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1 (二)

「あ。おい。噂をすればかよ? 車、止めてくれ」

 洒落た街灯の下に、同じレンガ色のベンチが置かれている。そこには車道に背を向けた、駿河と同じ稜明学園の制服が見える。心なしか両肩が落ちている。

 低いガードレールを飛び越して、駿河は彼の正面に回る。無造作にさらさらの黒髪を掻き回した。

「こーすっと、浮浪児らしくっていーぜ」

「駿河さん……」

「なんだ、行き倒れじゃないのか?」

「……。似たような所です」

 こくんと目を伏せる。簡単に駿河の同業者になれそうな長い睫。スカウトマンが目の色を変える顔立ちだ。

「! むしゃくしゃする面だが、言う事も一々腹立つな。

 とーこー拒否か? みっともないから来い」

 騎道を見るたびに、モデルとしての自分に非適性を感じてきた。神経を張り詰めさせて、やっと一瞬だけフィルムに焼き付けることができる閃きを、こいつならいともたやすく変幻自在に生み出すことができる。容姿だけでなく、無色透明といっていい素直さに、そんな可能性をキャリアの長い駿河は見てしまうのだ。

 無論、仕事上では、似合わない黒縁眼鏡を外さなければならないが。この特殊眼鏡なしでは騎道は失明するというのだから、世の中は公平か不公平か。不思議なものだ。

「駿河さん……。それよりも服をちゃんと着て下さい。

 寒くないんですか?」

 騎道は引き摺られる襟首に合わせて、腰を浮かせた。抱えた学生カバンを見る限り、学園に向かうつもりはあったわけだ。少しは安心して、駿河は手を放した。

「おまえのせいだろ。とにかく来い」

 先に後部座席に乗り込んで、ワイシャツの前を合わせた。

 間瀬田への丁寧な挨拶を中断させて、車に引き込んだのも駿河。言われるままに従う態度が、気に障った。

「俺は早朝の仕事を片付けてきたところだ。そっちは?」

 迷惑な顔はしていない。元々、騎道はそんな顔のできる人間ではなかったが。

「まさか、朝からボーっとあそこに?」

「いえ。朝一番に事情聴取を受けてきました」

「ああ、彩子の親父さんか。あいつ怒ってたぜ」

『被害者なのに、秋津静磨を殺したんじゃないかって、犯人扱いしてるのよ?』

 人を疑うのが警察の仕事だ。刑事の娘ならよく知っているはずだろうに、騎道に対しては肩入れが激しいのだ。

「きつかったのか?」

「いいえ。全然。疑われても仕方のない状況でしたから、覚悟はしていました。でも、思ったほど追求されませんでした」

「親父さん、気でも使ったかな。それとも、秋津の圧力で」

「後者だと思います」

「なるほど。懲りない奴らだな。やっぱり、本当の所をおおっぴらにしといた方が良かったんじゃないのか?」

 流れる街並から目を逸らし、騎道は駿河を振り返る。

「いえ。よしましょう。今はまだ」

 頭を振る騎道には、苦闘への遺恨は何も浮かばなかった。

 あれから一週間。今とまったく同じ時間に、事件の最後の発端が開かれた。一人の女生徒が誘拐され、彼女の救出を賭けて、騎道は秋津静磨と闘った。同時にそれは、無差別連続殺人事件に終結を与える一件となった。

「おまえ、人が好いのも最後には他人の迷惑になるってことも、覚えておけよ」

「はい……。それでよく、失敗してますから」

「はーん。利口な奴だと思ってたが、本当は相当抜けてるな。学習機能ゼロ」

 しゅんとした騎道に、腕を組んで駿河は断定を下した。

 うつむいて、騎道は手で顔を覆ってしまった。

「泣くなっ! 何落ち込んでるんだ!

 大体なんで俺がおまえを慰めなきゃならないんだ。三橋に慰めてもらえっ」

 肩を微かに震わせて、答えはない。運転席の背もたれを、駿河は膝でこづいた。

「ませだーっ。なんとかしてくれよぉ。

 こーゆー情けないのは、隠岐一人で十分だっつーのに」

 ハンドルを握る間瀬田は首を傾げた。

「駿河さんには悪いですが、私には騎道さんが笑ってるようにしか見えませんが……」

「きどー、てめーっ!」

 襟首を掴んで引き起こすと……。頬がひくひくしている。

「ごめん駿河さん。謝る謝る。

 駿河さん何か三橋と似てるから、つい嬉しくなって」

「あんなもんと一緒にするなっ!」

 ……なんでこんな奴に、三橋の身代わりでおちょくられなきゃならないのか。2日前に退院したばかりでなかったら、2、3発殴っている所だ。



 車窓を眺めながら、騎道は自分の思案に沈みこんでいる。

 警察関係でないとすると、考え込む理由はあいつか?

