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朝顔  作者: 付焼刃 俄
5/7

 カブトムシの捕れない穴場まで走った健吾は立ち止まった。膝に手を突いて息を整える。

 なんとなく周りを見回すと、木に塗られた水飴がまだ乾いていない、てらてらと歪んだ光が目に入った

 ――どこに通じるものがあったのか、先ほどの出来事が脳裏で瞬く。


 健吾は山に分け入って、地面を覆う小枝や葉っぱを掴んだ。自分でもどうしてそうしたいのか分からないまま、水飴にそれを貼り付けた。

 歪んだ光が見えなくなると、心のどこかがほっとした。にわかに緩んだ足取りで下り始める。あと1メートルで車道に出ようかというところで、


「うわっ!」


 雑草に足を取られた。

 昨日の再現だ。車道に転び出された拍子に膝小僧をアスファルトで擦った。

 痛みはあるし、血が滲みだしてそれなりに驚きもした。でも、そんなに気にならない。今なお小さく(ふす)ぶり続けている熱が健吾の心を占めていた。

 そして、さらに痛みを遠退かせることを思い出す。目の前に携帯電話が転がっていた――転んだときにポケットから落ちたようだ。


 家をできてからの時間感覚で、「まずい!」と口にした瞬間――。


 電話は震えだし、着信音が鳴る。お婆ちゃんだ。健吾は慌てて通話ボタンを押した。

「なんで、電話しねぇの!」


「い――今、しようとしてたよ」

 開口一番に叱られ、怯みながらも健吾は言い訳した。


「ケンちゃんはっきり言っとくよ。いいかい、次はねぇからね」

 それで通話は切れた。お婆ちゃんの声を聴いて、完全に気持ちの波が凪いでくれた。

 ほうっと、大きく一息吐く。すると、じわじわと膝の怪我が痛みだし、健吾は眉を歪めた。


 帰ろうと歩き出して間もなく、後ろからエンジン音が響いて来た。


 背後から段々と近づいてくる音が気持ち悪くて立ち止まる。ほどなくして、バタバタと忙しないストローク音を鳴らしながら、一台のバイクがカーブを曲がってきた。だんだんと姿が大きくなる。乗り手の服装が分かるくらいに近づいた時、その人が手を振ってきた。

 健吾はバイクの物々しさに動けなくなった。古い洋画の暴走族が乗ってるようなやつだったからだ。待っていると、すぐ横にバイクが停まった。エンジンが切られて辺りが静かになる。


(ぼっ)ちゃん、こんなところで何やってんだい?」


 (しゃが)れた男声が聞こえ、その人はヘルメットを脱いだ。

 (そう)(ねん)の胡麻塩頭としょぼついた目が印象的なおじさんが顔を出す。白い服が「私は医者だ」と言っていた。


「その怪我、転んだのか?」

 おじさんは健吾の膝を指差した。


 バイクから目を離せず、健吾は怖ず怖ずとうなづく。

「……血が乾いたら、大丈夫だと思います」


「そいつはいけないよ、坊ちゃん。この辺りは狐もいれば狸もいる。山の道路に舐められたら怪我じゃすまねぇぞ。診せてみなさい」


 おじさんは座席から離れ、後ろのキャリーを開ける。木目が浮いた救急箱を取り出して来て、健吾の前に屈んだ。


 「ちょっと、しみるぞ」

 と、消毒してガーゼを張ってくれた。


「当てようか? 君は、テツさんとこに遊びに来た坊ちゃんだろう?」


 テツさんとは、健吾のお爺ちゃんである徹也の愛称だ。去年来た時、寄り合いの酒席でそう呼ばれていた。思い出した、この人は確かアカシと呼ばれていた。


「ほう、嬉しいな。俺なんかの名前を覚えてるのか」

 おじさんはバイク後部の()(もた)れをぽんと叩いた。

「さあ、乗りな」


「えっ? あ、あの、良いんですか?」


「目の前の患者に優先順位をつける医者なんて、都会だけでたくさんだろう?」


 よく分からない。でも、なんとなく分かる。しかし、それでも健吾は少し(ため)()われた。知らない人にはついて行かない。これは8才を生きる子供にとっても、基本的にすり込まれた処世術の最高峰だ。

 なんて、ぐずぐずしていると、


「いいなら行っちまうぞ?」

 手早くエンジンが掛かり、燃費の悪そうな爆音を轟かせてバイクが走り出す。

 あっ、と思った瞬間、数メートル先で止まったおじさんがこちらを振り返った。

「どうする?」


「……乗ります」


 バイクに乗ってみたい。健康な男の子の正常な興味本位だった。

 バイクはゆっくりと走り出し、その速度を保った。少し残念だ、と健吾は思う。それは健吾が乗っているからの配慮なのは重々承知なのだが、今し方見た加速度を考えると、景色の動き方は牛歩な(こう)(うん)()と大差ない。エンジンの(いなな)きも先ほどと打って変わって大人しいものだ。


