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2 (一) 

 中間考査の最終日。駿河は3科目追試という配慮を受けている。だから今日は出席の必要もなかったのだ。

 さすがに騎道、三橋でも、試験時間直前に殴り合いはできるはずがないと読んでいた。

 騎道は忘れていたらしい。重そうなカバンだった。

 だからうだうだと悩んでいられたのだ。来たら物笑いにしてやれると、駿河も待ち構えていたのだが、放課後の清掃時間が終了しても現れたという情報が入らない。

 校内は、試験からの開放感に賑わっている。

 次のイベントは、差し当たって来週に控えた新生徒会役員選挙。興味が集中するのは、勿論、新生徒会長だろう。

 ゲバ評では、秋津会長の推薦候補が最有力らしいが、白楼会も無視できない勢力である。女子生徒のほぼ全員が加入する、ボランティアといった家庭的な性格をもつ集団だが、その会頭が藤井香瑠である。おそらく対抗して候補を擁立してくるだろうという、憶測も流れていた。

 その後。例年ならば逆になるのだが、11月15日には待ちかねた学園祭が開催される。

 予算と計画を学園長代行の一声で拡張した今年は、タイアップすることになった白楼祭とともに、ひどく華やかで大掛かりなイベントになるのは目に見えている。

 試験が終わった今、生徒たちの興味と時間は完全に学園祭に向けられる。各クラスが対抗するという趣向には、嫌でも燃えてしまう稜学気質だった。

 これからほぼ半月、目の色を変えて走り回らなければならないのは学園祭実行委員たちだ。予算、計画規模拡大とは、必然的に作業量も増えるということなのだ。

 その一員である飛鷹彩子も、学園祭資料を抱え難しい顔をして屋根だけの渡り廊下を歩いている。

 晴天なのでスライド式の壁は収納されている。目敏くみつけた駿河は、追いかけて彩子を引き止めた。

「何? 仕事じゃなかったの?」

 まいった。まさか、騎道と三橋の修羅場が見たくて登校したとも言えない。

 彩子は大きめの瞳で、真っ直ぐ見返してくる。

 伏せてばかりの騎道とは好対照だ。

「今朝、騎道に会った」

「? どこで? 何してたの?」

「何か迷っていたらしいが、必ず学園に帰ってくるさ」

 心配させまいと、駿河は最後の言葉を付け足した。

「でしょうね。行くとこ、ここしかないはずだし」

「……。お前、全然心配してないんだな」

 肩透かしを食らった気分だ。

「心配? もうし飽きちゃった。

 きっと来る、大丈夫。って考えてる方が、気楽じゃない。

 それに騎道って、軟弱に見えてもタフな奴だよ?」

 タフなのは彩子の方だ。

 街角でボンヤリしていた騎道を見たら、彩子ならどうするか……? あのまま連れて来て、張り倒されていた方が荒療治になって良かったかもしれない。やや後悔した。

「騎道は、連城のことをまだ知らない」

「! 嘘……」

 彩子は顔色を変えた。

「俺の勘だが、学園長代行はわざと情報を騎道から遠ざけたんじゃないかと思う」

「今朝、騎道に言わなかったの?」

 痛いところを突かれて、駿河は額を押さえた。すぐにきっぱりと顔を上げて、白状した。

「だからっ……。連城のことも込みで悩んでるのかと思って、言いそびれた。

 それに、教えたら。逆に、ここから離れていくんじゃないかと、柄にもなく動揺したよ……」

 言ってから、余計な事まで言ったと駿河は青くなった。

「だからって、隠し通せないわ」

「……彩子から言ってくれ。それが一番いい」

 騎道への嫉妬なのかもしれない。引き離したいと焦るのは、騎道の得体の知れなさへの疑惑と同時に、二人の心の距離がひどく近いからでもあるのだ。

 だが自分の感傷など無意味だと、駿河は思えてきた。

