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朝顔  作者: 付焼刃 俄
6/7

 健吾の心臓は跳ね上がった。目を開けようとする――開かない。声も出なくなっていた。


 慌てていると、突然耳元に空気を遮る圧迫感がよってきた。

「――ヒント……。健吾が少し大人になれたら、私を見つけられるよ」

 囁き声にマヒルの感情は乗り切らない。健吾の胸は恐怖にざわめいた。

「百まで数えたらスタート」


 それを最後に両肩の熱と耳元の圧迫感が同時にふっと離れた。

 足音もなしに、人の気配が遠ざかり、かすかなものになって消えていく。


 僕は何を言われたんだ?


 パニック寸前の頭は、なんとか落ち着かせられた。馴染みある赤色が目の前にあったからだ。

 健吾は訳が分からなかった。からかわれているだけなら逃げれば良いのだが、なぜか目が開かない。動けない。それに、今もなお声が出ないのだ。


 どうやって百数えればいいの?


 いや、そうじゃなくて助けも呼べない。口は動くのに喉の使い方を忘れてしまっていた。

 もどかしさで気が狂いそうになりながら健吾は『助けて下さい』と叫ぼうとする。


「―――――い!」


 い? 『い』ってなんだ? なんで『い』は言えたんだ? 

「い……い? い、い、い」

 続けざまに『い』を連呼していた健吾は、マヒルの言葉を思い出した。

「い――いち……?」


 ……『いち』? 『1』だ!


「に…………。さん……。し、ご、ろくななはち! きゅう! じゅう!」


 マヒルの言った「百まで数えたら――」の意味が分かった。数字は言えるのだ。百まで辛抱強く数えた健吾は、かっと目を見開いた。


 青みがかった景色をぐるりと見回す。天端には誰もいない。風もない。

 初めからそうだったかのように、健吾は一人で立っていた。

 気持ちの悪い汗がじっとりと体にまとわりつき、健吾の中の〝汗〟に新らしい不快感が付加された。


 健吾は考える前に駆けだしていた。小屋の陰。

 いない。

 天端の向こう岸。

 いない。ど

 こにもマヒルの姿はない。


 オバケ?


 そうと片付けてしまいたくなるくらい、天端にいるのは健吾ただひとりだけだった。


 〝自殺しちゃうよ〟


 マヒルの声が耳に蘇る。肩で息をする。頭の中でマヒルの声が繰り返される。それと同じ数だけ、あの日、揃え置かれた靴とダム湖に広がる波紋が思い浮かんだ。


 今日中に見つけなければマヒルは……。


 健吾は心の片隅にも余裕がなくなった。気ばかり焦って何も手につかない。蝉時雨が音のすべてで、時間を悪戯に過ごしていることを叱りつけられているようだった。


 慌てすぎてて考えも拡がらない。マヒルの姿を求めて天端をぐるぐる探しまわっていると携帯電話が鳴った。着信音に驚き、肩がびくりと跳ねる。


 通話ボタンを押すと、お婆ちゃんの低い声が受話口から聞こえてきた。

「ケンちゃん、どうやら約束が守れねぇようだね。お婆ちゃんが迎えに行くから、今どこで遊んでるか言いっし!」


「遊んでないよ、バアバあのね――」


「言い訳しねぇの! どこにいるんだい!」


「ダ……ダムのところ」


「分かっただ。そこを動くんじゃねぇよ。いいね?」



 手持ち無沙汰になって天端の入り口をうろうろしながら、健吾はマヒルの言っていたヒントのことを考えた。


 〝健吾が少し大人になれたら、私を見つけられるよ〟


 これは一体どういう謎掛けなんだろう?


 年齢だろうか、身長だろうか、それとも経験だろうか。いずれも今日中には間に合わない。残り十時間余りの人生では足りなさすぎる。


 とにかく探すしかない。


 けれど、この町が狭いとは言え、その広さを思うと怯まざるを得ない。

 でも、じっとしていたら嫌なことばかり考えてしまいそうだ。

 健吾が立ち上がって歩きだすと――。


 あの声が聞こえた。


 カブト狩りに行った日に森から響いてきた規則的で変梃なあの声だ。

 前よりも近い。

 健吾が耳を澄ますと、かすかにだが音がひろえた。


「なんどにぬめってなにねばる。ぽっぽほろほろはひふへほ。ひなたおへやにゃ―――」


 意味のなさそうな合唱がえんえんと同じ調子で繰り返されている。

 昨日、おじさんが言っていた大学生達の声だろうか――。


「大学っ!」


 健吾は大学という単語がマヒル結びつく気がした。

 彼女は大学生だとはっきりとは言ってなかった。けれど、あの口振りからして現役学生みたいた。だとすれば、大学とマヒルは通じていることにならないだろうか? 傷心旅行で一人で来ていると言っていたが、健吾は重要な手掛かりに思えて仕方がなくなった。

