第37.5騒 エピローグ
ようやくこの時が来た!
一年間のしごきに耐えて耐えて耐え忍んだ。そんな俺に、俺自身が一番驚く。
リラやアドルドかいなればとうの昔に死んでいただろう。
訓練に逃げ出すということではなく――逃げ出しても、金も家もないから死ぬんだが。
あれは秋頃だったと思う。
フィラットに脅されて請け負った荷物運びの途中で、事件に巻き込まれて大怪我をしたのだ。
あやうく出血多量で死ぬところだった。
俺は覚えていないが、危ないところだったらしい。
起きたらエフミト少尉に泣きつかれ、ヘルマン指導教官に物凄い形相で怒られた。どうやら村の皆が無茶なことをヘルマン指導教官に言っていたみたいだ。
過保護だなぁとは思うが、俺の村は小さくて、皆家族みたいなものだから、ちょっと嬉しい。
それはともかく。
いよいよ訓練期間が終わって、正式採用になる時がやってきた!
これで給料が上がる!
妹にもう少し仕送りが出来る!
「とかカラト兄ちゃん考えてそうやけど、給料が上がる分、出費も増えるんやで?」
「??」
慣れた新人用ではない。今後使用する本来の屋外訓練場に並んだ俺に、後ろから幼い声が掛かる。
よくわからないので、首を回して傾げると、妹と同じ年のリラは、首を横に振った。
目線の下で癖毛が跳ねる。小動物みたいで可愛い。
「まず、家賃や。新人寮は無料やったけど、そこを出るっちゅうことは家賃がかかるんや。新米軍人は特別に家賃一か月分は免除やけど、布団とか生活品とか、まぁ、諸々かかるな。あとご飯代や。勤務中のご飯は無料やけど、他を全部外食にしたら結構高うつくで」
「!!!!」
そうだ! 家だ!
家を見つけないといけないんだった!
「……やっぱり忘れてたんだな。一か月給料免除でも、いきなり一人でアパルトマンを借りて住むのは金銭的に厳しいぞ。条件が良いところはもうとっくに埋まっているだろうしな」
前にいたアドルドが、呆れた顔を隠しもせずに振り返って言った。
ちゃんと家を仲介するところがあるとは聞いていたが、場所を忘れたので聞こうと思って、そのまま全てを忘れていた。
最後まで訓練が厳しかったのだ。俺だけ。
「アドルドは?」
「俺は当分、先輩の部屋を間借りさせてもらうことになっている」
「うちは実家が近いさかい」
「………………」
「知り合いがいればなんとかなるんだがな」
「堪忍な、カラト兄ちゃん。カラト兄ちゃん、お金ないさかい、うちが口利きしても家賃払えんと思うんよ。それはあかんから」
「………………ちなみにいくらだ?」
「勉強して友達価格で泣きついて、最低限でもこれだけ」
示された指の形に、アドルドが「破格だな」と言うものの、今の仕送り分を考えるとその破格らしい家賃すら払える余裕はない。
「………………」
いざとなったらこっそり軍の敷地内で野宿をするか。
昔から夜目が利くので、夜や暗闇を怖いという意識はない。深夜でも灯りなしで草取り出来ることが、俺の小さな自慢である。
寒さと雨を凌げるところを見つければなんとかなるだろう。
幸い、軍施設は広く、森もある。食事は必ず一食は出るし、こっそりお菓子をくれる場所も知っている。
そう考えると不思議と大丈夫な気がしてきた。
俺は自信をもってリラに言った。
「大丈夫だ」
「………一応聞くさかいな? なにが大丈夫なん?」
「家がなくても大丈夫だ」
『………………』
そういうと、アドルドとリラはともかく、話を聞いていたらしい周囲が一斉に変な顔で俺を見た。
「おい、来るぞ」
騒がしくなりそうな空気を遮った言葉によって、緊張が走る。
屋外訓練場の向こうから、人がたくさん歩いてくる。
その中に、いつかみた人がいた。
彼らは列になっている俺たちの先頭と向かい合うように立った。
場所が決まっているのだろう。中央を開けて左右にずらりと並んでいる。
いよいよだと、緊張が高まる。
今日は一年間の仮入隊の終わりと共に、正式に軍属になる日であり、自分の所属先が分かる日でもある。
(そういえばフィラットをみてないな…)
どこかにいるだろうと思うが、怪我以降、まったく絡まれていないので忘れていた。
(俺はどこに配属されるんだろうなぁ…)
