第十一幕・新婚編
大変長らく更新できずすいません…。
更新できない間、感想、メッセージを頂き、ありがとうございます。完結までお付き合いいただけたらと思います。
さて、物語は1ヶ月間の新婚生活から始まります。
ユーリットはコケコッコーという鶏の鳴き声で目が覚めた。おそらく朝食になるだろう雄鳥の最後の断末魔…かもしれない凄まじい鳴き声だった。結婚初夜が明けたのに目覚めは実に最悪であった。
「…。」
ユーリットは軽く頭を振ると、隣に眠る夫を見下ろした。寝顔はどこかあどけなく、起きてるときとは全くの別人だった。ただ、夫の鼻にティッシュが詰まって居るのだけが残念でならない。
(……鼻血が出やすい方…なのかな?)
ユーリットは昨日の初夜を振り返り、アルファンの寝顔をのぞき込んだ。
***
披露宴も無事に済ませたユーリットは定刻より早めに部屋に戻っていた。
戻ると言っても結婚前に二日過ごした離れの部屋ではなく、ユーリットの正式な部屋である。隣がアルファンの部屋なのだが、初夜だけは別の部屋で過ごすのがエリストナの風習である。
その理由は、エリストナでは初夜までが結婚式という考え方なので、今夜過ごす寝室はいわば初夜専用の式場ということになる。なので、移動と、支度のため新郎新婦は部屋に早めに戻るのだ。
「…っ…。」
手のひらの錠剤を見つめると、ユーリットは、それをかみ砕き飲み込むとため息を溢す。
飲み込んだのはいわゆる避妊薬である。滞在する1ヶ月間、夫婦生活するのならはどうしても必要だろうとサリアが持たせてくれたのだ。
ユーリットはお風呂の中で夫の事を思い出して憂鬱な気分になった。
善良な人だった。ギルドの男達にさえ女扱いされていなかったユーリットを、丁寧に抱き上げ、披露宴の最中も優しく労ってくれた彼に、ユーリットは心の底から申し訳ないと思った。
湯殿からでたバスローブすがたのユーリットにケイトはある質問を投げかけた。
「若奥様、本日は結婚初夜でございます。性教育はどの程度習っていらっしゃるのでしょうか?」
「えっと、男性が女性と子供を作る行為だとは解りますが、具体的な行為に関して良くしりません。ティリアさんやギルドメンバーが下ネタ話題に出したときに聞いたぐらいです。一応、ママレカでも閨の作法の授業があったのですが、人体の仕組み程度や医学知識ぐらいしか教えられてません。」
「なるほど。ティリアさんとは?」
「色街のブルームーンという娼館の高級娼婦です。護衛を頼まれた事がありまして」
女中長のケイトは思わず眉間に皺を寄せた。侯爵家の次期当主の妻が高級娼婦の護衛をやっていたなんて、恥も良いところだ。
今後、結婚前の事を他の人間に喋らないようユーリットに言い聞かせねばならない。
「若奥様、僭越ながらどのような内容か教えていただけます?」
「え?えっと、そのときはクエストが完了して、みんなで打ち上げをしていた時でしたね。仲間の一人が《俺のでけぇ×××がエリー(※魔獣)の×××をピーしてピーしてやったぐらい爽快だったぜ!!》とか言い出して、他のメンバーが《馬鹿野郎、俺の×××のほうがテメェのクソみたいなもんよりデケェ!!》とか言い出してみんなしてズボンを脱いで大きさを確かめてました。」
「……若奥様は其れを見てどう思われたのです?嫌悪感は無かったのですか?」
「嫌悪感は特にないです。兄も居ましたし、冒険中に仲間が旅の途中で怪我を負ったときに看病のために体を洗ったこともありましたから。今更何とも思いません。ただ、食事時に下半身を丸出しにするのはやめて欲しいぐらいです。」
「食事時じゃなくても出さないのが常識です。大体解りました。」
ケイトは内心呆れを通り越して驚いていた。良くそんな下品で粗野な荒くれ達に囲まれて純潔を守れたものだ。
ユーリットの性格もあっただろうが、荒くれ達に一目おかれていたと言うのが何となくわかる。そうで無ければ今頃一児の母になっていてもおかしくはない。
幸い、ベルーシ館の本宅の隣には冒険者ギルドにも引けをとらない屈強な兵士達(独身)が住んでいる。
深窓の令嬢なら、訓練中の彼らの雄叫びだけで震え上がり、部屋からでないであろう。これはこれで、将軍家の妻としては上等だ。
ケイトはユーリットの過去をいったん脇に置くと、変わりにクローゼットから一枚の服を取り出した。
「では、これよりエリストナ式 閨の作法を覚えていただきます。」
