驚きの対策 千恵編
どんな対策が取られるのでしょう。
弟がおかしな人間を拾ってきた。
お父さんと弟が仕組んだ手の込んだエイプリルフールの子供だましだと、最初は思っていた。けれどどうも違うようだ。ケンジェルがお風呂やトイレにいちいち驚いている様子を見ると、どうも本当に異世界からやってきたらしい。でも異世界ではなくて、文明が発達してないどこかの外国かもしれないが・・。
だって信じられる?魔法だなんて! うちの家族全員で、稀代の手品師にころりと騙されている可能性もまだあるよね。うちは揃って皆お人好しなんだから・・。でも、かりに本当の事だったら気の毒だ。まあ、とりあえず人を騙す側の人間になるより騙される側の人間でいたほうがいいよね。と思い協力することにした。
ケンジェルが朝食に起きて来た。お母さんがお父さんに最近買ってきたばかりの服を貸したらしく、映画の衣装のまま逃げ出してきた俳優に見えた昨夜とは違って、その辺りを歩いているただのちょっとイケてる外人さんに見える。186センチの身長のお父さんの服が、そう身の丈も余らずに着ることができているようなのでケンジェルも身長が180センチぐらいはあるのだろう。顔は15歳と本人が言っているようにまだ子供っぽさがある。
「あら、丁度良かったわね。孝ちゃんには色合いが若過ぎるかなーとは思ってたんだけどユ〇クロのセール品で安かったからつい買っちゃったのよ。それは、貴方の服にしていいからね。今日、また服を買ってこなくちゃね。」
お母さんがそんなことを言ったので、ケンジェルの服を何とはなしに見ると・・・ジーパンの社会の窓が開いている。
「健一、ケンジェルにファスナーを上げるのを教えてなかったでしょ。」
小声で健一に指示する。
「ハハッ、ケンジェルちょっと来て。」
健一がケンジェルを隣の部屋に連れて行ってくれたので助かった。
朝から乙女が見るべきものではないものを見てしまった。お父さんや健一で慣れているとはいっても、家族ではない男の人が家の中にいるとどうも落ち着かない。
朝食は、ケンジェルに合わせたのか洋風だった。
目玉焼きにベーコン、サラダ、コーンスープ、パンに二種類のジャムとバター、牛乳、コーヒー等の飲み物だ。普通の朝食メニューだったが、ケンジェルはいやに感激していた。特に甘いものが好きらしい。パンに恐る恐るジャムをぬっていたので、お父さんが「好きなだけぬればいいよ。」と言うと、たっぷりと大盛りにジャムをつけていた。大きな身体をして子供みたいだ。でもあんなにいい笑顔で食べられると、こちらもつられて特別に美味しいものを食べている気分になる。
うちの家族とケンジェルの五人で隣の高原のおじいちゃん家に行くことになった。あっちで、ケンジェル対策会議をするらしい。
玄関を出るとケンジェルが大声を出した。
「なんだっ。巨大昆虫かっ。いや魔獣だな。剣を取って来るっ!」
弟とお父さんが二人がかりでケンジェルを宥めている。・・・異世界から来たのか?それとも精神病院行きかどっちかだね。車を見ないでどうやって日本に来たんだろう・・・??やっぱり異世界から来たっていうのは本当なのかしら。
高原では、おじいちゃんとおばあちゃんともう一人、河合先生が来ていた。河合先生は、おじいちゃんの友達の息子さんが経営している訪問医療クリニック「ツバサ・ケア・クリニック」のお医者さんだ。南極に行ったことがあるらしく、うちのおじいちゃんが経営している嬉野学園グループにも先生に体験談の講演を頼んだことがあるそうだ。私と健一は何度かこの高原の家で河合先生にあったことがある。おじいちゃんが先生の結婚式に頼まれて仲人をしたのがご縁で、親しくお付き合いをしているようだ。
どうして河合先生が来ているのかと思っていたけれど、話を聞いてみてよくわかった。
ケンジェルの身元、というか身元がわからないことを証明するために公的な書類が必要なのだ。おじいちゃんもお母さんから頼まれて、朝から奔走していたようだ。
「これから病院で河合先生に書類を書いてもらう時に、ついでにケンジェルの健康診断をしてもらうでしょ。その後、健一と千恵が付き添ってケンジェルの服を買ってきてよ。それとぉ、何か参考書か問題集がいるわね。いくら招待留学生待遇と言っても、字も書けないんじゃ疑われるからね。」
そう言って、お母さんにお金を渡された。
なんとケンジェルは、私と同じ嬉野高校にこの春から通うことになったのだ。おじいちゃんが滅多に使わない経営者権限を使うことにしたらしい。
私としては、大人たちの判断に「無謀」という言葉を投げつけたい。車を魔獣と言って剣を取ろうとする人間だよ。それに、さっきケンジェルが「書ける。」と言って偉そうに書いた字だけど・・・・。
自分の名前「けんじぇる」、数字「1・2・3・4・5、いっぱい」だよっ。これをどうやってあと1週間で高校レベルまで仕込むわけ?
