第一話 黒の少女と茨の契約
――今日もつまらない一日だったな?
高校に入学して数ヶ月が経った今でも友人という友人がいない少年、渡良瀬錬磨は、いつものようにたった一人で帰路に就いてた。
だがつまらないとは言えど、下校途中、彼は複数人の不良に絡まれ、その全員を相手にし、そして一人残らず返り討ちにし、つい先程、丁度近くにあったゴミ捨て場に文字通り放置してきたところである。
――それにしても、あいつら本当に弱かったな? だって僕、ハッキリ言えばほんの少しも本気なんて出してないのに。よくもまぁあれだけの見た目詐欺が出来るもんだよ。
彼は表面だけを見れば控えめだが、しかし実は内面的にはかなり気が強く、自分の方からは決して手は出さない代わりに、先程の様にいざ自分が相手から危険な目に遭わされそうになった場合、その時初めて本領を発揮するという性格の為、今さっきの不良の様に見た目だけで彼を判断した相手は今までの中でも幾人も痛い目を見ているのだ。
――コンビニでも寄るか。
特にやりたい事もない彼は、適当に買い物をして帰宅する事にした。しかしそこで、ふと、先程の事についてある事を思い出した。
――そういえば、さっき僕があの不良共を潰してそこから離れた時、何となくだけど、その隅っこら辺に女の子っぽい何か? があったような気が……。
気のせい、だよね? そうは思いつつも、何となく変な汗が額から滲み、彼は寒気を覚えた。
――そういえば、今って夏だよね? まさかこの時季定番の『アレ』。とか言わないよね?
彼は確かに気が強いうえに喧嘩自体は嫌いではない。しかしその代わり、そういった心霊などのオカルト系は昔から大の苦手で、そういった番組や雑誌は毛嫌いしているのだ。
――いくら何でも勘弁してよ。今晩から眠れなくなるじゃないか。一体どうしてくれるんだよ?
まさに後悔先に立たず。運が悪い事に先程の事を思い出してしまったせいでそれこそ後悔する羽目になってしまった彼は、先程までの強気はどこかに消え、きょろきょろと辺りを見回している。
――まさかこの僕がこんなふうに怯える羽目になるなんて。クソ! それもこれも全部あいつらのせいなんだ。あいつらがあんな所で僕に喧嘩なんか売ってくるからいけないんだ。
仕方なく予定を変更し、彼はそのまま家に向かう事にした。
――せめて家に帰れば少しは恐くなくなるはずだもんね?
自宅に到着し、念の為に辺りを確認する。
――よし、誰もいないな?
一先ず安堵の溜息をつき、玄関に入って靴を脱ぎ、台所へ向かい、好物の菓子と飲み物を手に二階の自室へと向かった。
――ひょっとして、やっぱり僕の記憶違いだったのかな?
自室の前まで足を運んでからそんな事を思い、そうだよね? と自分に言い聞かせながら気分を入れ替えつつ部屋の扉を開けようとした時、
ゾワッ。
「な、何だ今の?」
唐突に何か嫌な気配を感じた彼は、まるで弾かれる様に扉から手を放し、そんなふうに怪訝に思った。
――まさか僕の部屋に誰かいる……なんて言わないよね?
自分にそう思いながら大きく深呼吸をし、再び扉に手を掛け、部屋に入った。すると、
「え」
そこには一人の少女がいた。彼女は黒く長い髪と顔面の右半分を覆う血の滲んだ黄ばんだ包帯、そして漆黒のドレスが特徴的で、もう片方の目には精気が感じられず、まるで人形か何かの様に思えた。いや、むしろ……、
――実は本物の人形、だったりして?
それは確かに不気味だが、しかしそれとは裏腹に、それはどこか愛らしさすらあり、見方次第では本当の少女の様にも捉えられる。そんなふうに思いつつ、彼はしばしその場に棒立ちになっており、気づいた頃には、
「いつまでそんな場所に立っているの?」
何者かの声が聴こえていた。彼はもう一度「え」と呟き、やっと我に返るが、しかしこの場所にいるのは彼と、強いて言えばその少女人形だけである。彼は無意味とは知りつつも先程の様にその場を見回し、やはり誰もいない事を確認してから、今度こそ聞き間違いだろうと判断し、部屋の中へと足を踏み入れ……
ようとして、そこでやっと気づいた。
その『人物』が、彼のすぐ『目の前にいる』事に。
「……やっぱり、キミが僕に話しかけてきたの?」
そう、『彼の目の前』、彼の自室のベッドに何故か腰掛けていたその少女人形が彼に口を利いていた。それもごく当たり前のように、彼を見つめながら。
「えっと、キミ、人形、だよね?」
「そうよ?」
「それじゃあ、どうして話せるの?」
「私が《魔導人形》だから」
「まどう?」
「魔力を有し、尚且つその魔力をを用いて言動をとる者、それがこの私、《魔導人形》、アリス・ド・カオス。数百年前、ある人形師の手によって生み出され、ある人物によってこの様な目に遭った存在。私が貴方と出会ったのは、貴方にある素質があったから。その証拠に、貴方の左腕にはその印が刻まれているはず」
アリスと名乗る人形は彼にそう言って腕を確認するように促した。彼は半信半疑にその部分を確認した。するとそこには確かに黒い何かの模様がついていた。
「これがその印なの?」
「そう、それはその名の通り《契約の茨》と呼ばれていて、その印を刻まれた貴方は私と契約し、これから先、いくつもの世界の中で、私のパーツである、《至高の乙女の右眼》を探して貰う事になる。だけど貴方はその中で、恐らく幾度の困難に襲われる事になると思うわ? だけど私は貴方にしか頼る事が出来ない。何故なら貴方が選ばれた存在だから」
半ば強引に話を進められ、彼は少々苛立ちを覚え始めていた。
――少し勝手が過ぎるよね? この子。
「じゃあさ、例えばだけど、もしも僕が断ったらどうするつもりなの?」
「その時は……」
そこでアリスは口を閉じ、再び彼をじっと見つめた。すると、
「うっ!」
唐突に彼の左腕に鈍い痛みが走った。まるで切れ味の悪い刃物か何かでじわじわと切り付けられるような感覚である。
――って、そんな体験は一度もないけどさぁ!
