十二幕
『…よう、相棒。随分と放置してくれたじゃねーか』
「ごめんね、ヴァル」
『ま、花嫁姿が見れなかったのが残念だったなー。俺、ずっとこの舘の武器倉庫の中にいたからさー…』
「本当にごめん…」
やや、拗ねたままのヴァルフリートに再度謝れば、魔剣は仕方ないと言わんばかりに軽く笑い、剣に頭を下げる主人に「顔を上げろよ、それよりか旦那はどんな奴なんだ?」と、おどけた調子で促した。
***
ユーリットとアルファンはローランドと共に予定よりも少し早めの朝食をとっていた。
本来、初夜を迎えた夫婦はもう少し遅く起きてくるものを…アルファンの父、ローランドは昨夜、二人の間に何もなかった事を悟り、息子の不甲斐なさに眉間の皺を寄せた。
「…アルファン、ユーリット、お前達の今日の予定は?」
「…今日は溜まっている軍務の報告書をかたづけようかと、午後には来賓の接待で、狩りに。」
「私は、これより午前は剣の鍛錬をして、午後からは来賓の女性陣を招いた茶会の予定です」
少し元気のないアルファンと対象的に、きびきびとしたユーリットの返事に、ローランドは頼もしい嫁だと思う反面、ギャレット家の未来が少し心配になった。
報告によると、ユーリットは情けなくも鼻血で倒れた愚息を献身的に介抱し、愚息の初夜での失態も気にせず冷静な対応をしたと言う。
…できた嫁だと賞賛する一方息子に対しては拙いなとローランドは内心焦っていた
このままでは、愚息のせいで孫と対面するのは死ぬまで叶わないかもしれない。本来、父がでしゃばる問題ではないが、ユーリットが滞在するのは1ヶ月、それからは、アリエル姫の身辺が落ち着くまで後宮に詰めることになる。
しばらくは、子はできないだろう。それは職務上しかたのない事だが、夫婦に間が空くのは、はっきり言ってよろしくない。
(…とりあえず、この1ヶ月で馬鹿息子には嫁に慣れて貰おう…)
思えばアルファンの女性に対して不慣れなのは、彼の教育課程にあった。
母を幼い頃になくしたアルファンの周りには、ちょうど若い侍女達は結婚期だったせいかおらず、ケイトぐらいの年齢層の侍女しか舘にいなかった。
しかも、父のローランドは死んだ妻以外には非常に淡白で、後妻をとらずに、社交界もそこそこに、軍の荒くれ共と剣の訓練ばかりしていたせいか、ギャレット家は華やかさという言葉に無縁に近い状態だった。その上、異性を意識する思春期には、乳兄弟の王太子に振り回されていて、恋愛どころではなかったというのが現状である。
「…アルファン、今日の午前中の予定は全て取りやめ、ユーリットと一緒に過ごせ。」
「はい?」
「ユーリット、お前は王女殿下の輿入れで何かとアルファンと連携することが多々あるだろう。悪いがこの1ヶ月で息子と共に調整をすませてくれ。」
「はい。お義父様。」
「ちょ、」
ギョッとするアルファンとは対照的に、真面目に頷くユーリットにローランドは口元を吊り上げる。
「二人で良く話し合い、相互理解を深める努力をするように。以上。」
そう言うと、ローランドは口元をナプキンで拭うと、さっさと席を立ち、呆然とする息子を置き去りにして食堂を後にした。
残されたアルファンは、目を泳がせながら、対面にすわり泰然とした様子で朝食をとるユーリットに向き直る。
「…ユーリ、その……貴女の訓練に付きあってもよいのだろうか?」
「はい。此方こそお付き合い頂けるとすごく嬉しいです。正直、鍛錬場にひとりで行くのは少し不安だったので…でも、アルファン様こそお忙しいのに…よろしいのでしょうか?」
「ああ、報告書は緊急なものはないからな。午後からでも大丈夫だ。」
アルファンの笑顔に思わずほっとしたユーリットは、ふと相棒の事を思い出した。何処に保管されたのであろうか。この三日間ろくに会話していなかった。ユーリットも忘れていた訳ではないが、結婚式と初夜でてんやわんやしていたため、そちらに気が回らなかったのだ。だが、もっと早くに気づくべきだった。きっと今頃、すねてる頃だろう。