暫くは、言葉を勉強中ということでしゃべらせなければいい。座らせておくだけでいいと言ったって、ものには限度と言うものがあるでしょうに。
「学校というものを体験させてやりたいんだ。」と言って目をうるうるさせているお父さん。その世話をしなければいけなくなったのは、あなたの可愛い娘なんですけど・・。
対策って・・・なんとも驚きの対策だね。
◇◇◇
ツバサ・ケア・クリニックに河合先生の車で連れて行ってもらうことになった。ケンジェルが車に乗ろうとしないので、弟が「ケンジェル、これはこの世界の馬車だから。なにも怖くないからね。」と説明して、やっとケンジェルを車に押し込んだ。今、私と弟とでケンジェルを間に挟んで、三人で狭苦しく後部座席に収まっている。
車が走り出すと、「うわっ。」と叫び、窓から見えるすべての物に「なんだ、あれはっ?!」といちいち驚いている。ケンジェルが驚くものが多すぎて、私と弟の説明が追い付かない。河合先生は車を運転しながら、「いゃー、ケンジェルくんの目で見ると周りの日常が新鮮に見えていいねぇ。」とクスクス笑っている。この先生も南極に探検に行く人だけあって、こんなおかしな出来事でも楽し気に順応して、おじいちゃんの片棒を担いでいる。
病院に車に乗って行っただけで、私と弟とケンジェルはすっかり疲れてしまった。
「ここからは、驚きは胸の中にしまっておいてね。他人には、平気な顔を見せるように。」と河合先生に言われて、ケンジェルも声を出さないように頑張っていた。
しかし、看護士さんが血液検査のための注射器を持って来た時には、目に涙を浮かべて「これは、拷問か?俺はこれからこの女に殺されるのか?」と小声で私達に言ってきた。弟と二人がかりでなだめすかし、手や肩を握っていてあげる。
「あらあら、大きな身体をしていても駄目ねぇ。これからの留学中は、妹や弟さんになるんですから、お兄ちゃんは頑張らなくちゃいけませんよ。」と肝っ玉母さんのような看護士さんに言われてしまった。
注射器を睨みつけているケンジェルの顔は悲壮感に溢れていた。
・・・もし私が異世界に行って、いきなりこういう目にあったら・・・それは嫌だわ。
カルテ上、というか書類上、ケンジェルは外国人の記憶喪失状態、日常生活はなんとか送れるレベルなので高原のおじいちゃんが身元引受人になって、留学生として橘家で生活を送ることになった。ということになっている。名前がないと不便なので、仮の名前として「高原 賢二」生年月日は私と同じ歳ということで「20✖✖年4月2日生」ということにしたらしい。この金髪碧眼の顔でこの名前って、違和感ありまくりだよね。
なんとか病院での検診も済んで、歩いて岸蔵駅の側にある大型ショッピングモールにやって来た。ケンジェルは大声で驚いてはいけないと私と弟に言い聞かされたので、耳の近くで小声で質問をしてくる。
「今日は祭りなのか?」「こんなにたくさんの品物をどうやって売り切るんだ。」「どうしてあの人たちは箱に向かって五月蠅い音をさせているんだ。」(注:ゲームセンター)「なんで壁の絵が動くんだっ。」(注:映画館の待合にある予告映像)等々、疑問と質問は限りなく出て来る。
モールに入ってランチコーナーに歩いて行くだけで、世の中がこんなに不思議に満ちているとは思ってもみなかった。
「とにかくちょっと落ち着いて昼ご飯を食べよう。周りの景色は逃げて行かないからさ。」
「賛成。もう二時じゃん。病院って時間がかかるね。」
弟もお腹が空いているのだろう、直ぐにハンバーガーを買いに行った。私は、うどんを食べることにする。
「ケンジェルは何が食べたい?」