「その様子だと、田舎の冒険を楽しんでるみたいだな。もうダムには行ってみたか?」


「ううん、カブト狩りです」

 咄嗟に口を突いた嘘と、自分の膝小僧に視線を感じて、健吾は複雑な気持ちになった。

「おじさんはどこに行ってたの?」


「往診だ。この(かい)(わい)の患者はみんな俺が診てる」


「オウシンって?」


「患者のところに出向いたって意味だよ。ダムの先にキャンプ場かあってな。大学のサークル連中が遊びに来てる。この辺りは夏でも夜は肌寒くなるってのに、川で泳いで風邪引いた馬鹿がいたってんで行ってきた」


「今さっきですか!?」

 おじさんの言葉に驚いた健吾は思わず訊いた。


「ああ、そうだ。あんな簡単な診察なら五分もいらねぇな。注射一本で終わりだ」


 思わず目が泳ぐ。あの時、この爆音が聞こえないほど気が散っていたらしい……。


「ん? どうした、腹でも痛いのか?」


 黙って首を振る。それしかできなかった。

 健吾は背凭れに身体を押しつけ続けた。そうしていると、またあの感情の波に翻弄され始めた。



「じゃあ、お大事に」


「どうもご迷惑お掛けへらだ。あとで何か持って行きますんで」

 お婆ちゃんに頭を押さえ付けられて、健吾も頭を下げた。

 ばたばたと(うるさ)くがなりながらバイクが走り出した。


「ケンちゃん、怪我は痛くねぇかい?」


 健吾は黙ってうなづいた。


「でも、今日はもう遊びに行っちゃだめだからね。宿題でもやっておきっし」


 もう一度うなづいた健吾は、急いでいる風を装って駆け足に家に向かう。


「おう、お帰りケン坊」

 ガレージ兼納屋の前にお爺ちゃんがいた。

 自転車の前輪を持ち上げるように固定して、ブレーキをいじっている。

「いつ乗っても良いんだからな」

 サドルを叩きつつ言われた。


 適当に返事をし、健吾はさっさと玄関をくぐった。居間に行って背中のリュックを放り出す。寝室の襖を閉め、布団が敷かれていない広々とした畳へうつぶせに寝転がった。


 なんなんだこれ?


 健吾は行き着く先の分からない――結果の見えない原因のみの――胸の(ふす)ぶりにまいっていた。何より、マヒルの顔が頭から離れない……。

 健吾はじりじりと頬を畳に擦りつけ、身体を(よじ)り続けた。


 ほとんど眠れないまま朝になり、健吾は明るんできた部屋の天上を眺めていた。

 時計が午前6時をさすころ、二人が起き出したので、健吾も布団から身体を起こした。


「おっ、ケン坊、今日は早えな」


「うん……」


 寝間着のまま朝顔を見に行った。彼らはなかなかの寝ぼすけだ。9時を回らないと花を開かない。それに、青色は今日も開きそうにない。かたくなに蕾を閉じている。また幾つかの蕾が咲きそうに膨らんでいたが、それらはぜんぶ赤っぽかった。


 結局昨日は宿題が手につかなかった。風呂に入ったことも、晩ご飯を食べたことも意識が上滑りして覚えていない。気が付いたら絵日記も書かずに、布団の上で(てん)(てん)(はん)(そく)していた。

 朝のひんやりとした空気の中、大きく伸びをして、だらんと肩を下ろす。小さな身体に、寝不足が深く食い込んでいて、いっこうに怠さが消えてくれない。

 それでも……。



 健吾はダムに来てしまった。

 誰もいなかった。初めて来た時と同じで天端は静まりかえっていた。

 がっくりと健吾は肩を落とした。でも、どこかで胸をなで下ろす自分もいる。肩を落としたのは、もう一度マヒルに会いたかったからで、ほっとした何故は分からなかった。

 だけども、やはり残念な気持ちの方が大きい。健吾はマヒルとの関係をあれで終わりにしたくなかった。

 どこかに隠れているのかもしれない。そう思って、健吾は天端の奥まで歩いて行った。例の小屋を横切り、さらに奥へと歩を進める。

 なにげなく視線を投げたダム湖は今でも綺麗だけど、初めて見た時の感動は見当たらない――しばらく眺めていてもそれは同じだった。


 ふと、初日に対岸へ行こうとしていたのを思い出す。健吾が足を向けてほどなく、対岸に着いた。道幅が右側に少し押した形で拡がり、山には入れないように壁があった――ただそれだけだ……。

 広めの床と壁があるだけで、何もないし、誰もいない。

 健吾は踵を返した。そうだ、マヒルは「もう来なくても良いよ」と言ったじゃないか。何かは分からないが、あの〝遊び〟で、自分とマヒルはお互いに〝何か〟を越えてしまったのだ。