「うん。……そうね」

「只の偶然だと、騎道が判断するなら、それはそれでいい」

「そう思いたいけど……」

 曇ってゆく彩子の表情で、駿河は逆に冷静になれた。共倒れで、二人して暗くなっているわけにはいかないのだ。

「騎道を待つしかないだろ?」

「……うん」

 頼り無く答える彩子が、駿河には辛い。彩子を本心安堵させられるのは騎道だろう。なのにあの男は腑抜けている。

 八方が塞がる前に、誰かが真実、進むべき道を選ばなければならない。状況は考えれば考えるほど、最悪なのに。

「教えてくれて、ありがと。なんとかするから」

 にこりと彩子は笑った。

「秀一まで、そんなに騎道のこと心配してくれてるなんて。

 嬉しいよ。いい仲間になったんだ」

「言うなよ。もう手は組まないぜ。あんなアブナイ奴」

 吐き捨てる。

「似てるわよね。そういう所、三橋と」

「なんでそいつの名前が出るんだよ?!」

 この言われようは二度目だ。鳥肌が立ってくれる。

「素直に認めないのも同じ。やーね、あたしの回りには同じタイプしか集まらなくって」

「……認めないぞっ。俺は!」

 残された明るい笑い声に、駿河はガックリ肩を落とした。

 妙に明るすぎる彩子だった。



 彩子と別れた直後、騎道は駿河の前に姿を現した。

 驚いたことに、奴は照れたような笑いを浮かべた。少しは浮上しているようだ。

「彩子さんが、こっちに向かったそうですが、会いましたか?」

「ああ。白楼会との調整に向かったんだろうな。

 学園祭のファイルを抱えてたから。

 追いかければ間に合うぜ、ここからなら」

『二年B組の騎道さん、至急グラウンドまでおいで下さい』

 耳慣れた校内放送だ。グラウンドではクラス対抗の草野球が、毎日昼休み時間に行われていた。騎道のクラスは三橋を闘将として、気合い十分で戦っている。騎道は代打専門で、常に勝利の原動力になってきたのだ。

 懐かしさよりも、騎道は目を丸くした。

「なんですか? 草野球をやっているんですか?」

「三橋だろ。おまえが早く来ないから、あてつけだな。

 さっきから何度も入ってるぜ。

 たしか勝ち試合だって話しだがな」

「……変だと思ったんですけど、もう昼休みなんですか?」

 そういえば時刻は12時前である。騎道の手にしたカバンを見下ろし、駿河は爆笑した。

「理由は彩子に聞いてくれ。ま、そのカバンは預かってやるよ。ほんとに、恥ずかしい野郎だな」

 カバンを奪いとると、近道を教えて騎道を追いやった。

「???」

「それと、忘れるなよ。あいつ拗ねてるぜ。お前が来るまで、グラウンドで待ってるんじゃないか?」

 付き合わされたなら、チームメイトには悲劇だ。

「……。子供じゃないんだから……」

 頭をかきながら、渡り廊下を外れ、騎道は緩く蛇行する小道のある中庭の木立に消えた。東棟に校内に通って向かう彩子とは、中庭を横切る短い通路で出会うだろう。駿河の予測ではそうなるのだ。

 学園を闊歩する騎道の姿に、安堵するのは彩子だけではないはずだ。駿河でさえ、なぜかほっとしていた。

「駿河先輩。もしかして今の騎道さんですか?」

 のめるように、隠岐克馬が駆けつけてきた。

「なに慌ててるんだ? 騎道は逃げも隠れもしないぜ」

 奇妙なものだ、擁護するなんて。

「それ……?」

「お前が預かれ。これをもっていれば。もれなく騎道に会えるぞ」

 ホイっと押し付ける。

「あ、重いや。……試験、受けてないんですね」

 騎道のオマヌケを悟って、少しガックリしている。

「どうでした? 元気そうでしたか?」

「んなこと本人に聞け」



 右手の中庭を、見覚えのある生徒が通り過ぎようとしている。慌てて彩子は大きく窓を押し開けた。

「二年B組出席番号42番、騎道若伴!

