第三話 悩める乙女
「くっ…くそっ…こんなのがあいつに知れたらっ…。」
「『知れたら』…なんですか?」
唐突に背後から何者かの声が響いた。
「…………………。」
その声が聞こえた途端、まるで動画を一時停止したように唯月の動きが止まった。完全に静止してしまった唯月だったが、額には尋常じゃない量の油汗を掻いている。
「いや…その…これは違うんだ…。」
絞り出すような声で言い訳をしようとする唯月。
「とりあえず落ち着いてオレの話を…ブウブオッフオォ!!?」
…だったけど、全てを言い終える前にその体は宙を舞っていた。
唯月は重力を無視したように高々と上空へ舞い上がる。
体はありえない方に折れ曲がった状態のまま地面を転がっていき、5メートルほど先で地面に突き刺さるようにして止まった。
見事な曲線を描いて地面にそそり立つ『それ』は、まるで一種のオブジェみたいである意味アーティスティックだ。
てゆうかあれ大丈夫か…? 死んでなきゃ良いけど…。
「…85点。」
僕の横に立つ人物は、蹴り上げた足を下ろしながらポツリとそう呟いた。
何が85点なのか気になるところではあったけど、僕はあえて聞き返すことはしない。 わざわざ自分から死にに行くようなマネをする必要はないからだ。
「あー…えっと…おはよう可憐さん、今日はいい天気だね。」
我ながら白々しい…などと思いながらも、自分にできる限りの笑みを浮かべて挨拶してみる。
「ええ、天気が良すぎて脳ミソが沸騰してしまった輩がいるようですが。」
案の上とゆうかなんとゆうか、皮肉タップリ怒り満載の言葉が返ってきた。
彼女の名前は、式原 可憐。
『名は体をを表す』と言う言葉が示す通り、可憐で繊細な心を持つ絵に書いたような純情乙女…だったらいいなって妄想を何度かしたことがあるけど、実際は全く違う。
180cmを超える長身を漆黒のスーツで包み、細身でありながら大の男を片腕…いや指一本で軽々と吹き飛ばすほどの怪力の持ち主。その上唯月を一瞬で屠り去る武道の達人、なんとゆうか全てにおいて規格外の超人お姉さん。 それに加え、相手が子供なら見ただけで射殺せてしまいそうなほど鋭い目つきをしており、機嫌の悪いときなんかは見慣れているはずの僕ですらまともに目を合わせられないことがある。
まあモデル顔負けのスタイルだし、見た目も悪くないから、一般にはクールビューティーで通りそうなんだけど…。
「…なんですか?」
「いえ…なんでもありません…。」
…うん、余計なことは言わないでおこう。
訝しげに僕を見る可憐さんであったが特に何か言うわけでもなく、視線を唯月の破壊した花壇の方へと向ける。
「まったく…少し目を離すとコレですから…。」
その惨状を見た可憐さんは呆れたようにため息を吐き、額を押さえながらそうボヤいた。
可憐さんは言うなれば僕らの世話係兼教育係兼護衛のような存在、なので唯月が何かをやらかすとその皺寄せは全て彼女に集まってくる。何かと問題を起こす唯月のせいで、普段から色々と頭を痛めているに違いない。
そう考えるとなんだかものすごい申し訳なくなってきた…。
「あの…なんてゆうか色々と迷惑かけてすみません…。」
愚兄の蛮行を詫びるために深々と頭を下げる。
「謝る必要はありません、これも仕事のうちですから…それにあの人のせいで迷惑を被っているのは私だけではないですしょう?」
可憐さんと僕はお互いの顔を見て、ほぼ同時にため息を漏らした。問題児の関係者とゆうことでお互い苦労が絶えないらしい。
「…と、こんなことをしている場合ではありませんでした。」
何かを思い出したようにそう言った可憐さんは数メートル先で気絶したままの唯月に歩み寄ると、荷物でも拾い上げるかのように持ち上げた。
身長は可憐さんの方が少し高いとはいえ、大の男を片手で担ぎ上げるとは…やっぱりあの人は只者じゃない。とゆうか、そこらへんの男より全然漢らしいかも。
唯月を肩に担いだまま、平然とした様子でこっちに戻ってきた可憐さんは、僕の方へ向き直る。
「先ほどお客様がいらっしゃいましたので、只今客間でお待ち頂いております。屋敷の方へお戻り下さい。」
居住まいを正し、改まった口調で可憐さんは僕にそう告げた。
「お客様…?」
その言葉に僕は思わず首を傾げる。今日誰かと会うような予定はないはずだし、そんな約束をした覚えもない。
となるとアポなしでやってきた人とゆうことになるけど、僕のとこへ事前の連絡もなしに訪ねて来るような知り合いはいない。 仮にそうゆう人がいたとしても可憐さんなら屋敷へ上げる前に会うかどうかの確認をするはずだけど、それもなしにいきなり屋敷に戻れと言う。 とゆうことはそれだけ重要な客ってことで、考えられるのは親類関係…。
「…っ!?」
約束もなしに突然やってきて、可憐さんを介さず直接僕を呼びつける親戚…それに該当する人物に一人だけ心当たりがあった。
「可憐さん…そのお客様って僕に用事があって来たの…?」
嫌な予感を感じつつ、恐る恐る可憐さんにそう尋ねてみる。
「そう仰っていましたよ、ついでに唯月も連れて来いと。」
その言葉に嫌な予感が確信へと変わったのと同時に、背中に妙な悪寒が走った。
唯月を『ついで』扱いするなんてあの人しかいない…。
「マズイ…これはマズイ…。」
心の声が思わず口から漏れ出たがそんなことを気にしている余裕はない。僕の頭にあったのは『このピンチをどうやって切り抜けるか』とゆうことのみだった。
どうしよう…居留守を使うか?――いや待て、あの人は僕が屋敷にいるのを知っている。
体調が悪いって言って引き取ってもらう?――そんなことで帰るような人じゃないだろ。
じゃあ今取り込み中だからって待ってもらうか?――そんなの一時しのぎにもならない。
ダメだ…どう考えても八方塞がりでどうしようもない。こうなったらいっそ全てなかったことにして逃げてしまおうか…そんな現実逃避染みたことを考え始めたときだった。
「そういえば一つ言付けを頼まれていました。」
唯月を担いでいるのとは逆の手の指を一本だけ立てて、可憐さんがそう言った。
「…なにか言ってたの?」
正直聞きたくもなかったけど、聞かないと後々後悔することになりそうなので一応そう問い返す。それに対して可憐さんは一つ頷いてみせた後、こう口にした。
「『あたしから逃げようなんて考えたら殺すわよ』…だそうです。」