それでもその痛みが余りにも酷い為、彼は真面目に自分の左腕をどうにかしたいと思い始めていた。
「つらい? つらいでしょ? つらいよね? だったら大人しく私と契約してよ。そうすれば、その痛みからはすぐに解放されるから。だからお願い、私と契約して」
しつこいんだよ、誰がお前なんかと! そう怒鳴りつけようとした時、
――な、何だ?
唐突に彼を激しい目眩が襲い、その意識が徐々に薄れていくのが解った。
――本当に、今日は嫌な日だよ、全く。
彼が目醒めると、彼の向こうに二人の少女がいた。彼女達は何やら揉めており、そのうちの一人は両膝をつき、もう一人は顔――正確には目元――を手で押さえている。そしてその少女が両膝をついた少女を怒鳴りつけ、どこかへと行ってしまった。彼はその、両膝をついた方の少女が気になり、気づかれないように近づいてみた。すると、
――なっ!
少女の《眼》が片方だけなくなっていた。そしてそこからは大量の血が溢れ出し、涙を流していた。しかし、最早その少女は無表情だ。
――まさかこの子が……嘘だろ?
その衣装と髪型、そして顔つきが、先程彼と部屋で対話したアリスと同一人物としか思えなかった。
「……アリス……ちゃん……?」
恐る恐る声を掛けてみる。だが彼女は彼に気づいていない様子で、空を仰いだまま、ただ黙ったままその場に膝立ちになっている。
――これって、かなり拙いんじゃ?
本来は他人事だが、しかしそれでも先程の事もあり、彼は彼女に手を差し伸べようとした。
「アリスちゃん!」
だが、彼のその手は彼女をすり抜け、彼はその場に倒れてしまった。
――マジかよ。こんなの、絶対におかしいよ!
その時、再び先程のような目眩が彼を襲い、今度はすぐに目が醒めた。
「……アリスちゃん……」
「契約、出来る?」
「その前に、キミに一つ訊いておきたい事があるんだ。いいよね?」
「何?」
「理由は何となく解った。でもそうじゃなくて、どうしてその相手が僕なの? それと、本当に僕なんかでいいの?」
「理由は説明したわ? そしていいかどうかではなく、貴方が選ばれたからその権利がある。ただそれだけよ」
「……そう」
彼はもう一度その茨の紋章を見つめた。
――もう、やるしかないのかな?
そう自分に問い掛け、彼は彼女を見つめた。
「……」
彼女のその卑怯なまでに整った、醜くも美しい面持ちは、ある意味彼の様に心の捻じ曲がった人間にだけしか好意をもたれないだろう。そんな事を思いながら、彼は彼女にこう質問した。
「例えばだけど、僕が契約を受け入れたとして、それじゃあそれはどうやって結ぶの?」
彼は腹を括り、抵抗する事を諦め、彼女にそう質問した。それに対して、彼女は彼に対して「来て」と言い、右手を彼に向けた。すると、まるで引き寄せられるかの様に彼の意識が彼女の方に向き、半ば勝手にその足が彼女の方に進んでいく。そして、
「こうするの」
彼女のすぐ目の前まで来た彼の首に両腕を絡め、ゆっくりと顔を近づけてきた。
――え?
《人形》にも関わらず、しかしそれでも彼女は彼に対してその甘やかな吐息をかけ、彼は性的興奮を覚えていた。
――この子、本当に人形なの? ただの怪我した女の子なんじゃないの? まぁそれはそれで困るけど。
そんな冗談を言っていなければ神経は愚か、頭も下半身もどうにかなりそうな勢いだった。しかしそんな事はお構いなしに、仕舞いに彼女は彼の唇を奪い、そして気が済んだのだろう、やっと彼を解放した。
「これでお仕舞い」
それを聞いて、彼は火照る顔と身体を落ち着ける為にその場に座り、胡坐を組んだ。
「でも、今更だけど一つだけ条件があるよ?」
「何?」
そこで彼は一度口を閉じ、先程見たあの夢のようなものを思い出した。
――もしもあれが本当にアリスちゃんなら……、
「……無理だけは……しないでね?」
「……ふふ」
「な、何さ?」
「別に、何でもないわ?」
よく見ると、アリスはほんのりと微笑んでいたように彼には見えた。
「ねぇ、アリスちゃん?」
「何?」
「……本当に、僕でいいんだね?」
「しつこい人間は嫌いよ?」
「……ごめん」
この出会いが全ての因果となり、彼らの旅は始まった。その旅は、或いは彼の命に関る恐れもあるだろうし、また或いは大きな選択を迫られるかもしれない。そしてまた或いは、取り返しのつかない危機に直面する場合もあるだろう。それでも、彼は決意した。
――僕がアリスちゃんを守ってみせる。
その想いを胸に、彼はアリスの手を取り、窓の外へ飛び出した……。