「俺は、ここで食べてもいいのか?・・金がないんだ。」
「大丈夫、お母さんから軍資金が出てるから。」
「軍資金? フミコは、軍に勤めてるのか?」
「・・違う違う。うちのお母さんは、スーパーにパートに行ってるの。」
「スーパー? パート?」
「ええっと、食べ物を作るための食材を売る店に、短い時間だけ働きに行ってるの。」
「わかった。でも、フミコやタカシの働いた金で、飲み食いするのは気が引けるな。」
・・・私は親のお金を使うことに疑問を持ったことも無かった。ケンジェルは親が早くに亡くなって両親ともいないらしい。小さい頃から自分の力で働いて食い扶持を稼いできたそうだ。
うちのお父さんが、せめて学校に一度でも通わせてやりたいと言った気持ちが、今わかった。
・・・反省。私も自分の事だけじゃなくて、ケンジェルや両親、祖父母のことを考えなきゃ・・だな。
「ケンジェルも私も健一もこの世界ではまだ子供なんだから、ここは大人たちに奢ってもらおう。大人になったら、お返しすればいいじゃない。」
「チエは、タカシに似たことを言うな。やっぱり親子だ。」
ケンジェルが嬉しそうに笑う。そうかな、私とお父さんって考え方が似てるの?健一とお父さんの方が似てるでしょ。
結局、ケンジェルは健一が余分に買ってきたハンバーガーと「あの甘い匂いのするものはなんだ?」と言ってドーナツも二個食べた。本当に甘いものが好きなようだ。
春休みとあってモールには学生の姿が多かったが、健一の友達に遠くから声を掛けられたぐらいで、ケンジェルを紹介する羽目にまでならなくてよかった。もうちょっとこの世界に慣れてからでないと、ケンジェルが何を言い出すかわからないので友達に紹介するのにはひやひやする。
昼ご飯の後、ケンジェルの服を洗い替えを考えて三セット買った。ここでは、弟がケンジェルと一緒に試着室に入って、着替えを手伝ってくれた。朝の驚き再びにならなくて助かった。まだ寒いこともあるので、セールになっていた上着も薄手と厚手の二着を買ったが、その軽さと温かさにケンジェルが驚愕していた。そして隣の本屋で、ケンジェルに小さい子向けの問題集を見せて、どれができそうか選んでもらう。
まずは、小学校入学準備の幼稚園の子が使うものから始めることにした。そうだよね。鉛筆に慣れていないのか、筆圧が弱い。まずは、線を書くところから始めたほうがいいだろう。ひらがな、カタカナ、そして簡単な漢字だね。高校入学までに、なんとか自分の名前だけでも漢字で読めて書けるようにしてあげたい。
私も腹を据えて頑張って教えてあげよう。
この後、思っていた通り電車にも恐れて驚愕するケンジェルをなんとか弟と二人がかりで乗り込ませ、切符の自動改札の所から離れないケンジェルを引っ張って家に連れて帰って来た。
夕食の前に、また三人で即席勉強会だ。さあ、鉛筆でひらがなを書くところから始めよう! と、ケンジェルに鉛筆を持たせてみたら、「鉛筆を持つところから始めよう!」だったことがわかった。
パートから帰って夕食を作っていたお母さんが私達の様子を見て、「あらあら。」と言って、弟が幼稚園の頃に使っていた三角鉛筆を持って来てくれた。助かった。これは、芯が太いので線が太く書ける。ケンジェルは、この鉛筆で熱心に線を引いていた。終いには、弟にやり方を教わった迷路を器用に辿れるまでになった。やはり年齢がいっているので、一旦コツを飲み込むと早いようだ。
鉛筆で書くことが出来た。と純粋に笑うケンジェルを見ていると、自分の生きて来た境遇がいかに恵まれているのかをしみじみと感じた。
ケンジェルと出会って、千恵もいろいろ感じることがあったようです。