そう言うとケイトは夫婦の夜の生活について、ユーリットに教え始めた。その光景を黙って見ていたオリネとミリネは笑いを必死に堪えていた。
二人とも真面目くさった様子で話あっているのだ。どちらとも無表情で、真剣そのものだ。
そこまで真剣に聞く内容ではないのに、ユーリットは生真面目にメモまでとっている。なんともシュールな光景である。
「ねぇ、ミリネ。、アルファン様どうなると思う?」
「誓いのキスもできない人ができるわけないじゃん。無駄でしょ。初夜に何もないに一票」
「でも、ユーリット様があそこまで真剣に授業を受けていらっしゃるんだから、もしかしてってことはない?」
「ああ、それはありそう。若様って押しに弱そうだもんねぇ。てか押し倒れて気絶した前歴があるからどっちみち何も起こらないと思う。」
「…お二人に良い夜であることを祈るばかりね。」
二人の侍女は白熱していく授業に苦笑を漏らすと今頃寝室でそわそわして、花嫁を待っているであろう花婿を思い浮かべ、彼の健闘を祈った。
***
「おちつけ、俺。落ち着くんだ。そう、これは一種の通過儀礼なんだ。」
何の通過儀礼なのか解らないが、そう自分に言い聞かせてガウンを羽織ったまま寝室でうろうろする花婿は実に落ち着きがない。黒獅子と謳われる将軍の姿はすでに無く、只のヘタレがそこにいた。
戦場でもないのに厳しい表情を浮かべ、脳内でシミュレートしているが途中で顔が真っ赤に染まり「うがあああああああああああ!!」
と意味不明な叫びを上げて頭を抱えるの繰り返しである。
「せめて花嫁が来たら主を止めてあげよう」と侍従達は扉の外でため息を漏らす。
色好みの主人も疲れるが、女性に免疫がなさ過ぎる主人もめんどくさい。さっさと大人の階段昇ってくれというのが侍従達の総意である。 思えば長い道のりだった。アルファンにバレないように結婚準備を進めて、それとなく女性に対するマナーを書き記した書物を置いたり、閨の作法を教えるときに何度、アルファンが気絶・鼻血・逃亡をしようとも捕まえて刷り込みをしてきた苦労が今夜で報われるのだ。
控えていた侍従の一人が「俺がんばったよな。」と涙ぐみ、隣にいた年配の侍従は「良くやったよ!」と慰めている。そんな二人の視界に紅いカンテラの光が飛び込んできた。
廊下の暗がりに浮かぶ明かりに、ほっそりとした二人の女性が浮かび上がる。
一人はきっちりと髪を結い上げ、カンテラをもって先導する女中長のケイト。一人は白い髪を肩に降ろし夜着の上にガウンを着込んだユーリットの姿があった。二人は慌てて姿勢を正し、部屋の中に居るアルファンに花嫁到着を知らせるべく、ドアをノックした。
「あ、アルファン様!若奥様がご到着されましたよ」
「!!」
アルファンは慌てて居住まいを正し、掻きむしった髪を手櫛で整えると、ガウンの襟元を直す。何とか顔も取り繕うと、控えめのノック音が三回響き渡った。
「……どうぞ。」
そう声音を落として返事すれば、寝室の扉が開かれ、アルファンはゴクリと唾を飲み込み、身構えた。
「…若奥様をお連れいたしました。」
「……。」
期待していた花嫁ではなく無表情の老女の登場に石化するアルファンに、ケイトは眉間に皺を寄せる。
「…なんですか。そのガッカリした顔は」
「…す、すまない。」
謝罪を無言で受け取ると、ケイトは一礼し、中には入らずそのまま脇に退く。
後ろに佇むユーリットに道を開けたのだ。
「……(か、可愛い)」
ケイトの登場で一気に緊張が解けたアルファンは、しずしずと入ってきた花嫁の姿に頬を染める。
藤色のガウンを身に纏い、その肩に髪を下ろしたユーリットの姿は思った以上に可憐だった。部屋の蝋燭の光に浮かぶ少女はどこか緊張しているようで、その瞳も揺らめいている。ギュッとしたい衝動に駆られたがアルファンは慌てて自制する。
「それでは、良い夜をお過ごし下さいませ。」
そう言うとケイトは部屋の扉を閉めた。事実上二人っきりになったアルファンとユーリットの間に重い沈黙がのしかかる。
「そ、そのだな。」
「旦那様。そのまずはお酒でもいかがです?」
「あ、ああ。」
そう言うと、アルファンは流されるように頷いた。
ユーリットは寝室に用意されたワインボトルの栓を開けると、二つのゴブレットに紅いワインを注ぐ。
「こちらの結婚式で振る舞われる白のワインは、神の祝福、赤のワインは先祖の祝福というのだそうですね。」