落ち着かない気分で、俺は式が始まるのを待っていた。
軍は所属人数が多い順に、歩兵部隊、遊撃部隊、戦略部隊、内務管理部隊、衛生部隊、魔法部隊、情報部隊となっている。
遊撃・戦略部隊は、士官学校を出ている者しか取らず、魔法部隊はそもそも魔法の才能がないと入れない。内務管理は現場に出れなくなった者が大半なので、新人の大部分は、歩兵部隊に入ることになる。
アドルドは、自分とカラトは歩兵だろうと考え、リラはどこになるだろうと思案した。
まだ体が出来ていないリラに歩兵はないだろう。妥当なところで内務か。
(カラトに歩兵は心配だな。一緒な部隊になれると良いが…)
目を離すと死にそうになる同室が、肉体言語の中で生きていけるのか心配だ。
『ではこれから、元帥のお言葉を頂戴する。一同、敬礼!!』
条件反射のように敬礼したアドルドは、全員が一糸乱れぬ敬礼を取る姿に、身震いした。
傭兵では絶対になかった光景だ。
数が大きな力になることを身をもって知っているアドルドは、その中に自分が身を置いたことを強く意識した。団体の中にいる安心感は感じなかった。
反対に、己の意思に関係無く組織の歯車として組み込まれることに、瞬間的な嫌悪感を感じた。
そんな自分に内心で苦笑する。
(分かっていたことだ。まぁ、五年は頑張るか)
アドルドの元々の目的は軍人になることではない。本当にやりたいことは別にあって、その途中経過として軍人になったのだ。組織が気に入らないとはいえ、我慢しなければならない。
気持ちを早々に入れ替え、アドルドは台に立つ元帥を見上げた。
(あれが噂の元帥か。若いな…本当に39か?)
見た目20代後半の、線の細い長身の男が、裾の長い白い軍服を着て立っている。
深緑が圧倒的に多い中、白い軍服は目立った。そして、なぜか片腕に座らせているビスクドールも目立った。長い金髪をくるくる巻いた、青い目のクラシックドールは、元帥とお揃いの白い服に、洒落たヘッドドレスを着けていた。
元帥は、あの人形を肌身離さず持っているいるらしい。
噂では、戦場にまで持っていき、自分は返り血で真っ赤に染まっても、人形には一切汚れをつけなかったとか。
華奢な体躯の、人形のような彼が人形を持つ姿に違和感はないが、彼が元帥ということの違和感が凄まじい。
男にも女にも受ける中世的な、綺麗と評される美貌が、一切の感情を込めず、淡々と言葉を紡ぐ。
(あまり近づきたくない相手だな)
得体の知れない感じではあるが、そうそう会うような相手でもないだろう。
元帥の言葉は短く、すぐに終わった。
早々と身を翻す、彼の後ろに、全身を白いマントで覆った小柄な人物が見えた。
元帥の影に完全に隠れて見えていなかった。
男か女か、子供か老人か。全く判別が出来ない姿で、元帥の後ろを付いていく。
(あれが例の特殊部隊か)
裏で有名な名前だ。
全員が高い暗殺技能者で、元帥すら殺す元帥の私兵。軍に属していながら軍法では縛られない独自組織。 部隊の全貌はおろか、隊長の姿すら誰も知らないと言われている。
(あれも関わりたくはないな)
普通にしていれば関わる相手ではない。
アドルドは得体の知れない連中の後姿を目に焼き付けた。
退屈な式が終わり、いよいよ部隊先の発表である。
リラは期待に胸を膨らませて、名前が呼ばれるのを待っていた。
一番数が多い歩兵部隊所属から名前が呼ばれていく。
「……アドルド!」「はい!」
リラが思った通り、アドルドは歩兵部隊で呼ばれた。
名前を呼ばれると、それぞれの所属隊長がいる場所へ向かう。
アドルドはカラトとリラに「お先に」と目配せをして列をすり抜けた。
歩兵部隊が終わると、全体の半分はいなくなる。
「以上、歩兵部隊。続いて、魔法部隊」
魔法部隊所属の者は入隊当初から決まっている。
特にざわつきも無く、決められた通りの名前が上がって終わる。
「続いて、遊撃部隊」
ここは士官学校卒業者ばかりだ。だが一部、士官学校卒業者以外の名前が上がって騒めきが起こった。
名前を聞いたリラは、カラトの目の隠蔽工作を手伝った一員だと分かったので、約束通りに希望進路を通した指導教官の評価を上げた。
(ん? サミエルとナディが呼ばれんかったな…戦略やろうか?)
