治るけど、またすぐになりやすいからな。ひとりで帰すのはそりゃ心配だろ」
「先生も言ってたね」
「ところで、俺はここにいて、いいのかな」
辛そうな顔をしている守山さんが見ていられず、俺は顔を手で覆う。
「守山さんをこんな目に遭わせておいて、俺は、俺は……っ!」
「過呼吸になっただけで、ケガとか入院とかしたわけじゃないよ私」
「この責任は、必ず取るから」
「過呼吸ひとつでどこまで深刻になれるの遠野くんは」
笑おうとしたようだったが、守山さんは咳き込むだけだった。
まだ、過呼吸の影響が残っているのかもしれない。
「待っててくれ、すぐ先生を」
俺がカーテンの向こう側に行こうとすると、守山さんに手を引かれた。
彼女は変わらず、辛そうだったけれど、慈愛に満ちてもいた。
「いいから。ここにいて」
「え、と、うん、わかった」
弱々しく握ってくる手を、振り払えるはずもなかった。
その場にしゃがみこんで、できるだけ守山さんと目線の高さを合わせる。
「あのね、遠野くんが責任を感じる必要はないの」
「いいんだ、気を遣わなくて。何かしてほしいことがあれば何でもするぞ」
「あはは、すごく魅力的だけど……じゃあ、話をちゃんと聞いて」
「聞くよ、いくらでも」
ありがとう、と守山さんは体を起こす。
先ほどまで寝ながら喋っていたから、ちょっと心配になった。
けれどあくまで彼女はいいからと、俺を止めた。
「私は、遠野くんに嘘をついたの」
「病気のお父さんがいて入院費が必要だって?」
「いつ私がそんなこと言ったかな? 真面目に聞いてってば」
「ごめん、ただ、嘘って、守山さんが?」
ショック、だった。
守山さんだって、いくら聖女だからといって、人間だ。
神格化して、人間でないかのように扱うのはあんまりにもひどい。
人間だったら、嘘もつく。
けれど、俺は結局、守山さんを聖女と見ていた。
「うん。今も、嘘をついている」
だからね、と守山さんは自分の胸に手を当てる。
まるで自分の胸の内を自ら聞くように。
そうしなければならない偽りと葛藤を、抱えているように。
「私が過呼吸になったのは、それが理由」
「俺がキモかったからじゃなかったのか……!」
これは衝撃にして驚愕の事実だった。
「だから、それが理由じゃなくって。ただ、私が悪いの」
しかしそうなると、話がわからなくなってくる。
「その嘘の中身とか、嘘がどう守山さんを追い詰めたのか、聞いてもいいか?」
「ごめんなさい。言えません」
「いや、いいんだ。きっとすごく大事なことだろうし。守山さんが正しい」
「遠野くんが、そんなだから、私は」
切なそうな顔をする守山さんに、俺は胸が締め付けられた。
違うんだ、守山さん。
きみにそんな顔をしてほしいんじゃない。
「守山さんは、俺がキモいから、そんな吐きそうな蔑む顔を?」
「し・て・ま・せ・ん! ――ゴホッ」
大声でツッコませてしまった。
けど、さっきの顔よりは怒っていたり不機嫌だったりするほうがいい。
「わざとですか? わざとだよね? 人が真剣に話してるのに」
「守山さんは今、俺に嘘を告白した。そういうことだろ?」
ゆっくり、守山さんはうなずいてくれた。
「そう。嫌ってくれて、見下してくれて……やっぱり、勘弁してくれるかな」
途中でへたれる守山さんもかわいいと思います。
「もちろん、許す、ってのは違うか。受け入れる」
「もう、遠野くんは、本当に」
「『吐き気がするやつだよね』?」
「そんなに私を悪いやつにしたい?」
俺の中ではとっくに守山さんは悪い女の子だ。
底辺にいる俺の生活に、砂漠のオアシスのように潤いを与えてくれる。
美化委員のときはクラスメイトにするみたいに世間話をしてくれる。
うれしかったんだ、本当に。
本当に、俺なんかが勘違いしそうになるほど、悪い女の子だ。
「どんな嘘であれ、俺は守山さんを嫌いにならない。嘘をつきたいならどんどんついてくれ。俺はそれを、受け入れる」
「ほんと……最低だよね、遠野くんは」
言われ慣れた言葉だった。
が、言葉はまったく同じでも、受け取る俺の気持ちはまるで違った。
最低とは言いつつも、そこにまったく守山さんの本心はない。
そのくらいのことは、頭の悪い俺にも、すぐわかった。
「女たらし……スケコマシ? ジゴロ?」
「そんなやつが近くにいるのか? 別に妬ましいとかじゃないけど抹殺しないと! どこだ、どこにいるんだ守山さん!」
守山さんの指が、俺のいる方向を指差してくる。
「あっちにいるんだな!? 北へ!?」
「だから、遠野くんが、女たらしだなって」
このとき、俺はとんでもなく不可思議な顔をしていたと思う。
「守山さん、病院、行こうか。運ばれるとき頭を打ったってことも」
「まともだよ! 頭は大丈夫!」
「俺でよければいつでも相談に乗るから」
「はいはい、ありがとうねー」
息をついて、守山さんは薄く微笑んだ。
「遠野くんにどんな嘘をついているのかは言えない。それでも、本当にいい?」
「どんとこい」
「……うん」
沈黙の時間が、少しあった。
授業発表のとき頭が真っ白になったような、気まずい沈黙ではない。
気恥ずかしいような、けど心地いいような、穏やかな沈黙だ。
「ね、遠野くん」
守山さんがささやくような声で話す。
これが妙に、色気にあふれていた。
保健室、ベッド、そして先ほどまで憔悴していた守山さん。
清楚さとエロさを兼ね備えている。
「目、閉じてくれる?」
どゆこと。
え、どういうことなんです守山さん。
目を閉じたらどうなるの俺。
「ど、どどどどいうことでしょうか」
「いいから、ね。目を閉じて」
疲労の残った表情で、守山さんは小首を傾げる。
逆らえない。
目を閉じ、て――、