「ふんぎりがつかないなら、その辺に置いてってやるぞ」

「そうですね。おねがいします」

 腑抜けたように穏やかすぎる横顔を眺めて、駿河は小さく自分にうなずいた。

「間瀬田、そこ右」

「え? あ、はい」

「次、左。当分、真っ直ぐいけよ」

 間瀬田はバックミラーの騎道を確認して、駿河の意図を察した。それほど面識のない間瀬田ですら読み取れるほど、騎道の表情は弱気だ。

「三橋なら、うまく説明しておいたから余計なことは喋るなよ。彩子は一切関わってないことにしてあるし、お前のことは隠しようがないんで、ある程度は話したが」

「本当に、感謝します」

 心底嬉しそうに、目礼する。

 車は、繁華街を離れて比較的オフィスビルの多い通りに入っていた。この街に引っ越してまだ二ヶ月という騎道には、初めてくる通りのはずだ。

「事件の方はどう処理されたんですか? もう新聞報道はされてるんでしょう?」

「知らないのか?」

「おとなしくしていろって、新聞もTVも見せてもらえなくて。退院してからは、屋敷に隔離されていました」

 肩をすくめた。

「……そうか……。

 二件の事故死と二件の殺人事件、それと佐倉の誘拐殺人未遂は秋津統磨が首謀者と断定されましたよ。主犯の事故死で事件は終わりだそうだ。統磨の残したテープが決め手だったらしいな。

 お前のことはほとんど伏せてあった。ま、お前の存在を出せば学園にも傷が付くし、警察だって隠したいことも報道しなければならないからな。お互い好都合だったが」

 騎道の存在が伏せられたことで、駿河や隠岐たち、現場にいた学生たちへの取調べも省かれた。裏でどんな手が回され根回しされたのか、一学生には想像もつかないが、騎道が現状を受け入れるなら、それに従ってもいい。

「他に、何か変わったこと、ありませんでした?」

「あ……、いや。

 彩子に会うんだろ? あいつの方が詳しいぜ。仮にも警察関係者だからな」

「そうですね。そうします」

 相変わらずの素直さに、今はほっとする駿河だった。



「いいのか? 俺はこのまま学園に向かうんだぜ?」

 車を止めさせたものの、駿河はもう一度確かめた。騎道は、頭を振ってドアを閉じた。

「三橋のことだけじゃないんです。急に不安になって。

 本当に、学園に帰っていいのかなって……」

 見ていられない、迷う視線。

「……。何に気を回しているのかは知らんが。一生そのつまらないことを考えてろ。

 てめえの為に骨を折ったわけじゃない。彩子の為だ」

 白々とした目をする三橋の態度に、腸が煮えくり返りそうだった。それを噛み殺して、派手な結末に至った理由を一方的に伝えたのだ。毎日顔を合わせる彩子の立場を思いやってのことだ。