「あ、ああ、血みたいに紅いから子孫繁栄の願いも込められているらしい。」
そう無難に応えると、ユーリットはゴブレットをアルファンに手渡し、恥ずかしそうに目を伏せる。
「…私、そんな意味が赤ワインにあるなんてしりませんでした。」
「俺も、本でちらりとしか覚えていない内容だよ。貴女は他国から来た身なのだから知らなくても当然だ。ママレカでは違う意味があるのか?」
「はい。白ワインは妖精王の涙のように清らかで、赤ワインは乙女を酔わせる媚薬のように香しい。という詩があります。」
「び、媚薬?」
「確かに、赤ワインは若い女性に飲みやすい口当たりの良いお酒ですから。」
そう言うユーリットはこのとき無意識に微笑んだ。アルファンはその笑顔に不覚にも胸が高鳴った。
(お、俺の妻…なんだよな。)
竜殺しの異名を持つ花嫁を向かえると知った時のアルファンは、内心諦めていた。政略結婚だから容姿を選べる訳がない。だからどんな相手が妻になっても自分はその人を大切にしようと心に誓った。しかし、式当日。彼の小さな世界はユーリットの容姿を見た瞬間に崩れ去った。
華奢で小柄な容姿は妖精のようにあどけなく、初々しい花嫁の姿に不覚にも心が揺れ動いた。
結局は容姿にとらわれていた自分が恥ずかしくなったが、高鳴る鼓動がそれを払拭する。
はっきり言ってユーリットより綺麗な令嬢や夫人に交際を迫られたことがある(が、その度に逃げていた)彼にとっては美人は見慣れたものだった。
けれど、彼女に一目見た瞬間に今まで見てきたどの女性より美しいと思う自分がいた。
外見だけではなく話し方や声、性格…ひとつひとつの表情が加算され、一層彼女が眩しく見える。
…これが恋なのかはわからないが、彼女を自分の妻にできた事が嬉しかった。
「……旦那様?」
「っ…アルでいい。俺も…貴女の事をユーリと呼ぶ。」
「アル…様」
「様は要らない。今日から貴女は俺の家族なのだから…。」
「家族…」
「ああ、大切な家族だ。」
そう、はにかみながら、アルファンが言うと、彼女は目を見開き、一瞬苦しそうな表情を浮かべ、椅子から立ち上がると彼の足元に跪いた。
「…ゆ、ユーリ?」
「お許し下さい…アルファン様。実は私…避妊薬を飲んでここに来ました。」
「っえ」
「…その、子はアリエル様の安全を確認できるまで成してはならないと…公王陛下のお達しがありまして…。本当に申し訳ございませんっ」
土下座する勢いで謝るユーリットに、アルファンは呆気にとらわれたが、直ぐに意識を回復する。
今はまだ子が作れないのは、時期的に無理だろうとアルファンの方でも大方予想していたから別段にショックではない。
アルファンとて伊達に近衛師団団長を勤めているわけではない。今回の結婚はアリエル姫の輿入れに合わせたものだから、夫婦生活はエルンスト王子とアリエル姫が落ち着いてからちゃんとすればいいと、意外と気長に考えていたぐらいだ。
むしろユーリットに対して申し訳ないと思ったほどだ。元々後宮のゴタゴタを後回しにしてたのは自分達であり、放置しているエルンスト王太子にある。
現在の後宮はエルンストに譲られ、人事権はエルンストにある。しかし、エルンスト王太子は二年前に立太子したばかりで忙しく、後宮に興味がなく半ば放置していた。その隙をついて五大公が娘を捩じ込んだのだ。
王太子には後継者としての義務があり、正妃を迎えるのはその義務のひとつだ。そう主張されてしまうとエルンストに五大公の娘を拒否する理由がない。エルンストはやむを得ず五人の側室を迎えることになるが、ここで問題が起きた。
まず、五大公はそれぞれ自分の娘を正妃にと主張したせいで、最終的に決まらず側室として召し上げた事により、後宮内にて派閥が派生し、現在後宮内は五大公の娘達による代理権力抗争の場となってしまったのだ。
そこに、一国の王女であるアリエル姫が嫁いだらどうなるか…当然、拮抗していた勢力図が崩れアリエル姫に危害が及ぶ虞が出てきたのだ。
エリストナとしては、食糧源であるママレカの姫に何かあっては、いままで築いてきた交流が無駄になるし、ママレカからの食糧物流が止る可能性すらある。
そのため五大公は表立ってはアリエル姫に危害を加えることはないだろうが、後宮にいる蝶よ花よと育てられた五人の娘が、国情をきちんと理解しているか非常に怪しい。
