第九話 聖女の微笑み
現在時刻18時00分、未ダ現状ハ変ワラズ。
「……………………。」
「……………………。」
丸裸で蹲る僕とそれを見下ろす謎の女生徒の睨み合いが始まってから、もうすぐ十分が経とうとしていた。油汗をダラダラと流す僕とは対照的に、彼女は至って普通な様子で微かに笑みさえ浮かべている。
この異常な空間に措いて、これほどまでに落ち着いていられるとは…こやつ数多の修羅場を潜り抜けた剛者と見た。
「…って、変質者慣れしたツワモノってどんな奴だよ。」
「ん~…何百とゆう変態行為を繰り返した変質者なんかは、『ツワモノ』と呼んで差し支えないのではないでしょうか。」
人差し指を立て、可愛らしく首を傾げた謎の女生徒が思いついたようにそう口にする。
…ただの一人ボケツッコミにまさか返事が返ってくるとは思わなかった。
いやまあ、そんな歴戦の勇士のような変質者がいるとすれば、それはツワモノと呼べるだろうけども…。
んっ…?でも待てよ…?
「逆にその『ツワモノ』たちを何百と捕まえてきた警察官がいるとしたら、その人も別の意味で『ツワモノ』と呼べないだろうか?」
不意に思い浮かんだ疑問を、そのまま彼女にぶつけてみる。
「確かに、そう言われてみればそうですね…。」
そんな僕の言葉を聞いて、彼女は顎に指を当ててなにやら考え込み始めた。
「『ツワモノ』である変質者が現れ、それとはまた別の『ツワモノ』である警察官がその変質者を捕まえるとゆう逮捕劇を見てきた目撃者がいるならば、その人もまた『ツワモノ』と呼べる…。」
「うん。」
彼女の呟きに対し、軽い相槌を打つように頷く。
「当事者の違いによって、『ツワモノ』という定義は個々に違ってくる…ってことですね。」
そんな僕を見て彼女は軽く逡巡するような仕草を見せた後、そう口にした。
…僕が疑問を感じたのはそこなのだ。
『ツワモノ』って言葉は、当事者によって様々な定義の違いが出てくる。
例えば、何度も変質者の被害にあったことがある人もまた『ツワモノ』だし、変態行為を見ても変質者だと思わない人も『ツワモノ』だろう。要するに『ツワモノ』の線引きが曖昧なのだ。
「ですがその場合、観察者や状況の違いによってもまた定義は変わってくるのではないでしょうか?」
断言するようにそう言った彼女を見て、思わず呆気に取られてしまう。
そう…そうだ、確かにその通りだ。
彼女の言うとおり、見る人、もしくは見る環境によってまた定義は違ってくるはずだ。
もし全人類が衣服を着用しない世界があるとするならば、その世界に措いて裸でいることは寧ろ当たり前であり、『変質者』ではなくただの『一般人』だろう。逆にその世界では服を着ている者が稀有な存在であり、服を着ている人物こそが『変質者』たり得るのだ。
「じゃあ一体『ツワモノ』の定義って何なんだ…?」
思考が行き詰まり、僕は一人頭を抱える。
「それを考え始めてしまうと多元的な考え方に行き着いてしまいますし、どこまで言っても答えは出ないと思いますよ。」
謎の女生徒はなにやら微笑ましい光景を見たような顔をしながら僕にそう言った。
「可能性は無数に存在しますし、ただただ思考がループして行くだけです。」
「…無限の猿みたいになるってこと?」
「言ってしまえばそうですね、答えのない問題をいくら考えても無駄でしょう?」
彼女は僕と目線を合わせるように屈みこむと、そのまま僕の頭に手を置いて優しく撫で始める。
なにやら子ども扱いされているようであまりいい気はしなかったが、拒む気にもなれずただそれを受け入れていた。なんとゆうか彼女の持つ雰囲気がどこか懐かしい物に感じたからだ。
「…なに真面目な顔してアホな議論交わしてんのよ。」
大人しく彼女に頭を撫でられているとどこからともなく声が聞こえてきた。
その声を元に視線を向けると、部屋の入り口で呆れ顔のまま腕組みしている和羽さんがいた。
「あっ、和羽さん、探していたんですよ。」
僕よりも先に動いたのは謎の女生徒の方だった。