 そうなると、自転車で来なかったことが急に悔やまれだした。健吾の中で、あの自転車に乗らないのは、マヒルに見られたくないという理由に変わっていた。


 ――あっ……。


 今日ここに来た本当の理由が頭をかすめる。健吾は(そら)()ずかしくなってきた。自然と帰る足に力が入る。小屋に差しかかった。マヒルと遊んだバルコニーが目について、ひとりでに足が止まってしまう。未練がましい。下心を振り払おうと、深い溜め息をひとつ吐いた。


「もう帰ろう」


 健吾はわざわざ口に出して言った。目を上げた瞬間――。

 息が詰まった。天端近くの車道をマヒルが歩いて来た。そして、天端に入って来る。

 健吾は咄嗟に隠れた。なんで隠れたんだ? そんなことを隠れてから思う。

 もう見られているかも知れない。それに、ここはマヒルが隠れてた場所じゃないか。つまり、見つかる確率は高い。いや、そうじゃなくて、なんで隠れる必要があるんだ? 僕は何も悪いことはしていない。それに、マヒルに会いたくて来たはずだ。


 なのに、なんで……。


 マヒルの姿を見た途端。健吾はまるで自分が裸でいるような気がした。遠くで響いていた小さな音が、徐々に足音になってくる。天端の床を軽く叩く小気味の良い音が、一歩ごとに大きくなる。それにともなって健吾の鼓動も大きくなった。

 こんなに心臓がうるさかったら気づかれる。足音がすぐそこまで来た。ダメだ、見つかる。と覚悟を決めた時――。

 突然、足音が止まった。おそらく小屋を挟んでちょうど反対側。床を靴で擦るじゃりじゃりという音がする。健吾はマヒルが何をしているのか想像できた。多分、ダム湖を眺めてるのだろう。

 そうだ! 健吾は足元を見回した。運良く手頃な石が転がっている。石を取り上げた健吾は、力一杯湖に向かって振りかぶった――無理矢理だけど、これで隠れた理由ができる。


 まもなくポチャンと水音が鳴った。マヒルが驚いた様子が聞こえ、健吾は小屋の陰から出た。

 やはりマヒルはダム湖を眺めていた。縁に乗り出させていた体を起こして、目を健吾に移してくる――寂しそうな目だった。


「……こんにちは」


「今日は健吾が隠れてたんだ」


 ぱっとほころんだ顔に、健吾は黙ってうなづいた。そうだ、僕はマヒルの真似をして隠れていたんだ。恥ずかしかったから隠れた訳じゃないんだ。


「来てくれたんだね」

 マヒルははにかんだ。

「ここから町って、結構あるよね。いつも歩いて来てるの? 汗だくだよ」


 〝汗〟という言葉に健吾の小さな心臓は大きく脈打った。その言葉には、もう特別な意味が足されているのだ。


「自転車……はあるけど、変な形で格好悪いから――」

 緊張し過ぎて声が裏返ってしまい、健吾は思わず俯いた。


「どうしたの? 初めて会った時よりおどおどしてるね」

 朗らかに笑わうマヒルが顔を覗き込んできた。

「なんで来てくれたの?」


 いきなり痛いところを突かれた。

「このダムは別にお姉ちゃんの物じゃない――から、来たいと思ったら僕は来るよ」

 健吾は答えを取り繕ったが、声の調子はそれにふさわしくなかった。


「本当に?」

 マヒルは茶化すように訊き直してきた。


 本人を前にして、健吾はやっと分かった。言える訳がない。自分はお願いをしに来たのだ。それも、大の大人が駄菓子を買ってくれと()()()ねるぐらい目も当てられないお願いを……。想像にも堪えない欲求で、実に痛々しい。


 だんまりになっていると、マヒルに眉根を寄せられた。

 何か適当な嘘でこの場をしのごうと思ったのに、マヒルは先回りしてきた。


「はっきり言わないと分からないよ?」

 マヒルが顔を寄せてくる。


 顔に陽射しよりも熱を感じて、ぎゅっと目を閉じた。健吾がしゃべらないでいると、また先回りされた。


「ひょっとして、昨日のこと?」


 口が開かない。健吾は黙ってうなづいた。


「あの遊び、嫌いじゃなかったんだ?」


 これにうなづいたら、下心をさらけだすことになる。健吾は恥ずかしさの余り身動きも取れなくなった。数拍、気まずい沈黙があり――。


 あやすような声でマヒルが言った。

「いいよ。でも、先に別のことで遊ばない?」


 もうどうにでもなれ。健吾はとにかく頭をたてに振った。

 その時、ダム湖の方から水面を叩く音が聞こえた。

 びくっと硬直した両肩に健吾は熱を感じた。


「じゃあ、目はそのままつぶって、静かにしてて……」

 マヒルの手が肩に置かれているらしい。

「ちょっと変わったかくれんぼなんだけどね」


 〝かくれんぼ〟と聞いて、健吾の緊張は少し緩まった。


「私はこの町にいるから、絶対今日中に見つけて――さもないと……」

 ……さもないと? おかしな言い回しに健吾が眉を歪めた次の瞬間――。


 水を打つような吐息が耳に触れてきた。



「自殺しちゃうよ」

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