エルンストが放置していたツケがここにきて出てきてしまったのである。
エリストナの宰相が国王に「それ以前に王太子をどうにかしろ」と言ったのはそういう意味があったのだ。
王太子が何を考えているのかはわからないが、アルファンからすればユーリットはそのとばっちりをうけている一人だ。むしろこちらが謝りたいぐらいである。
「…っ謝る事はない。護衛騎士として主の安全を最優先にするのは、当然だ。」
「でも、それはアルファン様や、ギャレット家の皆々様への裏切りに他なりません…謝っても謝りきれない事です。大切な家族なんて…言われる資格ありません。」
「資格はあるよユーリ。…貴女は主君の密命を、正直に俺に話してくれた…それだけで十分だ。むしろ、先に言ってくれて良かった。」
そう言うと、アルファンはユーリットと目線をあわせるように、床に膝をつき、彼女の肩にそっと手を添える。
華奢な肩が震え、彼女はアルファンを見上げる。ユーリットの瞳は不安に揺れ、悔恨するような表情が余計に儚くみせる。
(ああ、彼女は嘘が苦手な人なんだろう。)
主君の密命を人に漏らすのは騎士としては失格な行為なのに、それを承知の上で偽らずに自分に言ってくれた事が何より嬉しかった。
「…まだ、俺たちは今日会ったばかりなんだ。互いに少しずつ知っていけばいい。子供の事はまた後で考えよう。」
「でも…」
「大丈夫。殿下はアリエル姫を(たぶん)第一に考えてくださるはずだ。(面倒が嫌いな方だから)輿入れされるアリエル姫の危険を取り除いてくださるだろう。(てか、絶対にさせる)だから、安心しろ。それに俺や貴女もついているんだ。きっと大丈夫さ。」
副声音を混じらせながらユーリットを慰めるアルファンに、ユーリットはキュッと唇を噛んで何度も頷く。その表情はどこか安堵したような表情だった
「それとユーリ。…いいかげん、俺の事をアルって呼んでくれ。いいな。」
そう話題を変えるようにアルファンが言えば、ユーリットはキョトンとすると、花を開かせるような笑顔を浮かべ「はい…アル」と初々しい返事をした。
しばらくその笑顔に惚けていたアルファンだが、自分が未だにユーリットの肩を掴んでいることに気づいて、慌てて手を離す。顔は真っ赤に染まり、大量の汗が額に滲んでいる。
(お、俺。どさくさに紛れて何やってんだ…落ち着け!落ち着け…大丈夫。)
「アル?」
「あの、その…」
しどろもどろになるアルファンをみてユーリットは、首をかしげると「そろそろ床入りしたいのだろうか」と盛大な勘違いをすると、彼のガウンの袖をキュッと握り、彼の顔を見上げ上目遣いで彼に尋ねた。
「…あの、そろそろ床入り…しますか?」
「ッ!!」
その瞬間彼の頭の中の理性がぷっつんした。彼の整った鼻の穴からはドパァとグロい液体が鼻の下に二筋の線を引き、上質なカーペットに染みを作る。
「血が…」
ユーリットはアルファンの鼻血に驚き、慌てて、部屋の周りを見渡し、布を探す。
テーブルの上におかれたナプキンを取ると、ユーリットは彼の鼻血をぬぐう。
ただ、そのさい身体が密着するわけで…アルファンは柔らかな身体が胸元にすっぽりと収まり、押し付けられるユーリットの小さいながらも柔らかな胸の感触に、意識が遠退いていく。
「あ、アルファン様!!」
「っ…」
その後失神した花婿を、花嫁がお姫様抱っこして寝台に運ぶという前代未聞のハプニングがおこり、冒頭へと戻る。
朝になると、目が覚めた花婿が、花嫁のやや肌が見えるネグリジェ姿に再び鼻血を流す事になるとは知らず、
ユーリットはそっと夫の肩に毛布をかけなおした。
エリストナ式閨の作法
その1
夫を労うために、晩酌に誘うべし
その2
夫をリラックスさせるための会話に付き合い、愚痴だろうが泣き言だろうが、慈母の心をもって耳を傾けるべし
その3
夫の仕草を逐一観察し、夫が何かしたいかを察するべし
その4
夜着は純白のレースをあしらったネグリジェで、下着はつけるにあたわず、素肌のまま着るべし
その5
どんな事をされても拒絶するな。深い愛情をもって接するべし
その6
閨でのお願い事はもってのほか。あくまで慎ましく、夫を受け入れ、夫を癒すべし
…etc
…ユーリットはその3まで頑張ってみたけどアルファンが駄目だったと言う落ちです…はい
因みにこれはケイトさんの若い頃の閨の作法で、現在はここまで極端ではないらしい(笑)