頭を撫でていた手を離すとそのまま和羽さんの方へと向き直る。
「少しお話が…」
「それはちょっと後回しにしてくれないかしら…今はそれよりも優先すべきことがあるから。」
そんな彼女をスルーして、和羽さんは真っ直ぐに僕の前にやってくると、蛇のような鋭い目で見下ろす。
「…何か言うことは。」
「…ありません。」
「…それじゃ、まず何をするべきかわかってるわよね?」
僕は和羽さんと目を合わすことなく、無言で床に散らばったままの制服を引っつかむ。そのまま一目散に部屋のバスルームへと飛び込んだ。
「…ったく、なにやってんのよ。」
扉を閉める寸前に、和羽さんの呆れたような声と大きなため息が聞こえたような気がした。
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数分後…。
「じゃ、とりあえず自己紹介ね。」
和羽さんは自分の傍らに立つ女生徒の方をビシッと指差す。謎の女生徒は一つ頷いて見せると、ゆっくりと半歩ほど前に出た。
「聖鳳女学院二年の来宮 咲夜と申します、どうぞ御見知り置き下さい。」
背筋を伸ばし、手を腿の辺りで揃えるとそのまま上体を斜め四十五度に傾ける。絵に書いたようにお手本道理なお辞儀の仕方だ。
「オレは唯月だ、よろしくな。」
それに対し、唯月はベットに胡坐を掻いたまま片手を上げるのみで応える。
こいつ…なに考えてるんだ…。
丁寧に挨拶をしてくれた人に対してあまりにも礼を欠く態度を取る唯月を見て、僕は内心焦りを覚える。
目の前にいるのは仮にも先輩である、唯月の応対は明らかに後輩の取る態度ではない。
「はい、こちらこそよろしくお願い致します。」
冷や汗を掻く僕とは対象的に、来宮と名乗った先輩は至って穏やかに微笑んだ。唯月の不遜な態度に嫌な顔一つ見せない。
柔和な笑顔が示す通り、彼女は温厚な人のようだ。
僕はほっと胸を撫で下ろしつつ、その場で立ち上がると彼女の前に歩み出た。
不肖な兄弟が失礼な態度を取ったのだ、ここは僕だけでもキチンと挨拶をすべき所だろう。
「あの、僕は九じょ――」
なるべく社交的に見えるように心がけながら話かけようとした瞬間…。
「セイッ。」
俊敏な動きで近寄ってきた可憐さんが僕の足をキレイに刈った。
「オブッ!!」
完全に不意をつかれ、受身を取ることもできず床に突っ込む。手を突くのも間に合わず、そのまま顔面を思いっきり強打しつつ床の上を転がった。
痛いなんてもんじゃない、一瞬マジで顔が捥げたかと思った程の衝撃だ。
「いきなりなにすんの!?」
ヒリヒリと痛む鼻を押さえつつ、可憐さんの方を見る。
「……………。」
しかし可憐さんは僕を一瞥しただけで、何も言わずに元の位置へと戻っていた。
何だって言うんだ…行動が唐突すぎて何がしたいのかまるでわからない。
この人は数分に一度、人を殴らなきゃ気が済まない病気にでも掛かっているのだろうか?
まあそれは良いとして…いや、良くはないが置いておくことにしよう。
とりあえず今は件の先輩に挨拶を済ませることが先決だ。
「…うし。」
小さく気合を入れ直し、勢い良く立ち上がる。そのまま回れ右の要領で体を180度反転させ、再び真正面から先輩と向かい合った。
「あの!!」
「はい。」
食い気味に迫る僕に対し、先輩は相変わらず微笑を浮かべたまま立っている。可憐さんは明後日の方向に視線を逸らしていて動く気配はない。
よし!!今が絶好の…
「九じょッフォ!?」
…チャンスのはずだったのだが、次の瞬間にはなぜかまた床とディープキスしていた。
「初動からしてなっていない…6点ってところです。」
うつ伏せの状態で床に寝そべる僕の背中の上で、可憐さんがため息混じりにそう口にする。いかにも「楽勝過ぎてつまらない」って感じの声色で。
少なく見積もっても5メートル以上は離れていたのにその距離を一瞬で詰めてきたうえ、更に認識すらできないスピードで相手をねじ伏せるなんてどう考えてもおかしい、とゆうか人間業じゃない。
瞬間移動まで使えるなんて…サ○ヤ人かこの人は…。