 彩子の名前に、少し騎道は反応した。

「いいんですか? こんな所で」

 間瀬田が声を落として尋ねる。

「いーから、出せよ……」

 どっかりと、駿河は広くなった座席にもたれた。

「迷ってる奴はてってー的に迷子になって、行き倒れにでもなってりゃいいんだよ」

 車はすぐに大きく左に曲がって、学園へと急ぐ。交通の要所である中央駅からもずいぶんと離れ、実際、学園とは大きな正三角を作れるほど離れているはずだ。

「本気で帰りたくなったら、必死に道を探すだろ」

 時折差し込む日差しが、頬にちらちらと落ちる。目まぐるしい光は、決して止まることがない。

「あいつだってわかってるはずだ。

 誰が、待っているかくらいな」



 駿河の車を見送った騎道は、周囲のビル街を見渡した。

 道路中央に点々と連なる大けやきは、はらはらと葉を零し続けている。広い歩道を彩るのは細い幹の銀杏だ。

 計画整備された美しさに、暮れ色の葉が暖かい息吹を与えている。秋が物寂しいというのは嘘だ。寂しいのは秋を見る人の心。秋はこんなにも華やかだ。

 素朴な疑問が浮かんだ。

「ここ、どこだろ……?」

 眼鏡を押し上げて、カバンを抱え直した。

 迷子ではない素振りで、ともかく歩き出した。

「まいったな……」

 駿河に見透かされるほど、飛鷹の言葉を重く受け止めていた自分に、軽いショックを受けた。

 鉄格子のない窓の向こうでも、ゆらゆらと枯れた木の葉が揺れていた。平凡な季節がさりげなく訪れている事に、騎道は少し気を楽に出来た。

 そこは、小さな会議室といったふうの取調室だった。

 今朝のことだ。あれから騎道の迷いは始まった。

「君は娘と親しいようだが。知っているのかね? あれの……」

「炎への精神障害のことですか」

 形ばかりの調書を取り終えると、書き取っていた刑事は部屋を出た。飛鷹警部は、ゆっくりと煙草を吸っている。

 犯罪者との苦闘が刻まれる険しい顔立ちが、父親の顔になる。

「そうだ。

 おかげで多少、人間関係に萎縮しているようだ。

 半面、刑事の真似事には怖じ気てくれて、こっちは気を回す必要がなくなって助かっていたんだが」

 騎道は背筋を正して、飛鷹に向かった。

「統磨さんの事件に関してなら、動いたのは僕です。

 彩子さんは無関係です。信じて下さい。

 彼女自身、自制していました。本心から、同じ繰り返しになることを恐れています。それほど、彩子さんは打ちのめされていたんです」

「これからも自制が続くように、努力してもらえるだろうか?」

 飛鷹は騎道の目を見ずに、煙草の灰を灰皿に落とした。

「どういうことでしょう」

「それとも。こんな台詞は時代遅れだが、命懸けで彩子を守ると言い切れるかね。どんな状況でも」

 少し喉の潰れた枯れた声が騎道を探る。

「……無理です。僕は全能ではありません」

 神以外の人間は、誰でもこうとしか言えないだろう。

「ならば、あいつにはこれ以上関わらないでくれ」

「彼女とはただのクラスメイトで友人です」

「君は他にも何か隠していることがあるんだろう?」

 取調べの間、型通りの質問を上げる飛鷹は、うんざりした表情を時折見せた。後でわかるが、警察の発表と騎道の答えには食い違いがあった。だが、問い詰められることはなかった。

 警察に必要なのは、騎道が供述をしたという記録だけで内容ではない。そうと知る飛鷹には、茶番だった。

 騎道自身、事実を歪めた部分は多かった。飛鷹の不審を招いたのはそんなところでもある。

「それが何かは追求せんよ。どんなに物騒でも、警察は事件になるまで手は出せん仕組みだ」

 また顔をしかめた。ぎろりと、眼光が騎道を射た。

「だが、友人なら手は貸せる。

 彩子の為を思ってくれるなら、心を決めてくれ」

 守り抜くか、完全に離れるか。

「誤解です。統磨さんの事件は完全に終わっています」

 飛鷹に聞く耳はなかった。

「このまま彩子をそっとしておいてくれるだけでいい。

 その方があいつの為だ。今のままで充分だ」

 父親の感情が、深い眉間の皺に込められる。

「……答えられません」

 騎道は抵抗した。

 彩子を解放したいのだ。炎の呪縛から。

 それを願って、彩子のいる学園に帰ろうとしているのに、なぜ大人は『おとなしく』や『安全』を欲しがる?

 炎の苦痛を抱く彩子は、怯えた子供だ。あれは本当の彼女の姿ではない!

「正義なんてものの為に、充分あいつは苦しんだ……」

 後悔するように、飛鷹は吐き出した。

 騎道は胸を突かれた。

 新しい苦悩を与えはしないか? 新しい混乱を?

 それら全てを背負えるかと、飛鷹は言ったのだ。

 大人は利口だ。経験が次の不幸を回避する術を知っている。『おとなしく』『安全』を、これまで通りに選べば、悲しい波は被らない。

 板挟みになって、途方に暮れた。

 騎道は、この街で。

 我に返るとまた、今度はガードレールに座り込んでいた。

 足首に暖かいものが張り付いている。

「子猫だ……」

 全身真っ白な一匹と、手足と足先、それに鼻筋と喉が白く抜き取られた黒い猫。腹を押さえてやると、空腹らしくくにゃりとへこむ。親にはぐれたのだろう。

「お母さんを探そっか。僕ならすぐに探せるよ」

 ひょいと一匹ずつ片手で拾い上げて、両方のポケットに滑り込ませる。

「早く帰ろう……。きっと待ってるよ」

 拾い上げたカバンが、引き止めるように重みを増した。



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