 遅刻だぞ!」

 ストレートの髪を揺らして、彼は彩子を振り仰いだ。

「この学校広くて。迷ってたんです」

 冗談か本気なのか読めない、困った笑みを騎道は返した。

「おばかっ!」

 彩子は力一杯罵倒する。すぐに左右を見渡して、廊下に教師の姿のないことを確認した。

 窓枠に手をかける。はたと思い止まって、重いファイルをポイッと外に投げた。2メートル近くの孤を描いて、騎道までの間に横たわる花壇の中にすとんと落ちた。

 いくら身軽でも、あそこまで人間は跳べない。第一、窓の下には50センチ幅の側溝がある。その上、地上からの高さは2メートル弱。足を挫くのはパスしたい。

 スカートの裾だけは気にしながら、外に向く形で窓枠に腰掛ける。ニッコリと、騎道を手招きした。

 彩子のお転婆を見てはいけないと、紳士的に空を仰いでいた騎道は意味を悟った。

 大股で花壇を極力荒らさないよう越えてきて、両手を差し出し肩も貸した。花壇を引き返すにも、騎道はエスコートする。徹底してフェミニストな奴だった。

「彩子さん……、内履きで?」

 中庭を抜ける通路は、枯れ葉が敷き詰められた状態だ。それをしっかり踏み締める彩子のシューズを見下ろして、生真面目な感想を騎道は漏らした。

「自分だって、靴のまま校内に入ろうとしてるわよ」

「これは……」

 急いでいて、の言葉は続かなかった。

「あ、そーか、違うのね。このまま真っ直ぐ素通りして、帰るつもりなのか。

 なーにしに登校したのかしら、イマゴロ」

 三橋ばりのとぼけたいじめだ。毎日毎日、三橋に言われていれば、彩子には応用なんて簡単だ。

「それとも何? 学園に戻りたくなかった?」

「! そんなこと……、ないですよ」

 一瞬詰まった。途端に、彩子に見透かされる。

 まじまじと、射抜くほど騎道を見上げた。

「帰ってきたくなかったの? 本気で」

「違います! そうじゃなくって……」

「だったらどうしてもって早く来ないの! 中間考査、今日で全部終わったのよ。ほんとに学生を続ける気があったのか疑っちゃうわ」

「中間……考査……、ですか?」

 呆れきった彩子に、とどめを刺す一言だった。

 脱力……。騎道は記憶喪失患者の仕種に似た『なんですか、それ?』という、平和な顔をしている。

「忘れた……、わけ?

 そこまでおばかなの? どーやったら忘れられるのよ」

 唸ってしまう。

「そりゃあね、ちゃんと教えなかったのは悪かったわよ。でもね、『面会拒絶の危篤状態』だった人間が、週明けでへろへろ登校してくるなんて、誰も考えないじゃない?」

「あれは大袈裟だったんです。怪我もたいしたことなかったですし、回復も随分早かったんですよ」

 ほら? とばかりに、両肩を回してみせる。

「まあ、いいわ。元気そうだから、よかったわよね」

 彩子の納得に、騎道はニーッコリと笑った。

 微笑みに吸い込まれそうで、彩子は慌てて目を逸らした。

 一週間ぶりだからというわけでもない。慣れようがないのだ。こんな純粋さには。

「せ、せめて、学園長代行が教えてあげればよかったのよね。あの人、やっぱり教育者の自覚が……な……?」

 彩子の声が不自然に途切れた。騎道を少し見上げた形の視点が、さらに上空、校舎に向いた一点で釘付けになった。

「あ……。炎……」

 平坦な声に、騎道の動きが遅れた。……炎?

 見開いた瞳が朱に染まる。頬が一瞬で紅潮し、小刻みに震え出す。もう一度何かをつぶやいた。

「ヤ……。やめて……。来ないで……」

「彩子さん……!」

 肩を掴もうとした騎道の手を、何かが掠めた。

 まさか……。走ったのは炎だ。

「!」

 突然、風が地鳴りのような音を立て、巻き起こる。

 同時に、周囲が一瞬のうちに炎の海と化した。逆巻く火炎。音を立てて噴き上がり、生き物じみた炎の腕を伸ばす。

 こちらへ、襲いかかってくる。

 彩子を引き寄せ、庇った。

「痛……!」

 熱い。触れると皮膚だけが焼ける感触。

 拒絶の悲鳴ごと、彩子を抱き締めた。

 視界を閉ざして、炎に魅入られることを防ぐのだ。

 彩子の中にはまだ葛藤が見える。彼女は炎に焦がれることができないほど、正気だ。

 その自制がいつまで持つか。騎道の肩ごしに幻の炎を盗み見て、震えている。

 どこだ? 何が起きた?!

 悪意の気配を辿る。敷き詰められた紅蓮の海。木の葉一枚燃やすことのない炎。

 しかし、肌が焼ける。なぶる炎が肺を焦がす。

 息を詰まらせ、彩子がうなだれてゆく。

 騎道は唇を噛み締めた。それしかできない。炎とは別の異様な力に、全身が押さえつけられているのだ。

 何が望みだ。彼女をここで、殺したいのか!


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