(そうだ。良い機会だから、アルファン様にもヴァルを紹介しよう。)
朝食の食器が下げられ、食後の紅茶が運ばれると、ユーリットは意を決して口を開いた。
「あの、アルファン様。」
「ん?」
「貴方に、どうしても紹介したい人がいるんです。」
もじもじと顔を赤らめ、恥ずかしそうにするユーリットにアルファンは思わず頬の筋肉がゆるむのを堪える。しかし、近くにいた給仕係の男性陣はすでにゆるんでいる。「若奥様可愛いなぁ」とか「妹に欲しい感じだよな。」「普段無表情で、たまにデレとか萌える」と、弛みに弛んだその給仕係は、近くにいた侍女達から冷ややかな視線を送られていたりする。
「だ、誰だ?貴女の友人か?式場に着ていた来賓か?」
昨夜の来賓の一部はここ、ベルーシ館の右隣にある来賓用の別館に泊まっている。確か、ユーリットの親戚も止まっていたはずだ。午後には遠方から来た来賓や親戚をねぎらう茶会があるから、その前に紹介したいと言うことだろうか。
「友人と言うか、その…会えばわかると思います。まずは着替えてからにしましょう。鍛錬所で彼を紹介しますね」
ピキーンその瞬間その場の空気が氷の様に凍り付く。彼女の口ぶりはまるで、彼氏を父親に紹介する娘のような言い方だ。
「彼って、誰だ?」
部屋へ戻る新妻に早くも振り回される男の呟きは誰にも聴かれなかったのは幸いだ。こうしてアルファンは悶々としながら鍛練用の服に着替え、鍛練所へと向かった。
そして冒頭へと戻る
***
鍛練所につくと、一人の少女が暑苦しい男どものなかで一際異彩を放っていた。
白いブラウスに、男子が履くズボンにブーツが、余計に女性の体のラインを際立たせ、男装だというのに彼女の華奢さが浮き彫りとなり、男でも目のやり場に困る。
その上、先程まで結い上げられていた髪が、三つ編みに編み込まれ、背中で揺れている。
少女のあどけなさと、凛々しさを纏った妻に思わず見とれていると、彼女はアルファンに気がついたのかやや表情が柔らかくなった。
「アルファン様。」
ユーリットに名前を呼ばれて頬が熱くなる。
(ヤバイ。俺は今、最高に締まらない顔をしているかもしれない)
などと、嬉し恥ずかしな青少年みたいな反応をみせるアルファンだったが、次の瞬間、その表情は凍りつく。
こちらに駆け寄ってくるユーリットの腰には禍々しい魔力を帯びた真っ黒な長剣がぶら下がっている。普通の人間には見えないが、古くから続く神官の血統を副血統を持ち、聖騎士の称号をもつアルファンにはかなりキツい禍々しさだった。
分かりやすく言うと、アルファンは霊感が非常に強いのだ。
神官の血統は代々霊的な加護を得る。アルファンの場合、それが顕著で悪霊や妖魔の気配に敏感だった。
小さい時は大変で、救いを求める霊がアルファンにとり憑き、常に彼を苦しめてきたが、現在、聖剣のオフィーリアと契約しているおかげか、そう言った類いはアルファンの周りに寄りつかなくなっていた。
が、ユーリットの腰にぶらさがっているのはあきらかに悪霊とは格が違う。
その漆黒の刀身に宿る、黒い烏と黒狼を掛け合わせたかのような黒髪の美しい男が一瞬見え、アルファンは戦慄する。血のように紅い瞳がにやりと細め、悪戯する子供のような笑顔をアルファンに向けていた。
(…まずい、オフィーリアを連れてくるべきだった。)
アルファンの背中にうっすらと冷たい汗が流れる。
あれは…──
「トルギストフの魔剣…」
「…アルファン様?」
可愛い妻は、よりにもよって魔剣に見初められた魂の持ち主らしい。
アルファンは額に手を当てて、混乱する頭を整理することに専念する。
『よう、婿殿。俺は転換のヴァルフリートだ。よろしくな。』
「アルファン・ヴィ・ギャレットだ。」
『まあ、そう固くなんなよ!呪ったりしねーから!』
「…無理を言うな。」
禍々しい魔力を放ちながら自己紹介する気さくな魔剣と、どんよりするアルファンを交互にみやると、ユーリットはキョトンと首を傾げた。