今年の首席の名前が呼ばれず、リラは首を傾げたが、士官学校卒業生でも遊撃と戦略は人気が分かれるところでもある。ただ、ナディはともかく、血の気の多そうなサミエルは遊撃だとばかり思っていた。
「戦略部隊」
(……呼ばれへんな)
少なくなった列は中央に集められ、名前が呼ばれていくも、二人の名前は呼ばれず、列に残ったままだ。
ちらちらと列を出ていくものが二人に目をとめるも、二人とも平然としている。
そしてとうとう戦略部隊も終わる。このころには初めの歩兵部隊は屋外訓練場にはおらず、魔法部隊は早々に消え、遊撃部隊はきびきびとした速足で去っていく。
「以上、戦略部隊。続いて、内務管理部隊」
「リラ・ブラン!」「はい!」
内務管理部隊で呼ばれたのは三名だけだ。
細身の男と、リラと、小柄な女の子。細身の男は初めから内務管理として引き抜かれて来たのだろう。
三人揃って、優しそうな眼鏡をかけた中年の男のもとへ移動する。
「よろしく、内務管理部隊長だ。みんな歓迎するよ。さっそく場所を移動しようか」
『はい!』
敬礼をして答えると、男が笑う。「これだこれ。元気で結構」と背中を向ける。
見失わないようにリラは男について行くも、つい気になって後ろを振り返った。
屋外演習場に残っているのは、サミエルとナディとカラトだけだったからだ。
(カラト兄ちゃん……どないしたんやろ……)
これからの自分よりも、カラトのこれからが不安で心配で、心臓のあたりを強く握った。
(なんか…また、しでかしそうな気がするんや。てか、カラト兄ちゃん、目がばれたとか?)
今すぐ引き返して事情を問いただしたい。
(あかんあかんあかん。大丈夫や、カラト兄ちゃんなら大丈夫や。たぶん…おそらく…)
とんでもなく怖い想像を振り払って、リラは仲間となる集団に後ろ髪を引かれながら付いて行った。
「………………」
(………………あれ?)
名前が呼ばれない。
(………………あれ??)
どんどんと呼ばれていく名前に、自分の名前は入っていなかったように思う。
(聞き逃したとか?)
いやいや、たとえ聞き逃していても、後ろにいるリラなら教えてくれるはずである。
リラは最終までいたのだ。
そうして残った三人は、俺とナディとサミエルで。
名前を呼び終えた人は「君たちはここで待ってて」と言ったまま去っていった。
今までたくさんの人がいたのに、いつの間にか俺たち以外の人がいない。
サミエルに物凄い顔で睨まれたまま、どうしていいか分からずに立ちすくんでいると、見知った男の人が現れた。
ご飯をくれたので良い人のはずだが、どうにも迫力のある人だ。
「かねてからの希望通りだ。変更するならいまのうちだぞ?」
「いいえ」「しません」
よくわからない質問に、二人が真顔で答える。
本当によくわからない。
白髪の混じったあの時に出会った男の人は俺を見て。
「お前は別口だ。もう少し待て」
と言って、二人を連れて行った。
そして広い屋外演習場で一人残った俺。
「…………………え?」
俺、どこに行くの?
元帥室のある棟の屋上で、中年の男が、双眼鏡から目を離して隣を向いた。
「あれを入れるのですか?」
「…お願いされたからね」
白い軍服服を靡かせながら、元帥は腕の中の人形の髪の毛を整えた。
中年の男は双眼鏡をもう一度覗いて、ありえないと首を振った。
「名高い〝無音の踊り子”と〝騒音の狩人”が全くの素人を弟子にするなんて…」
「…〝騒音の狩人”は反対している」
「でしょうね。私もどうかと思います」
そこで、厳しい目を屋外訓練場から離した男は、隣に立つ元帥に見つめた。
「貴方はどう思っているのですか?」
「…人員が不足しているのは事実で、決定権が向こうにあるのも事実」
「失敗した場合は?」
「…選んだ本人が後始末をつけるそうだ」
「それは彼も反対したくなりますね」
双眼鏡の中で、とうとう座り込んでしまった青年に、二人が近づいていた。
大柄と小柄な凹凸の二人がすぐ背後に近づいても、青年は気付いた様子が無い。
大柄な男が、口の動きだけで『ほんとうにこれでいいんすか?』と問うている。
小柄な方は大きく頷いた。まるで、これで良いのだといわんばかりに。
片手で顔を覆った男は、双眼鏡を覗いているこちらと視線を合わせ、肩を竦めた。
「…新しく入るのは二十年ぶりぐらいらしい」
「前の元帥の時以来ですか」
「…表から連れてくるのは初めてらしい」
「……………それはそれは」
肩を叩かれて驚く青年の反応は、普通にも見えるし鈍くも見える。
「……楽しみだね」
微かに笑う気配が隣からしたので、男は双眼鏡を咄嗟に隣に振った。
形の良い唇の一部が大きく映され、上向きに上がる隙間から、白い歯が見えた。
双眼鏡越しに熱烈な視線を受けた元帥は、表情を無表情に戻して、身を翻した。
いままでありがとうございました。これで”無騒の半音”第一部は完結です。
少し時間を置いてから、第二部をはじめます。全部で三部の予定です。