 健吾が声の聞こえてくる方へ駆け出した時、後ろからバイクの爆音が響いてきた。振り返ると、白衣を羽ばたかせながらおじさんが走ってくる。


 健吾はしめたと思った。

「医者のおじさーん。乗せてぇー」

 車道に飛び出し、両手で通せんぼする。


 おじさんはギョッとした顔になってブレーキを握り込んだ。山の車道に黒々とタイヤの跡を残してバイクが停止したのは健吾の大股二歩手前だった。


「バカかお前は!」


「バカでもなんでもいいよ。お姉ちゃんを探すの手伝って!」


「……あ?」

 おじさんはひどく間の抜けた顔した。




「この町のどこかにいるから見つけて、か。そりゃまたでかい規模のかくれんぼだな」

 おじさんは()々(か)(たい)(しょう)に言った。


 笑い事じゃない!


 健吾は頭で罵倒した。けれども、大した追求もせずにバイクに乗せてくれたおじさんがありがたかった。

 昨日の患者の予後を診るついでに、学生達がいるキャンプ場に連れて行ってもらえたのだ。

 マヒルがそこにいるとはかぎらない。しかし、あの声と共にマヒルに近づいている気がして、健吾の心の焦りは少しましになった。


 キャンプ場にはすぐに着いた。

 ささやかな案内板をさかいにアスファルトがなくなり、木々がなるように作ったアーチを抜けると、ぱっと目の前が開けた。


 右にトイレと簡易炊事場。左手を流れる川に細い橋が渡されていて、その奥の広場にはいくつもテントが張られていた――あの声は広場の方から聞こえていた。


 深い緑に囲われたキャンプ場中央の車回しに入って、おじさんは駐車場にバイクを停めた。

 すると、広場から学生らしき男の人が走ってきた。すらりとしていて、洋服のモデルでもできそうな彼等におじさんは手をあげて挨拶した。


「おう、あの風邪引きは好い子にして寝てるか?」


「おかげさまで熱は下がったんですけど、まだしんどそうにしてます」


 それから、脱水症状がどうした、家に帰らせた方が無難だどうのと、おじさんと会話をふくらませていた男の人の目がこちらを見た。


「その子は?」


「ああ、知り合いの坊ちゃんだ。ちょっと人を探してるらしい。なんでも、宝物を人質に取られちまってな、この町全体が範囲でかくれんぼしようって都会モンの若ぇ女に言われたんだと」


「なんですか、それ?」

 男の人は変な顔をする。


 そう、そういうことにしたのだ。口からの出任せにしても、健吾は上手く言えたと思っていた。


「あの……マヒルって女の人、ここにいますか?」


「マヒル? いや、いないよ。その人、特徴とかある?」


 眉毛をひん曲げた男の人に首を傾げられ、健吾はマヒルの背格好や雰囲気を思いつく限り伝えた――が。


「そんな人、ウチのサークルにたくさんいるよ」


「え?」健吾は目を丸くした。


「背が高くて、髪が長くて、顔が綺麗で、活発元気な性格で、この土地の人じゃないってことだろ?」


 健吾がうなづくと、男の人は広場に向かって呼び掛けた。

 すると数人の女の人が駆け寄ってきた。


「なんですか、会長」


「悪い、たいしたことじゃないんだ」

 会長と呼ばれた男の人は健吾に向き直る。

「な、君の言った通りの特徴だろ?」


 健吾は並んでいる女の人がみんな同じに見えた。

 顔立ちや服装こそ違うが、これが遠目だったらそれぞれを見分けられないと思った。


「今オーディション中でさ、次の演目のヒロインを決めてるんだ。むこうで発声練習してる中にもまだ数人候補がいるよ」


 男の人が広場の奥を指さした。


「何の話」

 と、中でも一番大人びた顔の女の人が訊いた。


「この子がマヒルって女に宝物を取られたんだってさ。特徴は君たちソックリらしい」


「ふ~ん、正反対の名前ならいるけど」

 好奇心に満ちた目がこちらにむく。

「僕ぅ、他になにか分かってることはある?」


 『僕』と子供扱いされたのが面白くない。

 健吾は不満を顔に出さないように気をつけながら言った。

「恋人だった先生に二股掛けられてフラれたって言ってました」


 健吾が言い終わると、その顔の女の人は一瞬まばたきを忘れてしまったようになった。

 きっかり一瞬のことで、次の瞬間には彼女は元に戻る。

「そうなの、かわいそうね」

 それだけ言うと、彼女は興味をなくしたように踵を返した。

「会長、もう戻ってもいい?」


「いいよ、手間かけたね」


 女の人達が広場に続く橋を渡り始めると、電話が鳴った。

 着信音が違うと思っていると、おじさんが携帯電話を取り出した。


「はい、アカシです――ああ、テツさんとこのおかみさん――えっ、坊ちゃん?」

 おじさんの顔がこちらを向く。

「いや、知らないもなにも一緒にいますよ――あちゃあ、なるほど」

 おじさんが顔を曇らせるのを見て、健吾は首が縮めた。

「それじゃあ、これから連れて帰ります」


 健吾の頭の中で、お婆ちゃんの顔が『真』から『努』に変わっていった。


 これで外出禁止だ、どうしよう。


 がっくりとうなだれていると、男の人が訊いてきた。


「ところで、なにを取られたの? そんなに大事な物?」


 そりゃあもう。

「人の命くらい大事です」


「――それはまた」

 男の人は口をすぼめて口笛を吹く真似をする。


 健吾は歯噛みした。

 僕が何を言っても、どれだけ言っても、彼らにとっては〝子供の言うこと〟なのだ。



 当然、健吾は外出禁止を言い渡された。

 帰るなり、健吾は足がしびれるまで居間に正座させられた。説教の途中で健吾が口を開こうものなら、


「ケンちゃん、言い訳は聞かねぇよ」

 お婆ちゃんは頭を叩くような声でぴしゃりと言われる。

「大事な物を取えるたってのは嘘なんずら?」


 嘘じゃない!


 声には出さずに言い返す。事実、宝物を取られてはいない。だが、それ以上の緊急事態なのだ。


 こんなことしている場合じゃないのに……。


 健吾はお爺ちゃんに味方になってくれるよう視線を送ったが、苦笑いで首をふられる。お爺ちゃんは仕事の他はお婆ちゃんに頭が上がらないし、()(すが)に約束を3回も破るような子供は孫でも弁護の余地はないのだろう。


 晩ご飯まで宿題をしてなさいと言い付けられたが、この状況で鉛筆をまともに握れるわけがない。マヒルが今どこにいるのか、健吾はそればかりに頭を捻っていた。

 そして、健吾の目には、模造紙の問題集『夏休みの友』に印刷された漢字の書き取りではなく、その紙面上に別の問題が貼りついて見えた。


 〝健吾が少し大人になれたら、私を見つけられるよ〟


 少し大人になる。『大人』の前に『少し』という言葉がくっついてる。なぞなぞは苦手だ。だけど〝少し大人になる〟この曖昧な部分にこそ答えがある気がした。



「ケンちゃん、ごはんだに」


 窓が真っ黒に染まる時分、健吾は布団の上で目を覚ました――また、運んでもらったらしい。

 体を起こす。身も心も疲れ切っていたようだが、今の頭は随分とすっきりしていた。


 健吾は何だか呆れた気持ちになって、投げやりに息を吐いた。

 8才の自分に、どうしてか辛く当たってくるまわりに怒りを感じていたのが唐突に馬鹿らしくなった。


 もういい、マヒルなんか知るもんか。そうしたければ勝手にすればいいんだ。


 卓袱台に並べられた野菜が主な夕食は味がしなかった。

 風呂に入り、片付いた卓袱台にもう一度宿題を広げ、出題された漢字の対義語を答えていった。


 男性⇔『女性』、動物⇔『静物』、混乱⇔『平和』、戦争⇔『論争』……子供⇔『  』


「子供……大人」

 児童の対義語である、『大人』と書き付けた健吾はぽつりと呟いた。


 健吾は頬杖をついた。またぞろ悩んでいる。どうでもいいと投げ出した答えを追って、諦め悪く手探りする自分が馬鹿に思えた。

 この『⇔』は、何があって子供と大人を分け隔てているのだろう。


「子供はそろそろ寝る時間だに」


 お婆ちゃんに言われ、見やった時計は午後9時をすぎていた。


 そうだ、子供の僕は寝る時間だ――。

 じゃあ大人は?


 しんとした田舎の静けさに、ふいにポチャンと水と空気が混ざり合う音が跳ねた。

 健吾ははっとした。

 まさか! そんな簡単な答えなの。僕が難しく考えすぎてたの。


 これしかない!


 突然閃いた答えらしい答え。健吾はにわかに興奮した。

 炊事場で漬け物を仕込んでいるお婆ちゃんとお爺ちゃんにお休みを言って寝室に行く。

 健吾は寝てなるのものかと暗がりに覗く天井を睨み続ける。

 

 マヒルはダムの天端にいる!

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